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生きたり生き存えたり日記、10月(上)

某月某日

Mi subite sciis ke mi amas ŝin.

10月24日

バチルス菌を培養しているオレンジジュース。発酵が進みいい具合に炭酸が発生していたので飲んだ。悪夢を見た。1年前、東松山を訪ねる前夜にヤクルト1000を初めて飲んだが、その時も悪夢を見た。友人宅に泊まっていたが、完全に体調を崩してしまい、一晩中トイレにこもって吐いていた。以降、何度かヤクルト1000を飲んでいるが、初めのようなことはないし、バチルス菌も、この後、何度か飲むか、一回目のようなことは起きない。腸内で何が起きているんだろう。いや、因果は全くないのかもしれない。


某月某日

デュカ、ライムリーフ、ひき肉を用いた焼きそばにドはまりしていた。豪徳寺に住んでいた時だから2020の初夏だろうか。あまりにも美味しいので、封印していた。川崎で開催された日本エスペラント大会の後に、カルディに立ち寄ったら、デュカもライムリーフも販売されていたので、久々に作った。が、どうも、上手にまとまらない。ライムリーフの香りが弱い。乾燥しているからだろうか。

以前作ったときは、下北沢のベトナム料理店で冷凍させた生のライムリーフをもらい、それを使用していたからか。香りが全然違う。同様に、パクチーもものによっては香りが弱いので、コレジャナイ、とか思って食べている。種から自分で育てたい。買うと、高いし。何より、普段食べるものを自給する生活者はかっこいい。安全保障を自分で作りたい。ライムリーフ、カレーリーフ、ローズマリー、ホーラーパー、ホーリーバジル、スペアミント、アップルミント、レモングラスを育てたい。そういうことをするには、やはり、定住生活をしないといけないのかな。

そういえば最近かったこのベトナム料理本も、面白い。一時期、タイやベトナム料理ばかり食べて居たけど、自分で作った回数は10回にも満たない。

某月某日

「ガザ 人間の恥として」という岡真理さんの講演会(2023.10.23@早稲田富山キャンパス、およびオンライン配信)を聞いた。連日、イスラエル問題(パレスチナ問題とは言わない)についてニュースが流れる。のに、私がそれを意識し始めたのは、香港人の知り合いYが、そのことをとても気にしていたからだ。他人の関心ごとだから、関心を持てた。そして、岡真理さんの講演会を聞いて、なんと、私は浅はかで、無知だったのかと知った。講演会を聞いて、主催者の一人である中島さんに、メッセージを送った。

中島さんに会ったのは、2019年の4月である。性教育に関する活動をしており、当時、私はそのことに理解を示しているつもりだったが、全く、理解が足りていなかったことが最近になってわかった。フェミニズムを勉強し始めてよかった。たった1冊の本を、10ページ読むだけでも、自身の中の、認識が改まる。氷山の一角だけど、本当にわずかではあるが、それでも勉強し始めてよかった。

某月某日

フェミニズムはみんなのもの」を、久しぶりに開く。栞が挟んであったので、その20ページほど前から読み始め、何が書いてあったのか、再度辿る。無知を思い出す。そして、1度目に読んだときは、どうしてこの書き方をするんだ?と疑問に思った箇所について、理解が深まった。書かれていることは同じなのに、私の中で何か変化して、書かれていることを、以前より理解することができた。そして、それがどう変わったのかを把握することはもはや困難なほどに、私の中である種の当たり前が新しく構築されている。

フェミニズムの本を読み始めたことを、何人かの友人にメッセージを送る。すると、吉祥寺で喫茶おおねこを営むなりささんから返信が来た。「フェミニズムを勉強する仲間が増えて嬉しいです。」そういった返信とともに、何冊かのおすすめ本も教えてもらった。


某月某日

一本路地を入ると、季節が違ったりする。開発が進む登戸駅周辺の中には、おそらく立ち退きを拒否した細長いビルがあり、そこから数百メートル進むと、木で出来た背の高い外套がある。となりのトトロを、何年も見たいと思っているのに、見れずにいることを思い出す。木の外套が一般的だった時代には生きていないのに、懐かしさを感じる。自転車を漕いでいるときも、冷たい風と暖かい風の層がいくつにも隣り合っていて、私はそこを突き破るように進む。

某月某日

ブックオフに立ち寄る。「香港 あなたはどこへ向かうのか」という本が目につき、ぱらぱらと捲る。続けて「香港の家庭料理」という本も眺める。色々な出自の知り合いたちがいるが、私は、ほとんど、彼らが心の奥底で気にかけていることに、寄り添えていない。寄り添うための知識が欠けているから、本を読む。この1年は、奄美大島、沖縄、香港、ROMAの人々のことを少しづつ学んでいる。最近、イスラエルや南アフリカのことを学び始めた。

某月某日

ネットフリックスで映像を眺めながら、可能な範囲でエスペラント語に訳す。案外、多くの単語を知っていて驚く。同時に、よく使われるような表現を、エスペラント語でどう表すのか、わからない。どのようにすれば”自然なエスペラント語で会話”が出来るのだろうか。「それはどこの国の言葉なの?」と聞かれるが、エスペラントは、どこの国にも属さず、土地を持たない。しかし、最近あったワールドカップの公式ボールに6つの言語が記されているが、そのうちの一つがエスペラント語であった。

エスペラント語を学ぶことは、言語とは何か、だけでなく、文化とは何か?実体や存在とは何か?シニフィアンとシニフィエとは何か?国とは何か?言語交流によって人々が交流させているものは何か?など、そういったことについて考えることに繋がる。

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某月某日

そういえば、私は今年の初めにたまたまパレスチナ人と会ったのだった。1月13日の昼、乃木坂の国立新美術館のロッカーで使い方のわからなかった彼に話しかけたことから、一緒に展示を見て、六本木のつるとんたんで夕食をともにし、温泉に入り、ともに小田原に向かう。翌日、彼の親族がなくなったことで彼は非常にupesetしていて、彼をケアしながら小田原で着物や器のショッピングをして、通訳をしながら飲食店で魚を食べ、翌日、私と彼の間に大きな亀裂が起き、私たちの関係は終わった。その時の私は、大変主語が大きくなるが「二度と、外国人とは、他者とは、かかわりを持ちたくない」と思うほどに、最悪な出来事があり、数日間は気分を害していた。

ただ、今思い返すと、私は当時、今よりもパレスチナのことを知らなかったし、今よりも知識があれば彼に何を話しかけたのだろう。upsetする彼の悲しみに触れて、どのように思ったのだろう。


某月某日


興味深い本を見つけた。「人類学者と言語学者が森に入って考えたこと」
奥野克巳さん、伊藤雄馬さん、お二人による本であり、表紙は香山哲さん。

奥野さんは「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」で、この方のことを知った。著書を調べてみると、興味を惹かれる題名がたくさんある。


過去の「生きたり生き存えたり日記」


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