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網膜剥離手術・入院の記録


1,症状から診察へ

前年より、飛蚊症(小さな虫が飛んでいるように見える現象)は自分でも感じていました。でもそれは、年齢的なものだと軽く考えていたのです。
年明けは4日から仕事で、何かと忙しくしておりました。
異変は、その頃から明確に現れ始めました。いわゆる視野欠損。
左目の視野の左下四分の一弱に黒い欠損が現れたのです。(写真参照)


左下に視野欠損が・・・


流石に『これはヤバいな』と思い、近くの眼科へ
この段階でも『加齢による緑内障か何かだろう』と軽く考えていました。
ただ、この日は詳しい検査が出来ないので、日曜に再度診察に行くことに。
実はこの眼科、家の近所で日曜も見てくれる頼りになる眼科専門病院だったのです。

ところが、その日曜の検査の後の診察で、担当の若い女医さんに
「網膜剥離です。すぐ手術しないとダメですね。ただ、ベッドが一杯で…。明日入院の明後日手術ならスグに出来ますけど。」

『おい、待てよ、何だコイツ?網膜剥離?手術?いきなり聞かされてショックなのに、心の準備もクソもないのに入院だ?手術だ?』
あたふたしているところ間髪入れずに眼球の図を見せ、手術の説明をし始める始末。
『待ってくれ〜、まだ手術を受けるって決めた訳じゃないぞ〜』と心が悲鳴を上げています。
「あの〜、こう見えて痛がり怖がりビビりなんですが、全身麻酔は?」
「全身麻酔は体への負担が大きいので部分麻酔です。全身麻酔がご希望なら大学病院へ行っていただくことになりますが…」
またイチから検査も鬱陶しいので、ここで手術を受けることにしました。

午後からは、入院に必要なものを買いに、家人と近くのスーパーへ・・・
いつもなら車で行くのですが、流石にこのときは徒歩で出向き、途中、近所の厄除け神社へお参りに…。
帰宅後は、翌日の為に準備に追われました。何しろ2週間の入院ですから海外旅行並みの大荷物です。

2、入院

翌朝、朝湯に浸かり、洗髪を終え、タクシーで病院へ行きました。
入院手続き時、テレビ等の使い方説明を受けるも、下向きでは観ることも出来ないので、ネット利用を申告すると、Wi-Fiのパスワードを手渡してくれました。
同室入口 Tさん
向かい Sさん(かなり耳が遠く、要介護の様子。)は、施設から来てらっしゃるらしい。
退院の日の看護師さんとの会話から65歳まで印刷会社にお勤めだったらしい。
色々と準備に追われ、気が付けば昼食。
入院患者が一度に食堂へ移動するのですが、満床だけにほぼ満杯。食事はなかなか美味!

午後の診察、他の人は殆ど白内障の手術のようで、網膜剥離の硝子体(しょうしたい)手術は、どうやら明日は自分だけのようです。
そこで、色々とネットで調べて、心の準備を開始。
大きな?手術自体、人生で初めて。加えて目の手術なんて恐怖でしかありません。
コンタクトさえ怖くて今までメガネ族だったのに…考えただけで泣き叫びそうです。

最初に調べたのは術式説明。何されるかは、これでよく分かりました。
ところが、その後、ネットで出てくる情報は碌なものが無く、
『部分麻酔なので、手術が見える』とか、『開瞼(かいけん)器が痛い』など、これ、絶対に怖がらせてるやろ!というものばかり。
結局、手術当日の明け方に辿り着いたnoteの記事(網膜剥離手術を受けた人の体験談)が、一番安心出来ました。
そして、分かり易かったのが、漫画家さんの体験記。(一部引用させて頂きます)

その夜、うつ伏せ寝を実施。
家から持参したMOGU(YOGIBOの小型版)が大活躍!
穴の部分に合わせ、呼吸が出来るように配置を考えれば、何とかなりそう。
ただ、部屋のエアコンが暑く、シャツ1枚で寝たり、夜中にトイレで目覚めた時は、逆に寒くなりと、調整が大変でした。
写真は、翌日からうつぶせ寝で、まず見ないであろう病室の天井写真です。

