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話してくれてありがとう

最近、そんな感覚になることが続いている。

ダイバーシティ、という言葉が色々なところで聞かれるようになったけれど、その実態はなんだろう。その言葉は、一人一人の人間レベルでリアルにイメージできているかなと思うと、意外とそうでもないと思う。

他人のことを完全に理解すること(その人と全くおんなじ感覚になること)は不可能だと思う。その人には、その人しか見てきていない世界がある。その人しか体験していない時の流れがある。けれども、わからないけれども理解しようと思うこと、その姿勢を持つこと・示すことはとても大事だと思う。

コロナ禍の2020年から親友の影響で何冊か著書を読んでいる鷲田清一さんの影響もあって、最近「聴くこと」をとても意識している。その私にとって、相手が外に出すか出さないか迷ったのだろうなということを自分に打ち明けてくれた時、純粋に話してくれたことがとても嬉しい思いと同時に、不思議な涙がでてきた。そして、相手の感覚、言葉にしてくれたこと、その相手が私にとってとてもかけがえがなくて、そのまま受け止めたいという思いになった。

自分の心と体のこと、恋しく想う人のこと、自分が信じる宗教のこと。自分にも(その人と全く同じではないけれども)同様に、容易に話せないことがこれまでにあって、何か心の中でとどまっている体験が無意識の中にもあったんだと思う。だからこそ、それを重ねるようにして出てきた涙からもしれない。でも同時に、なんだか安心する感覚もあった。なんだろう。

話すことと聴くこと。SNSのストーリーでは絶対に成り立たない何か。
自分の周りにいる大切な人たちからまず、その両方をしていきたいなと思った。

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