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エッセイを読みたい

僕はエッセイを書くことも好きだが、それ以上に読むことか好きだ。お笑い芸人のエッセイ、小説家のエッセイ、AV女優のエッセイ、経営者のエッセイ、旅人のエッセイ‥いろんなエッセイを読んできた。

エッセイには、その人のフィルターを通した世界が広がっている。どのエッセイにもオリジナリティが溢れていて、その人の脳内をノゾキ見するように、旅するような感覚で、エッセイを読んでいる。

エッセイは、さまざまなクリエイティブ活動の中で、最も手軽で最も自由なものだ。

ここで疑問に思った人もいるだろう。

「そもそも、エッセイとは?」

「友人に〇〇が書いたエッセイおもしろいよー。」と話すと、よく聞かれるのがこの質問。辞書を引くと「自由な形式で、気軽に自分の意見を述べた散文。随筆。随想」とのこと。

簡単にいうと、「〇〇に対して、自分は〇〇思った。」事象と自分の考えがあれば、エッセイとして成立する。事象は何だっていい、今日の天気でも、友達との会話でも、ふと目にした景色でも構わない。

「今日は友達と遊んだ。楽しかった。」を深掘りするだけ。

どんな遊び?どんな友達?どんな感覚で?どう楽しかった?気づけばエッセイになっているから。

その日、その瞬間の事象に対し、自分の感じたことを言葉にするだけ。学生時代の友人で、LINEのタイムラインにエッセイを投稿している友人がいる。彼のエッセイは日々の楽しみのひとつ。

僕はもっと友達のエッセイを読みたい。

一緒に旅行して、みんなでエッセイを書くのもいいだろう。同じ景色をみても、浮かび上がってくる感情は人それぞれ。全く違うエッセイになる。

あなたのエッセイも読みたい。今日はどこで何をして、どんな気持ちになっただろうか。LINEの返信を返すように、Twitterに投稿するように、言葉を紡いでいった先にはエッセイが完成している。

ここまで、僕はただ「エッセイを読みたい」という感情を言葉にしてきた。すでにこの文章自体が「エッセイ」になっている。

あなたは僕のエッセイを読んだ。次はあなたの番だ。

僕はあなたのエッセイを読みたい。

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