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喫茶店は続くよ、どこまでも。


えっ!本物の企業相手に日本語でプレゼン⁈
まだ一年生なのに?
週に2回、日本語指導をしている韓国人留学生ヨンソさんから、学校から出された課題について説明を聞いた時、私は絶句してしまった。というのも、

①自ら設定したテーマに合ったお店を飛び込みで取材し、経営上の問題点を聞き出す。
②取材をもとにして、問題点を改善するための販売促進ノベルティを企画する。
③その企画をノベルティ制作会社の担当者に、10分間でプレゼンする。

という、一つでも充分しんどい課題が三段重ねになっていたからだ。プレゼン当日までの期間は約一カ月。他にも山ほどある課題をこなしながら、同時にこの超難問をクリアしなければ卒業できないと言うのだ。

ヨンソさんはデザイン系専門学校の一年生で、日本語はそれなりに上手い。けれど、いくら彼女が来日前からの日本語学習者で、さらに専門学校入学前に一年間日本語学校で勉強したとはいえ、いくらなんでもハードルが高すぎやしませんか?しかもこれは模擬プレゼンではなく、本物の企業担当者にシビアに採点されるというから焦ってしまった。

「先生、私、無理です…」彼女が力なくそう言うのも無理はない。聞けば、日本人の学生の間からも「こんなの絶対できない、もう学校辞めたい」という声が上がっているそうだ。しかし、やらないという選択肢はない。『昔ながらの喫茶店の販売促進』をテーマに選んだ彼女をサポートすべく、私は早速知り合いのお店に取材依頼の電話をかけた。

その日から、私とヨンソさんはレッスンの度に喫茶店について話し合うことになった。真面目な彼女は、予めネットで調べられる限りのことを調べ、緊張しながら取材にも赴いた。取材の日が定休日と重なってしまったにも関わらず、オーナーはお店を開けて待っていてくれ、一時間近くいろんなことを彼女に教えてくれた。
「役に立ちそうだからって、本まで頂いたんです」そう彼女から報告を聞いた時は、優しいオーナーさんの協力に心から感謝しつつ、まずは大きな山を一つ越えたと胸を撫で下ろした。そこで、「なんで昔ながらの喫茶店をテーマに選んだの?」と改めて訊いてみると、彼女の口から興味深い話が次々と飛び出した。

「私、日本に旅行に来た時から喫茶店が大好きになったんです」
「そう、でも韓国にもカフェはいっぱいあるでしょう?日本より多いくらいじゃない?」
「そうなんですけど、日本の喫茶店みたいなお店はないんです。日本にある昔ながらの喫茶店って、一歩中に入ったらまるで別世界に迷い込んだみたいで、すっごく魅力的で、韓国の若者の間でもとっても人気があるんです」
「韓国には、そういうお店はないの?」
「はい、あんまり。韓国は古いものが残りにくいから。だから街中に昔ながらのお店がそのまま残っている日本が羨ましいんです」

なるほど、そうなんだ。私はうんうんと頷きながら、彼女の話に耳を傾けた。そう言われれば、確かに思い当たるふしはある。

今から二十年以上前、私が韓国語を習い始めた時のことだ。教科書に「다방(タバン)」という単語が何度か出てきた。タバンとは、どうやら喫茶店みたいなものらしいけれど、先生が言うには主におじさんたちが時間をつぶす場所で、なぜか金魚が泳ぐ大きな水槽が必ず置いてあるらしい。
行ってみたい…。見た事のないタバンに私の興味は掻き立てられた。
それから数年後ソウル旅行に行った折、早速タバンを探してみたけれど、自分の情報不足もあってか、とうとう見つけることはできなかった。
「もう、ソウルにタバンは残ってないと思います」
私の思い出話を聞いて、ヨンソさんもそう言った。

でも、韓国じゃ古いものが残りにくいって言っても、日本だって再開発だなんだって古い建物がどんどん取り壊されてるじゃない。とそう思いかけて、いやちょっと違うかもと思った。ソウルで見たある光景を思い出したのだ。

