ばらさん

特別支援教育に携わって30年。障害のある人達の社会貢献の在り方にこだわってます。

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最近の記事

大木喬任氏の墓参り

備忘録も兼ねて。 このお墓の横には、副島種臣氏の名前がありますね。 石刻していただいたのかな。

    • 再生

      コメディアンバンド Letitbe

      バンドの活動がなかなか安定的にできないこともあり、PVを作成したものを、動画サイトとして発信できるかという実験でもあります

      • 人笑人バンド愛媛大学演奏ツアー珍道中7

        実はそこからは、別行動になってしまったので、詳細を知らない。 昼のラジオで、電動車椅子組が道後温泉で、みかんちゃん?の被り物を買ってきて、それを被りながらラジオトークしたことくらいしか、直接は知らない。 それから時間は経って、21時くらい。 みんな無事に帰りましたの報告。何事もなくてほんとによかった、と胸を撫で下ろしたら、帰路でとんでもないことが何度も起こったというではないですか! 大街道から空港までのバス、リムジンバスに乗れるか試してみたそうです。 リムジンバスは電

        • 人笑人バンド愛媛大学演奏ツアー珍道中その6

          7時20分 みんながそろそろ食べ終わりそうだという頃に、こーへいは降りてきた。寝癖もなく髭もいつ剃ったんだろうというくらいきれいに身支度していた。みんなに遅くなってすみませんと挨拶してすぐに、朝食バイキングへと向かった。そういえば、朝食チケットの話はしてなかったのに、みんな忘れずに持ってきていた。 こーへいも、さらにてんこ盛りで現れた。みんなトイレ大丈夫なのかなぁ。心配してしまうほどだった。 7時50分 みんな終了して一度部屋に戻る。8時20分にロビーに必ず集合してください

        大木喬任氏の墓参り

          人笑人バンド愛媛大学ツアー珍道中その5

          大街道のアーケードで店を探すことにした。 大街道のアーケードは金曜日の夜ということもあり賑やかだった。特に指定もなかったので、それとなく目ぼしい店を1軒1軒あたった。最初にみんなのアンテナに引っ掛かった店は、バリアフリー対応もされていたし、日本酒も飲めたし、今治焼き鳥も食べられたのだが、満席のため叶わなかった。 それから3軒ほどあたったが、全て満席のためダメ。 途中で労研饅頭を買い食いしてつないだ。 飲み放題の唐揚げの店だったか、そこは空いていたし、何よりもバリアフリー。 店

          人笑人バンド愛媛大学ツアー珍道中その5

          人笑人バンド愛媛大学ツアー珍道中4

          博多駅では、今度は4人分の地下鉄切符を買わないといけない。JRに比べて地下鉄の切符は小さすぎる。改札機を通したら、すぐに回収した。これは手元からどこかに行ってしまいそうだったから。 福岡空港には予定通りの時間に着いた。地下からエスカレーターに乗って地上に上がるのだが、あの動く段差に飛び乗るというのか、上がるというのか、これは難しい人が多い。上がるタイミング。そして自動改札機をたくさんのバッグを持ちながら切符を入れて通る、それは実に難しい。 切符を通してすぐに通り過ぎる、それが

          人笑人バンド愛媛大学ツアー珍道中4

          人笑人バンド愛媛大学までの珍道中ツアー3

          3日前 待ち合わせ時間と場所についての最終確認をした。佐賀駅の中央改札前でと伝えたが、改札口は1つしかないにもかかわらず、メンバー、バラバラの解釈をしていた。あまりJRを使うことがないからか、すっとんきょんな回答をしていた。なので、メールで一斉ではなく、ここに電話で連絡する事にした。全日程の確認をした。何時に福岡空港に着いて、その後離陸までどこで何をして、松山空港に着いたらどのバスに乗ってホテルに。みんなが一番気になっているのが、ホテルに着いてからの過ごし方。夜7時に着くの

          人笑人バンド愛媛大学までの珍道中ツアー3

          人笑人(コメディアン)バンド愛媛大学で演奏しに行く珍道中ツアー2

          9月上旬 知り合いの旅行会社に航空券、ホテルのパックを予約する。 松山には、陸路か空路か航路で行くことになる。陸路は、車か鉄道ということになるのだが、今回は楽器運搬がある。車がベストかなと思ったが、何せ時間がかかりすぎる。 配送で対応しようと思ったが、バイオリンは難しい、保険だのなんだの考えると、やはり自分で持っていくことを考えた方がいい。旅行会社を通じて、空港、航空会社に問い合わせてもらった。バイオリンは、自己責任にはなるが、手荷物持ち込みで大丈夫。もちろん、アコースティ

          人笑人(コメディアン)バンド愛媛大学で演奏しに行く珍道中ツアー2

          人笑人(コメディアン)バンド愛媛大学で演奏しに行く珍道中ツアー1

          12月21日本番 珍道中を語る前に、我々の「バンド」の紹介から始めないといけない。 2008年に発達障害の青年たちと始めた演劇プロジェクトから派生したバンド。人前で演じることは苦手だから演劇はしたくないけど、表現はしたいっていうメンバーがおりまして、何ならできるのかと聞いてみたら、「バンドがしたい」だった。彼女はピアノをこれまでしてきていたので、ピアノなら自信があると。音楽関係にはめっぽう弱い我々でしたから、バンドなんてできるわけないだろうとかなり弱腰になっていたのでした

          人笑人(コメディアン)バンド愛媛大学で演奏しに行く珍道中ツアー1

          ノンステップバス【N】表記を目指したヒストリー3

          その後、彼は路線バスから飛躍して、高速バスにチャレンジした。九州1周高速バスの旅BY高速バス。たしか、出発式とおかえりなさいイベントは新聞の記事にもなったと記憶している。その時にできた音楽もあった。高速バスでノンステップバスなどなく、介助してもらって、一番後ろの席に「座」って乗車した。やはり、不便だったわけで、快適なバス旅ではなかった。でも、快適な旅を求めていたのではなく、バスに乗ること=車椅子ユーザーの生活の一部ということをアピールできれば良かったわけだ。 彼なりのチャレ

          ノンステップバス【N】表記を目指したヒストリー3

          ノンステップバス【N】バス時刻表への標記に向けたヒストリー2

          【前の投稿の続き】これを書いているのは2020年で、今ではほぼすべてのバスがノンステップバスになっているので、この話は大昔の感じがするが、ほんの17年前の話なわけでして。多くの路線にノンステップバスを配置するのは、当時はかなり難しいことだった。 「東京はできるかもしれないけど、佐賀という地方都市では無理だと」 その言葉に違和感を持った。ノンステップバスを増やすという課題と、時刻表に標記するという課題は別物だと思うのだが、それを一緒にされてしまった気がした。 それから数年

          ノンステップバス【N】バス時刻表への標記に向けたヒストリー2

          バス停時刻表に【N】の標記を。ノンステップバスについての情報提供をユーザー目線で実現させたヒストリー

          以前の学校で、教え子だった青年と、2003年夏、20歳になって初めてアルコールを飲むことになった。 出会った当時、彼は小学生だった。学校時代というものは早いもので、小学生から中学生に、そして高校生にわずか数年で立派な青年に成長した。 彼は元々それほど外交的ではなかったが、高校生になり、生徒会長になり性格の面でも成長したとの噂を聞いた。 そこで、市民活動を広く展開していた私は彼に、障害者のリーダー的存在になってほしいという期待を抱き、市民活動に彼を直直呼んではいろんな人た

          バス停時刻表に【N】の標記を。ノンステップバスについての情報提供をユーザー目線で実現させたヒストリー