入院当日の夜、病室の天井部分

3,いよいよ手術

朝7時起床、看護師による点眼(多分散瞳剤)、そして検温に血圧測定。血圧は当然のごとく高め。
朝食後、手術室へのお手伝いをしてくれる看護師さんがご挨拶に来た。親切な方で、ありがたいことに、不安を減らすために励ましてくれました。
9時25分
執刀医の院長先生回診とご挨拶。「痛がり・怖がり・ビビりなので、くれぐれも宜しくお願いします」と変な挨拶をしてしまう。
同室の人が次々に手術室へ向かい、自分も麻酔を含めた点眼が30分おきに行われる。
手術着に着替えたころ、看護師さんより
「予定より早く手術になりそうなので、昼食は手術後になります。」との連絡。
「一応、点滴用の注射を行いますので・・・」
医療系ドラマで出てくる、いわゆるラインである。
『俺、LINEはしないんだけどなぁ』とバカなことを考えながらも、緊張は増すばかり。

LINEに誘う友人に送ったら、意外と受けた写真


頭の中は、Twitterでよく見る「次は僕の番だ」という野良犬の殺処分の記事を思い出す。
「そろそろ行きましょうか~」と、看護師さんの声。
「名前をフルネームで仰って、次に手術するほうの目がどちらか仰って下さい。」
「はい、平井◆◆です。左目の手術です。」と、同時に左胸に『左』と書かれたシールが貼り付けられた。
「では、手術室に入ったら、もう一度同じことを仰って下さいね。」

手術室前でスリッパを脱ぎ、部屋の中で名前と手術する目について答える。
その後、寝台に乗せられ、ガラゴロと手術室へ。
メガネを外しているので、ボヤッとしか分からないが、機械に囲まれた部屋に入るなり、助手の方々があっという間に準備に取り掛かる。
右腕に血圧計、瞼の周りには養生テープを貼られ、目の周りを消毒。
当然のように布を被せられる。開瞼器は痛くなく、逆にそれで良いのって感触でした。

目薬をさされ、いよいよ開始。
執刀の先生が、
「平井さんはコンタクトはしたことないの?」
「はい、ずっとメガネだけで…」
「それではゆっくりと始めていきますね〜」
この「ゆっくり」という言葉が、逆にホッとした。

2時間と聞いていた手術は、後で聞いたところ、約1時間で終了。
それでも、シッカリ治療していただけたようです。

途中、痛くて麻酔を増やしてもらいましたが、後の痛みの波(計4回ほど)は頑張って我慢。
その痛い時は、どうやらレーザーをあてて治療していたときのようです。
手術中の自分の見えた風景は?と言えば、
開始時は、ライトに照らされ、かなり眩しく、どこを見て良いのか分からなくなりました。
先生から
「普通に上を見ておいて下さい。光を追いかける必要はありませんから。」
と言われ、素直に上のみを見ることに努めました。
「そうそう、それで良いですよ〜」と先生の声。
麻酔で分からないのですが、すでに始まっているのは雰囲気で分かりました。

最初、超音波水晶体乳化吸引術を行ったと思うのですが、この間に見えていたのは、例えるなら、ウルトラQやウルトラマンのオープニングタイトル表示で、色々な絵の具を混ぜてぐるぐると回転する文字の周りの模様のようなもの、これの透明版がかなりの速さで動いているのがなんとなく分かりました。
それがしばらく続くと、液体がなくなっていくのか?ゴミのような、埃のようなものが段々と見えなくなり、最後には綺麗な透明になるのです。

レンズを入れたとき、違和感と、引っ張られる感じと少しの痛みを訴えると、(後で知ったことですが)大きさが合わなかったのか、レンズを変えたようでした。

ここで、硝子体手術に移ります。
「チョッと圧迫感があるかもしれませんよ。」
の声の後、3本、眼球に管の入っていくのが何となく分かりました。
痛みを感じたので、麻酔を追加。かなり楽になりました。

