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嫌われものの最凶部下が放った一言が共感の渦をおこした奇跡

「私のことは嫌いでも、この会社のことは嫌いにならないでください(ペコリ )!!」

6年前のことだ。
退職届を出した女子社員が忘年会の最後に「一言だけ」機会を与えられて放った言葉だ。
グダグダ話さず本当の意味での「一言」に大喝采を浴びた。それは敵だらけで孤立していた彼女が初めて皆から認められた瞬間でもあった。

自分史上「最凶」の問題部下

彼女は25歳の時に中途採用で入社してきた。関東勤務から実家のある関西での転職を希望していた彼女と、新規事業立ち上げで営業募集をしていた我々の採用ニーズがマッチし、採用の運びとなった。

入社してしばらくして僕は彼女に違和感をもった。
外面に比してあまりにも内面が子どもなのだ。彼女の発する言葉や表現がいちいち大袈裟である。悪く言えば嘘っぽいのだ。
「前職では過酷すぎて毎日吐血していた」
「横浜の〇〇の飲み屋街の一帯を歩けば私を知らない人はいない」

端的に言うと小柄な中学生が「3人に囲まれたけど、全員ぶん殴ってやったわ」とイキった表現をするのとそれはよく似ていた。
最初は周囲は嘘と分かっていても面白おかしく聞き流したり反応していたが、次第に聞くだけでも面倒くさいし疲弊してくる。金曜日の夕方に聞くのは面白いが、月曜の朝に言われると勘弁してくれ、である。

口は達者で提案営業の腕前はある。一方で勤務態度は非常に悪い。悪すぎる。月に1~2回ペースの遅刻常習犯である。次第に有休がなくなってくると遅刻の理由に嘘が散りばめられる。
始業の9時に出社していないので携帯に電話すると一発目は出ない。30分後に唐突にメッセージが届く。
「突然、朝一番にお客様から『緊急事態ですぐに来てくれ』と電話がかかってまいりまして、お客様のもとに直行しております。連絡遅くなってすみません。今、電車なので電話に出られません」

こんなこともあった。
「昨日の大雨で我が家は停電になりました。風呂に入れずこのまま会社に行くのは女性としての身だしなみとしてありえないと思うのでお休みをいただきます。そして未だに停電中で携帯電話の充電ができないので、しばらく私と連絡がとれなくなります。」

ネタでも誇張でもない。彼女が転職するまでの5年間、彼女の身の回りでは日常的にこんなトラブルばかり発生するのだ。
遅刻が2日続いた時には「身内が亡くなった」連絡もあった。社内手続きのため、通夜や葬儀の日程、葬儀場の情報の確認を求めた時に嘘と発覚した。
こんな状況だから当然、社内には女性の友達なんて誰もいない。周囲見渡しても敵ばかりである。彼女が転職を決めたのは、どこにも居場所がなくなってしまったからだ。

そんな嫌われ者だった彼女。
忘年会で部長の締めの挨拶後に突然「一言」を言う場が与えられたのだ。みんなしらけている。転職で辞める奴に何をしゃべらすのだ。本人も「場違い感」に気づいている。
しかし恐縮しながら前に行き、宴会場のステージ前中央に立った彼女は30人を前にして覚悟を決めた。

「私のことは嫌いでも、この会社のことは嫌いにならないでください(ペコリ )!!」
大爆笑と大喝采である。至るところで「許した!」「最高!」と歓声が飛び交う。まさに『自分の(嫌われている)状況』、『誰でも知っているワード』、『去りゆく立場』、『たった一言』全ての歯車がガッチリ噛み合った痛快な一撃であった。

僕はインパクトのある言葉には「力」があると思っている。言葉1つで人を幸せにすることも、守ることも、傷つけることも、殺すこともできる。問題児だった彼女のようにたった一言で状況を一変させることだってできる。
だから僕自身も、SNSで発信するフレーズは自分の考えを明確に伝えるためにも、多くの人に刺さるフレーズを取捨選択し端的に記していきたいと常日頃から意識はしている。

