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キリストのミサ クリスマス

近年、クリスマスのお菓子として、すっかりメジャーになったシュトーレン
毎年、何処のシュトーレンを食べるか、色々まわるのも楽しみです。

シュトーレン とは、ドイツ語の坑道の意味です。その形が坑道ぽいからとか
その他に白い砂糖がまぶされた姿が、降誕したキリストがおくるみに包まっているようで、この時期に食べられます
シュトーレンは、もともと、保存がききます。保存しておいたドライフルーツやナッツをハチミツで甘くして、冬至の際に、次に来る季節の願いをこめて食べたのがはじまりだそうです。保存がきくので、クリスマス前のアドベントの頃から、毎日一切れづつ食べるのも楽しみです

ベリーニ《キリストの神殿奉献》部分


ちなみに、クリスマスは、キリスト降誕祭ですが、イエスがこの日に生まれたという記録などは無く、冬至のお祭りと、降誕のお祭りが、いつの間にか合体して、12/25がクリスマスになりました。


キリスト降誕

ジョット《キリスト降誕》


キリストは救世主の意味で、固有名詞ではないので、正確には、イエス君が生まれた場面です。
神の子が、天井界から地上に降りたったということで、誕生では無く、降誕と言います。
イエスは、マリアが、大きなお腹を抱えて、移動している途中で生まれました。宿屋が満室で泊まれなかったため、立派な屋敷の中などでは無く、馬小屋で生まれたとされています。なので、飼い葉桶に入って描かれることもあります
この降誕シーンを、人形にしたものがあり(降誕人形 プレゼピオ)は、クリスマスの当日に、飼い葉桶に、イエスの人形を置くそうです。

キリスト降誕に登場するのは、イエス、マリア、ヨセフ(マリアの夫で年配)、羊飼いなどです。
羊飼いは、キリストが誕生したことを、天使に知らされて、導かれてやってきた、最初の訪問者になります


ところで、何故臨月なのに、何故、移動をしなくてはならなかったのか?
ルカ福音書によると、皇帝アウグストスが、全領土の住民に住民登録をしろという勅令を出したために、ガラリヤのナザレにいたのに、登録のためにダビデの町のベツレヘムへ移動したということになっています




シュトーレンを食べるとき、キリスト降誕を思い浮かべるのも楽しいでしょう。
シュトーレンはドイツ圏のお菓子ですが、同じように、イタリアではパネトーネ、イギリスではプティングなど、地域によって、クリスマスの伝統菓子があります


東方三博士の礼拝

ところで、キリスト降誕の場面には、他にも登場人物などが沢山描かれた「東方三博士の礼拝」があります。
降誕場面と一緒になって描かれる場合がありますが、正確には別の日程の出来事です
「マギの礼拝」「三王礼拝」ともいわれます
これは、聖書のマタイ福音書に記されている出来事で、占星術の学者らが、星(ベツレヘムの星よ呼ばれる)を見て、ユダヤ人の王《キリスト=救世主)の誕生を知り、イエスのもとを訪れます。生まれたばかりのイエスに、ひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬をささげました。
降誕を知らせたベツレヘムの星は、とても重要なものなので、今でも、クリスマスツリーのてっぺんに、大きな星が飾られます。あれが、ベツレヘムの星です
三博士の礼拝は、イエスの誕生から12日後のことでエピファニア(epifania 公現祭)として、イタリアでは祝日となっています。

ラテン語で、賢者や魔術師は「マグス」、複数形が「マギ」です
福音書には、人数は記されていませんが、捧げた宝物が3つあることから、3人であらわされます

ラベンナサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会のモザイク壁画「東方三博士礼拝」

3世紀初め頃か三博士を、王とする解釈がおこなわれて、王侯や宮廷人の姿で表されるようになりました。
三博士はユダヤ民族以外の、初めての来訪者で、キリスト教が民族の枠をこえて広まるということを暗示する出来事です。ヨーロッパの中世ごろの世界は、その辺りの人々からは、ヨーロッパ、アフリカ、アジアぐらいまでなので、三博士も、それぞれの地域の外観で表現されます。また、青年、壮年、老年を描くことで、「世界中のあらゆる人々」が祝福に訪れたということを表しています。

ジョット《東方三博士の礼拝》スクロベーニ礼拝堂


三博士には、いちおう名前が付いています
メルキオール ヨーロッパ人 40代ぐらい 乳香をもつ
パルタザール アフリカ人 20代ぐらい 没薬を持つ
カスパール アジア人 60代ぐらい 黄金を持つ

ですが、そんなことは福音書には記載が無いので、いつの間にかの習慣みたいなことです

持ってきた3種のものについて、これが、クリスマスのプレゼントの始まりと言われています。
クリスマスでは無く、エピファニア(公現祭)にプレゼントとして渡すところもあります。

▪️黄金は、そのまま、黄金のこと
▪️乳香は、熱帯の地域の常緑低木の樹脂で、乳白色のため、乳香と呼ばれます。
抗炎症、鎮痛や鎮静効果のある香油で、古代エジプトでは、神に捧げた神聖なお香です。ユダヤ人も、その習慣を受け継いでいて、旧約聖書にも乳香の記述があります。
▪️没薬は、ミルラと呼ばれ、ミイラの語源になっています。赤褐色の植物性ゴム樹脂で、強い防腐作用があるため、エジプトではミイラにする際、死体に使われます。
キリストも十字架にかけられ、絶命した後、遺体に没薬とアロエを混ぜたものが塗られ、白い亜麻布で巻かれました。
三博士が持ってきた没薬は、祝いの品であるとともに、キリストの死、つまり受難の象徴でもあります

カラヴァッジョ《十字架降下》



ボッチチェリ《東方三博士の礼拝》

ボッチチェリの絵では聖母子が中央の高いところに描かれて、三角形を作るような画面構成がとられます。それまでの、聖母子を画面の隅に置き、その前に参拝者が並ぶような構成とは、ガラリと変えている革新的です。
そして、注目すべきは、三博士と一緒に、ボッチチェリのパトロンであった、メディチ家の人々が一緒に参拝しているという点
このように、有力者やスポンサーらが、一緒に描かれるのは、今でも続く風習です

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