ここからは剥がれた網膜の修復を行うのですが、気持ちが落ち着いたのか、
他の音も聞こえてきました。
Webページによると、この眼科では、アルコン社 コンステレーション®ビジョンシステム(27G)という機械を導入していて、多分その機械からだと思うのですが、英語の音声が聞こえました。
特に、レーザーを使うときの照射量でしょうか、数値を音声で知らせていました。

ふと気づくと、この時の視界は真っ暗。
多分部屋の中が真っ暗だったからだろうと思います。

手術後半、機械の届き難い位置でレーザー治療をしたのか、少々痛みを覚え、
「うう‥、痛い」という声を出してしまいましたが、
「チョッとの間頑張って〜」と言われ、そのまま我慢するしかありませんでした。
頭の中では、
『この先生のチョッとは、どれぐらいなんだろうか?1分か、5分か?』
そんなことを考えているうちに終わってしまいました。
ただ、どの段階でガスが注入されたのかは分かりませんでした。
眼球に入れた3本の管が、順番にゆっくりと外されていく感覚も分かりました。
と、同時に、『無事、終わった』という安心感で一杯になりました。

終了後、先生が「あと2つやったっけ?」
助手の先生が、
「いえ、あと1件です。これが17件目ですから…」
思わず笑ってしまいました。
この先生、今日だけで18件も手術するの?ある面、すごいスーパードクターです。

病室に戻って、直ぐに執刀医の先生が回診に来て、「剥離が上手く治療出来たので、うつぶせ寝を頑張って下さい。」という言葉を残し、再び手術室へ戻って行かれました。
30分後、病室で昼食。下向きながらも完食。みそ汁はストローで・・・

その後、看護師さんから目に入れた単焦点レンズのカードをもらう。
HOYA Aspheric. Clear
Model XC1-SP 13.0mm
Power +15.50D 6.0mm
SN 4DLZ05C1

どれだけ視力が戻るかは分かりませんが、看護師さん曰く、
「眼鏡のレンズはかなり薄くなりますよ」とのことでした。

4、うつぶせ寝と下向き生活

夕食も病室でいただき、その日の夜からうつ伏せ寝の開始です。
自宅から真ん中に穴が開いた、所謂YOGIBOの小型版を持参したので、さほど苦労はしないだろうと安易に考えていました。ところが、いざやってみるとこれが大変!
ベストな体勢がなかなか見つからないのです。
最初は良くても、だんだんと息苦しくなったり、暑くなったり…。
結局安眠は出来ない結果と相成りました。

何故うつ伏せ寝?
眼球に注入したガスは、その特性から上に行きます。
網膜は目の後ろ側ですから、下向きじゃないとガスが上(つまり後ろ)に行ってくれないからなのです。

さて、翌日からのルーティーンをご紹介しましょう。
朝7時起床。
看護師さんが各患者さんに点眼液を差して回ります。と、同時に検温も。
次に、温かい紙ナプキンが配られ、それで顔を拭きます。
その後、診察の為に散瞳剤を点眼されます。
これは瞳孔を開くもので、これを点眼したあとは、しばらく視野がボヤけます。つまり、運転等は禁止。
(もっとも入院中は外出禁止なので、運転どころではありませんが・・・)そのあと、血圧測定があリます。

8時になると朝食ですが、自分のような安静患者は、病室まで持ってきてもらい、そこで済ませます。(他の患者さんは食堂へ移動)
朝食後、再び点眼タイムがあり、9時半ごろに診察室に移動して診察を受けます。
それが終わると、完全フリーの安静タイムです。

ずっと下向き、うつ伏せ寝、点眼タイム、食事タイムの繰り返しです。
ずっと下向きゆえ、テレビは観れません。
(元々家でも観ないし、前年Jcomとの契約も解除しました)
で、下向きで出来ること、iPadでネットニュース見たり、ツイッター見たり、メールしたり、この文章書いたりと、結構暇は潰せます。(但し、片目で・・・)
ただ、ずっと下ばかり見てると、所謂ストレートネック症候群で、首が痛くなります。その時は、首を伸ばす意味でうつ伏せ寝をして休みます。

