ノンステップバス【N】バス時刻表への標記に向けたヒストリー2

【前の投稿の続き】これを書いているのは2020年で、今ではほぼすべてのバスがノンステップバスになっているので、この話は大昔の感じがするが、ほんの17年前の話なわけでして。多くの路線にノンステップバスを配置するのは、当時はかなり難しいことだった。

「東京はできるかもしれないけど、佐賀という地方都市では無理だと」

その言葉に違和感を持った。ノンステップバスを増やすという課題と、時刻表に標記するという課題は別物だと思うのだが、それを一緒にされてしまった気がした。

それから数年後に、仕事の関係で、愛媛県松山市で1年間生活する機会をいただいたのだが、松山にある伊予鉄は、2006年時点で、すでに【N】標記をしていたのだ。だから、地方都市というのは理由にならない。

運転手に付随しているバスというシステムを変えてもらわないとどうにもならない。そこで、バスをひたすら利用するというパフォーマンスを、彼はし始めたのだった。

2003年だったかその翌年だったかは忘れてしまったが、ノンステップバスではなかった路線バスに「乗る」、ただ乗る、それだけだったが、とにかく乗ることを日常化していった。当時、佐賀駅バスセンターは、薄暗くキミの悪い場所だった。記憶が正しければ、彼がこのパフォーマンスを始めた頃に、今の綺麗な明るいバスセンターに変わった。

新聞にも大きく記事が出て、彼は自分でなければできないパフォーマンスで、社会をインパクトしたわけだ。

その後、彼は路線バスから飛躍して

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