確か仁寺洞の外れあたりだったと思う。両脇に伝統的な古い家屋が残る細い道を歩いていると、その路地の片側が急に開け、視線の先に天に向かってそそり立つビル群が見えた。かなり広い区画が完全に取り壊されて、まるで巨大なショベルカーがひとすくいしたように、街並みがきれいに消滅している。あまりのコントラストに思わず息を呑んだ。
現実味が欠けるほどの徹底的な開発が進む区域と、昔ながらのひなびた家並み。その境目で「おい、危ないぞ、こっちこっち」と日本語で言いながら、見知らぬおじさんがこちらを手招きしていたのが妙に印象に残った。

そう言えば同じ頃、台湾でも同じような光景を見た。台北から焼き物の街として有名な鶯歌に向かう電車から見えた景色である。
当時は台北市街から少し郊外に行けば、まだ長閑な田園風景が残っていたが、台湾新幹線の工事の真っ最中でもあり、首都機能の開発と拡張が猛スピードで進んでいた。

新旧入り混じる景色の中をコトコトと走る各駅電車。地元の乗客に混じって席に座り、窓の外を流れる風景をのんびりと眺めていた私の目に、突然信じられないものが飛び込んできた。
それは、こちら側の壁が上から下までまるごとなくなり、まるで断面図のようになったビル。さらに、細い鉄筋が露出したその壁無しビルの三階あたりの一部屋で、おじさんが食卓に座ってご飯を食べている。

今こう書いていても、あれは夢だったんじゃないかと思ってしまう。けれど、その時一緒にいた主人も「確かに見た」と言うので現実だったんだろう。「台湾新幹線のルートにかかったんだよ」とは言うけれど……。
あくまで日本との比較ではあるし、二十年以上前のことだけれど、二つの国の「開発」の激しさを、まざまざと思い知らされた光景だった。

高度経済成長期には、日本でも似たような景色がそこらじゅうで見られたに違いない。けれど、それでも昭和感満載のお店は街にいくらでも残っている。自分が暮らす神戸の街にも、創業100年とか78年といった老舗喫茶店は枚挙にいとまがない。中には、高齢のオーナーに代わってお客が自ら配膳したり、もしかしたら調理もお客さんがやってるんじゃないかという気さえしてくるお店もある。それでもなぜ残っているのかと言えば、やはり町の人に必要とされているからという一点に尽きるだろう。自分達にとって大切な場所は自分達で残す、という訳だ。
「古いものが残っている日本が羨ましいんです」
ヨンソさんの言葉が再び甦った。

最近、三宮界隈で話題になっている喫茶店がある。それは、後を継ぐ人がおらず閉店しようとしていた昔ながらの喫茶店を、若いオーナーがまるごと譲り受けて新しくオープンさせたものらしい。場所こそ変わりはしたものの、新しい店舗はもと昭和の美容室ということで、上部が丸くなっている縦長の洋風窓がレトロで可愛らしく、70年代ポップな家具と良くマッチしている。昭和60年代に一世を風靡した、あのゲーム機テーブルもあるそうだ。調度品だけではない。食器類も全て引継がれ、レトロ懐かしいメニューを盛られて今も活躍している。扉を開けば目の前に「New昭和」が広がるこのお店は、どこを撮っても映えるとあって連日かなり賑わっているらしい。
時を経て時代を超えて趣を増す物たちを、次の世代が受け継いで生かす。古いけれども新しい、新しいけれども懐かしい。そんな新陳代謝が確かに街のあちこちで起こっている。

「先生、ソウルには、日本の喫茶店をそっくり再現したお店があるんです。壁のメニューも全部日本語で書いてあって、コロナで日本に行けない間、日本好きの若者たちはそこで心を癒してたんです」

ヨンソさんの楽しそうな声に、レッスン中にもかかわらず、私は思わず涙ぐみそうになってしまった。生まれ育った街並みも懐かしいお店も、全てのものは移り変わって消えていくし、人も歳をとり、やがてはいなくなる。その大きな流れの中で、昔ながらの変わらぬ場所でひと時を過ごし、変わらぬものを味わう喜びは、たぶん思っているよりも強くて深いのだろう。
そしてその感情が、記憶を共有していないはずの異文化の人々にも安らぎを与えているという事実を知って、なぜか自分の心が慰められていくのを感じていた。

「続いている」ということの意味を噛みしめながら、今日も一杯のコーヒーを通してその流れを支える一滴となりに行こう。

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