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ロスジェネの「ロス」を決定づけたのは私たちロスジェネ自身だったのだろうか

私、1977年生まれ、ロストジェネレーション=ロスジェネ女です。

ロストジェネレーション(失われた世代)と呼ばれるのは、正直、気分のいいものではありません。でも、ロストジェネレーションというワードは、今や高校の社会科の教科書にも載っているんですよね。

特に,バブル崩壊後の1993年から2004年頃にごろに「新卒」をむかえた世代は,就職氷河期世代(ロストジェネレーション)とよばれ,新卒時の就職先が少なく、不本意に非正規で働いている人が多いとされている。
  このような問題は,個人の責任にもとづく問題ではなく,非正規就業を若者に割当ててきた現在の経済社会のあり方からくる社会構造上の問題である。
  彼らに対しては,近年「就職氷河期世代支援プログラム」という次元対策が進められているが,正規雇用であれば得られるスキルアップや職業能力開発の機会からこれまで排除されてきた結果,新たに必要とされる技能を習得していくことは容易なことでは無い。

東京書籍「公共」令和4年2月10日発行 p.157より引用


ちょっと前の更新ですが、ロスジェネについて鋭い考察を展開するnoteを最近見つけました。ポンデベッキオさんの「ロスジェネ世代、最後の戦い」です。

ポンデベッキオさんの考察はこうです。

”ロスジェネ世代の最後の大仕事、それは高齢者になった時に歪な社会保障制度を改革するための人柱となることである。”

えー!人柱って、生贄いけにえですよね?!

うちの職場のロスジェネたちは、責任を取らないバブル世代の上司とプライベートも充実させるゆとり世代の後輩に挟まれて、中間管理職として、安月給で夜遅くまでコツコツ頑張ってますよ。少なくない年金保険料だって、有無を言わさず天引きされています。なのに末路は生贄?!そりゃないよーって叫びたい。「将来ちゃんと貰えるか分かんないし」とか言ってても、内心では年金を当てにしちゃってるんですけど、貰えないんですかー?

ポンデベッキオさんは、ロスジェネがここから何とか巻き返し、生贄にならずに済む方法を提言しています。有料noteなので、その提言内容をここに書くことはできませんが、すごく納得できるんです。たしかに、その気になりさえすれば、お金をかけずに世の中を動かす方法はあるのです。その気・・・になりさえすればですが……

それはそうと、私たちは社会に出たときから「ロストジェネレーション」などと不名誉な呼び方をされていたわけではありません。でも、思い返せば、後に「ロストジェネレーション」と呼ばれるようになるのは、あの頃がターニングポイントだったのかもと、思い当たることがあります。でも、あの頃の私は、世の中で何が起こっているのか、よくわかっていませんでした。ポンデベッキオさんのnoteをきっかけに、私たちロスジェネがいつ何を失ったのか、考えてみました。そして、私たちがそれを失ったことが、私たちが今のところその気・・・になっていない要因の一つかもしれないという仮説を持ちました。

ロスジェネにとって最も大きな分岐点は、2004年3月に小泉内閣が行った、いわゆる”製造派遣の解禁”だったのではないでしょうか。”製造派遣”とは、工場の製造業務への人材派遣です。今では工場の製造現場に派遣社員がいるのは当然のようになっていますが、”製造派遣”が解禁されたのは約20年ほど前、私が製造業に就職して4年経った頃でした。


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