さて、今回はあまり面白くないので、病床の写真、そしてある日の食事の内容をご披露します。
この病院では栄養士さんが監修しているらしく、味も量も抜群でした。よく『病院食は不味い』と聞きますが、内臓疾患とは関係の無い病院食は、それなりに美味しいようです。

ここで2週間過ごしました。
ある日のお昼ごはん
ある日の晩御飯

5、病院での日々

入院4日目の朝の点眼時、看護師さんより
「手術した左目、線みたいなのが見えませんか? それが注入したガスの残量なんですよ。」
その時は見えなかったのですが、その後、上の方に線が見え始めるようになりました。
まだ8割は残っているようです。

朝の診察の頃に新しい入院患者さんが入室。
向かいがTさん、隣がHさん。お二人とも2泊3日の白内障コース。

今日の診察の結果は良好みたいで胸を撫で下ろしました。
昼に家人より洗濯物交換と同時に、届いていた雑誌とコーヒーの追加もあって、安堵。
昼食後、雑誌熟読。ジックリと読めたのは久々でした。

今夜の夜勤は、2回目?の登場、Oさん。
三種類の目薬のうち、一つだけ痛みを感じます。
針で突かれたような感じですが、炎症を抑える点眼液なんだそうです。
午後7時から2時間、Tver視聴。
首の痛みが強烈になり、湿布薬を貼ってもらい、就寝。
昼間、色々とうつ伏せ寝の体勢を考え、実行してみるも合わず。何度か夜中に目が覚めました。

入院5日目
つごう約6時間弱は寝たでしょうか?肩と首の痛みはだいぶ楽になりました。
レントゲン検査に続き、今日は女医さんの診察。
術後は良好とのことで、気持ちが楽に。

病室に戻ってから看護師さんより、
「目が腫れぼったいから、キチンと俯き状態を維持しているのが分かるんですよ。」とのこと。頑張ってて良かった。
午後の検温、36.8 チョッと高め。

炎症を抑える点眼薬だけが相変わらず痛い。
聞くと、眼球上部に傷(手術中に入れた管の跡?)があり、それに滲みているとのこと。
いやいや、滲みるではなく、針で突かれた痛みなんですけど。

使用点眼薬(上から水色、赤、黄緑)
ブロムフェナクNa・・・非ステロイド性抗炎症点眼剤
レボフロキサシン・・・広範囲抗菌点眼剤(少々キツ目の抗生物質らしい)
サンベタゾン・・・外眼部および前眼部の炎症性疾患の対症療法
(眼瞼炎、結膜炎、角膜炎、強膜炎、上強膜炎、前眼部ブドウ膜炎、術後炎症)

参考
サンドールP・・・検査用散瞳点眼
ネオシネジン・・・散瞳剤

6,レーザー治療

手術が終わって3日後、朝の診察が終わり、部屋に戻ると看護師さんより、
「平井さん、今日は夕方にも診察がありますので…」とのこと。
この日は、執刀医の先生が手術に入られる日で、代わりに最初に網膜剥離を宣告した女医さんによる診察でした。
『なるほど、一応自分の目でも確かめたいわけだな。』と軽く考えていました。

夕方になり、散瞳剤を点眼され、再び診察室へ。
いつものように眼底を見て、
「綺麗にくっついていますね。問題ありません。」
ホッとした次の瞬間、
「じゃあ、レーザーをあてておきましょう。」
『はい〜?レーザー?』
「え、上手くくっついているんじゃないんですか?」
「レーザーで確実に固着させる必要があるんですよ。」
『な〜んだ、そうか。確か漫画で緑色の光を見る痛くないアレだな。』
ところが、次の先生の言葉で背筋が寒くなりました。
「じゃあ、麻酔して準備しといて」
『え、麻酔?』
その瞬間思い出しました。その漫画の中身を…
『倒れる人もいますが、大丈夫ですよ、倒れるのは大概男性ですから…』というセリフを!
一瞬目眩がしましたが、逃げれない!
一方で看護師さんに
「麻酔すると言うことは痛くないですよね?』
「チョッと、痛いと思いますよ。」
『おい、そこは大丈夫ですよ!じゃないのか?』