基本的にnoteは殆ど読まれない

昨日の記事の最後に

こんな雑談に時間を割いて長々と最後まで読んでくれた人に僕は感謝します。

と書き添えた。昨日は自分史上最高の4625文字を書き並べた。振り返ってみてもやたらと長い。長すぎるのだ。

満員電車内で他人がいじっているスマホ画面が見えてしまうことはないだろうか。その様子を見ていると驚く。大半の人は今見ていた画面からすぐに別の画面に移行する。次から次へとアプリを切り替え、一つのコンテンツを集中して読むことをしない。
LINEに返信して、インスタをチェックして、ツイッター、ブログ、noteを見て。

画面をササッとスクロールして流して、さっと見て、次のコンテンツに移っていく。全く読んでいない。眺めているといった表現が適切である。
丁寧に書いたつもりの記事でも、最後まで読んでくれている人は半分程度。
インフルエンサーならともかく僕のように全く自分にブランド力のない記事なんて、文章の未熟さももちろんあるが10%程度スクロールした段階で、さっさと離脱されてしまわれているだろう。

本当にきちんと記事を見てもらいたいのであれば、発信側は読者が留まりたくなるような配慮をしなければならない。読者に何らかの利益や心地よさを提供しなければ、作った記事を見てもらえないのだ。
昔のように「良い記事を作ればいい」のではなく、今の時代は「良み手に良い心地よさや共感を与えなければ、良い記事ではない」のだ。 

雑記で2000文字程度であれば誰でも簡単にできてしまう

僕は昔から文章力はないが読書が好きだ。
本を読む時にノートを片手にインパクトのある「言い回し」があればそれをメモする習慣がついている。そしてメモしたノートを何度も何度も見返し脳内に「人に響きそうな言い回し」のストックを溜めて、記事作成中にキーボードの手が止まった時に脳内から引っ張りだしてきてそれらの言い回しを引用する。あとは日頃から情報にアンテナ張っておけば誰でも2000~3000文字の雑記クリエイターは完成してしまうのだ。

しかしnoteを作る上で重要なのは文字数でも文章力でもなく「構成」と「キーワード」である。いくら読みやすい文章を引用したところで、開始10%で離脱されるような記事であれば言葉を発しなかったのと同じである。落語のように「冒頭に掴みを入れて、次の展開を期待させる」文章を組み立てることができた記事は秀逸である。
僕自身もここに徹底的に時間をかけた記事は完成した時の満足感が大きい。こんなことを発表するのも恥ずかしい話だが、今までで60記事ある中で自分にとって一番手応えのあった記事は2587文字の下記記事だ。自分の中では「起承転結」がスッキリとハマった記事だった。「スキ」は2だが、僕の中では最高に手応えのあった記事なのだ。

今の時代、記事内で主張することと同じ内容は、キーワードを入れてググればどこにでもいくらでも転がっている。グーグル先生の検索上位のコンテンツはnoteよりも専門性も信頼性も高い。

ではなぜ多くの人は、専門家でもないnoteが好きなのか。ひとつは、ありきたりな日常エピソードからみる「楽しさ」である。そして最も大きいと僕が思うのは言葉から受け取る「共感」である。
問題児が最後の一言で「私のことは嫌いでも、この会社のことは嫌いにならないでください!!」この発せられた言葉が光り輝いたのは、大衆から「共感」を得たからに他ならない。noteの読者にも同じことが言える。顔が見えない発信者だからこそ「共感」できるかがnoteを読み進める上で重要なポイントではないだろうか。

読者は一つのコンテンツに集中している暇はない

「なるべく早い段階で結論を書く」
そして「冒頭に掴み入れて、次の展開を期待させる」
毎日の記事でこれが支障なくできるようになるには相当な訓練と時間と継続が必要だ。
しかし自分が吸収したものを文章に変えて吐き出すことは大変な作業ではあるが、訓練を続ければ僕のnoteであってもいつかは誰かの役にたって誰かの心に響くものが残せるようになる日がくるかもしれない。それを期待してもう少し続けていきたいと思う。

明日は、僕が今まで沢山のものを見てきた中で最も構成が素晴らしいと思った短編「漫画」を紹介したい。一時期、話題となったので知っている人も多いかと思うが、とんでもなく少ないコマ数で、何度見ても読み手の心を震わせて泣かせてくれる構成は、ジャンルは違えども僕らクリエイターにとって参考になる漫画であることは間違いない。

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