麻酔され、顔を機械に縛り付けられ(頭の後ろをバンドで固定されるだけ)いよいよ開始です。
心の中では、
『痛くない、綺麗な緑色の光の模様が見えるだけ…』と言い聞かせました。
「それでは始めますね〜。上下の歯を合わせておいて下さい。』
『ハッキリ歯を食いしばれって言えよ!』
麻酔が効いているとは言え、なかなかのもの。
例えるなら、
一寸法師のような小さな侍とボクサーが、眼球の中で刀を振り回して、たまにそれがあたる感じ?に加え、その後でボクサーによるストレートパンチが炸裂!を交互にやられている状態。
途中、「ううう…」と声を出しつつも、何とか終了しました。

後で思い出したのですが、確か手術中もこの痛さがあったような…。
そうか、手術中は眼球の中で直接照射、今のは外から照射するタイプなのか。
どちらも気持ちの良いものではありませんが、治るのなら良しとしますか。

レーザー治療について、後日談が・・・
実は手術していない方の右目の検査がありました。
こちらはオプトスと言われるレントゲンと眼底検査でした。

その検査前、夜勤の看護師さんとの会話で意外なお話が聞けたのです。
「左目ばかりで見てたので、右は大丈夫だとは思うんですが、右も白内障手術でレンズを入れた場合、網膜剥離の進行は抑えられるんですか?」
「それは関係ないと思います。ただ、レンズを入れることで、見ることの負担が減るので、網膜剥離は遅れるとは思います。」
「初期だとレーザーで何とかなるんですよね?」
「そうですね、手術ではなくレーザーで固着させるだけですから。」
「こないだやったけど、かなりキツかったですよ。」
「手術後でしたからね。手術してない目だと、あそこまではキツく無いですよ。」
『え、そうなの?じゃあもし右が初期で、レーザー治療だと楽なんだ!』
それゆえ、比較的安心して右目の検査を受けたのでした。

7、退院へ

入院10日目。
大寒波襲来で、神戸の街も15年ぶりの積雪だとか。ネット情報だと京都駅周辺がすごい状況になっているようです。ただ、申し訳ないのですが、病室は暖かく、肌着の上にTシャツで寝起きしております。
つまり、暑さ寒さも分からず、勿論コロナ菌やインフルエンザ菌も何のその、外の世界とは完全に隔絶された一番安全な場所なのです。
ただ、朝、みんなからの雪景色の写真を見せられ、ストレスマックス!元気ならカメラ持って出撃してるのに…
入院11日目。
朝から両目に散瞳薬点眼。いつものように30分ほどで靄がかかった感じにな
ります。
診察結果
オプトスの結果、右目は何の問題も無しで、日曜日に退院決定!
うつ伏せ寝から解放。但し、横向き寝のみ。
ガスは25%程度まで下がり、夜から食事は4階に移動で。

ところで、眼球に入れたガスですが、残量はどうして分かるのでしょうか?
これはやった人にしか分からないのですが、簡単に言うと
『自分で見えるんです!』
例えるなら、プールの水の中から上がる時、水面が上から下にラインで見えますよね。あんな感じです。

退院日
いつものルーティーン。
看護師さんに、退院後の生活について聞く。
ダメなのは
上向き寝、及び上を向くこと。
激しい運動、水泳、草刈りや水を使う仕事。
水を使う時はゴーグル使用が望ましい。
ただ、散歩はOK。

入院中最後の診察後、退院。

8、退院後

眼球内のガスが完全に消えたのが、術後丁度2週間、この段階で眼鏡のレンズの調整を行いました。
自分の場合、元々裸眼で左が 0.04。右が0.02。手術で単焦点レンズを入れたことで、かなり見えるようになったとは言え、それでも0.09。左右の視度差が激しい眼鏡屋泣かせの状態でした。
とりあえず、仕事柄、デスクトップパソコンの画面が見える距離に度数を調整した眼鏡を一つ。それに慣れた段階で、運転が可能な度数の眼鏡を一つ、それに慣れたら運転用の予備眼鏡を作る予定です。そして、それに加え、字を書く時の、近くが見える度の緩い眼鏡も一つ・・・。
幸い、某眼鏡量販店では、追加料金を払えば、3年間はレンズ変え放題というとんでもないサービスがあり、それまで使っていた眼鏡の一つが、それを利用していた関係から、本来の半分の予算で済みました。

退院後、4日目の診察で「上向き寝OK」。その1週間後の診察で「散髪OK」。点眼液が減り、点眼回数も減りましたが、眼圧が高い為、飲み薬が処方されました。
車の運転は、運転用眼鏡に慣れた術後3週間目にして、慣らし運転を始めました。

職種にもよりますが、退院後スグに仕事復帰することは避けたほうが無難です。特に通院日には、散瞳剤点眼の影響で、効果が消える6時間後まで、見え方が靄のかかった状態になります。車の運転など、もってのほか!
大袈裟かもしれませんが、完全復帰まで1か月はかかると思っても良いかと思います。
何しろ、うつぶせ寝で2週間。筋肉量は見事に落ち、体力も見事に落ちますから・・・。

9、網膜剥離で明日から緊急入院!どうすれば?という方はここからお読み下さい!

明日から突然、網膜剥離で入院することになった方へのアドバイスです。

1、まずは意地でも散髪屋(美容院)に駆け込んで下さい。
  手術後、約1ヶ月は散髪禁止ですので、髪の長い人は、少し短めにするの
  が良いかと思います。
  また、術後1週間ぐらいは洗髪出来ない可能性があります。そう言った
     意味でも短めに!
2、服装は(自分の場合)上は肌着にTシャツ、下はスエットでした。
  病室内は一定の温度に保たれていたので、季節を問わず、この格好で十分
 だと思います。ただ、診察の時や、少し移動する時、また寒がりな方は、
 上に羽織るものが1枚あると良いです。
  (自分の場合はスエットの上を使いました)
3、準備する持ち物としては、海外旅行をする時の荷造り感覚ですると良い
  かと思います。
     朝から晩までに必要なものを思い出してみて下さい。

 ・洗面具   ・ドライヤー  ・電気シェーバー(男性限定)
   ・タオル(少し多い目に)  ・バスタオル
 ・Tシャツ等の着替え(肌着、靴下等も含む)  ・日頃飲んでる薬
 ・コップとストローのセット(写真参照)  ・ティッシュBOX
 ・スリッパ  ・筆記具

下向き生活にストローは必携!?


※あると便利
 ・iPad(もちろんスマホでOKです) ・イヤホン ・充電器類
 ・うつ伏せ寝用のクッション ・卓上カレンダー
 ・ドライフルーツ、ナッツ系の食べ物
  (寝たきり状態で便秘気味になるので、あるとお通じに効果的)
 ・インスタントコーヒー他  ・湿布(下向きで首が痛くなるため)
 ・爪切り(入院予定2週間の方は是非ご用意下さい。)

10、自分は、「怖がり・痛がり・ビビり」だという方はここからお読み下さい!

とにかく、子供の頃から「怖がり・痛がり・ビビり」でした。その自分が、今回の手術に挑んだ(諦めた?)のは、
・網膜剥離は、進行すると失明するという点。
 ⇒写真が趣味の自分にとって、これは絶対に避けたかったので、(仕方
  なく?)手術を受ける気になった。
・痛がりだったが・・・
 ⇒昔コンタクトレンズ使用者から「角膜には神経が無いからいコンタクト
  は痛くないですよ」と聞いたことがあったので、さほど痛くないので
  は?と自分に言い聞かせました。
  また、白内障の手術を受けた人も「全然痛く無かった」と言っていた
  し、実際、超音波水晶体乳化吸引術(だと思う)は、全く痛みはあり
  ませんでした。
 ⇒ただ、網膜剥離の硝子体手術は、生身の人間故、ある程度痛いのは仕方
  がないし、これは試練だと言い聞かせました。
・最終的に
 ⇒現代医学は進歩しているので、それを信じるしかないと思いました。
・どちらかと言うと・・・
 ⇒確かに部分麻酔の1時間の手術はキツかったのですが、後の「俯せ寝」
  の方が、結構キツかったと思います。

だから、大丈夫ですよ、執刀医の先生を信じて頑張って下さい!

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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