Spike(スパイク)

2021年10月に脳出血を発症して、ハンデ持ちになりました。自分の経験を多くの人々に伝…

Spike(スパイク)

2021年10月に脳出血を発症して、ハンデ持ちになりました。自分の経験を多くの人々に伝えられたらと思います。拙い文章ですがお読み頂ければ幸いです。

最近の記事

  • 固定された記事

はじめまして

Twitterの固定ツイートに、私が脳出血発症した時のこと、発症後のリハビリのことなど、いろいろ呟いたのですが、文字数制限もありなかなかまとめられていないので、まずはそれから書き始めたいと思っています。 宜しくお願いいたします。

    • 退院→転院

      病院でのリハビリは、自宅で暮らせるようになるためのリハビリなので、一人暮らしではなく、介助ありで生活出来る状態になれば終了。 私は、最終的に公共交通機関の利用訓練を行うため、横浜市の脳卒中脊髄センターというところから、横浜市総合リハビリセンターに転院した。 最初の病院では公共交通機関の利用訓練は出来なかった。 深く考えていなかったので、分かっていなかったが、マンツーマンで付き添って公共交通機関に乗って訓練するのは制約があって難しかったようだ。 歩行と公共交通機関の利用に問

      • 脳のリハビリ②

        私には短期記憶、作業記憶と呼ばれるものに対する障害がある。 前回暗算が出来なかったと書いたが、発症当初は酷かった。 無作為に数字を読み上げられても、復唱出来ない。 規則性のあるものだと症状が分かりづらいのだが、例えば 3、7、2 と読み上げられたら、2は分からなくなっている。(3、7、2、9、6、1、8 などと続けて読み上げられても3番目以降の数字は分からない。) 作業記憶、頭の片隅に残っているはずの記憶が残らない。だから簡単な暗算が出来ない状態だった。

        • 脳のリハビリ①

          脳出血を発症して、一番大変だったことは何か。 それは、頭の中の黒板が使えなくなったことでした。 分かりやすく言うと、頭の中に数字を浮かべることが出来ず、暗算が出来なくなりました。 リハビリ前は、一桁の数字3つの足し算が出来ませんでした。 何をやったか? 昔からある「知能検査」 みたいなことを繰り返しやってました。 例えば、数字を小さい順に線で結ぶとかひらがなを五十音順に線で結ぶとか、読み上げられた数字を思い出すながら、続けて読み上げるとか。 使えないなら、使うし

        • 固定された記事

        はじめまして

          手のリハビリ②

          手のリハビリは、細かい動きを繰り返し行うことから始まりました。麻痺は脳から動かす箇所に対する指示機能が上手くなされないということなので、検査は、親指と各指の腹部分がきちんと付けられるかということから始まりました。 ぎこちないですが、何とか出来る状態でした。 病院でのリハビリは、日常生活に戻るためのリハビリなので、最初は高度なことをやる訳ではありません。例えば色分けされたピンをボードの穴に次々と刺していったり、畳まれたタオルを手のひらで押さえながら、前後に動かしたりし

          手のリハビリ②

          手のリハビリ

          脳出血後のリハビリで、一番印象に残っていること。それは初期の手のリハビリで、電流を流されたこと。 微弱なので、痛いとか痺れるとかは全くないんですが、何か「仮面ライダーストロンガー」になった気分でした。電流で麻痺を治すというよりは、神経の接続を良くするという感じでしょうか。 これが実は効きました。指先の動きはこれをきっかけに少しずつ改善していきました。 リハビリ病棟に移ってからは、細かい手の動きを反復していろいろやってました。 左手は利き手じゃないので、使え

          車椅子生活からの脱却③

          結局、車椅子生活を脱するために必要だったのが、「左側無視」の改善と歩くことでした。 左側無視の改善で大事なこと、それは意識することです。 しかし、発症から2年以上経過しても、治らない「左側無視」 幾つかの例を挙げます。 ①左側にある物に気付かない。 これは、発症直後よりはマシになりましたが、存在するものが見えていません。 今、店舗の清掃をしているのですが、左側の汚れに気付かないという事象があります。 意識するために、再度目視確認したり、見る角度を変えたりしてい

          車椅子生活からの脱却③

          車椅子生活からの脱却②

          前回の続きです。車椅子生活には時間がかかりました。トイレは付き添いなしで行っていましたが、問題なく車椅子からトイレに座るまでの動作→車椅子からベッドに戻ることが出来るようになるのが大前提でした。それで左側を忘れないようになったら、(テーブルの上に手をキチンと置いたままでいられるようになったら、) ようやくリハビリ場への集団移動から単独での車椅子移動が許可されました。 それから補装具を作るまでは、車椅子生活でした。その頃には歩行も安定して、一人で病棟内を動いて、訓練することが

          車椅子生活からの脱却②

          車椅子生活からの脱却①

          車椅子から離れられなかった理由。 それは脳出血の後遺症に原因がありました。 後遺症。これは、実は発症した今も続いています。 後遺症。それは、「左側無視」と言われるものです。 車椅子には、テーブルが付いていました。そのテーブルの上に手を載せて、車椅子が止まっている時は待機するのですが、何故テーブルが必要か分かりますか? 左側無視というのは、文字通り左側を無視するのですが、車椅子についている理由は、左手の存在を忘れるからです。 脳が麻痺している側を意識しないよ

          車椅子生活からの脱却①

          リハビリについて

          リハビリって何やるの? って思われるかもしれません。 基本的には、入院生活から脱出してウチに帰ることが目的なので、ウチでの生活に必要なことをやります。 リハビリプログラムでは、歩行、手の動きを良くすることが第一の目的でした。 入院生活からの脱出→身の回りのことが一人で出来るようになること。 仕事中に発症した私にとっての最終目的は「復職」ですから、「入院生活からの脱出」が最終目的ではない。 ってことです。 入院生活からの脱出って生活に困らないように最低限のことが出来

          リハビリについて

          いろいろ分かって来たリハビリシステム

          ちょっと空きましたけど、前回の続きです。 入院したのが横浜市立の病院なので、土日祝日はリハビリは基本休みかと思ったのですが、作業療法士さん、理学療法士さんのリハビリがありました。(心理セラピストさんのリハビリも、必要な方は受けてました。) リハビリ病棟に移った直後は、土日祝日いずれも1コマ40分だけですが、作業療法士さん(PT)もしくは理学療法士さん(OT)のリハビリを受けることが出来ました。 何故か? 脳疾患の初期リハビリは重要とされているため、優先してコマ数を入れて

          いろいろ分かって来たリハビリシステム

          リハビリの始まり始まり。

          リハビリは1単位40分。 理学療法士、作業療法士、心理セラピストの皆さんの指導によるリハビリのいずれかが組まれる。 平日は、午前が40分×2単位。午後が40分×2単位。 土曜日曜は基本リハビリはないのだが、当番出勤の療法士さんによる40分1単位のリハビリが行われていた。 このリハビリは、全員ではなかった。私も最初の方は受けていたが、受けない日がほとんどになった。 何故でしょう? これは多分リハビリ科に入院したことがある方は分かるかもしれないけど、普通の方には絶対に分からな

          リハビリの始まり始まり。

          生き延びて、リハビリ病棟へ。

          救急病棟に入ってから、2週間でリハビリ病棟に移った。 ベッドはそのまま救急病棟で使っていたベッドのままで、階が移動した。 主治医の先生から、「順調だから、リハビリ本格的にやりましょう。」って言われて即決。 ってこれは、特別でも何でもなく、脳疾患の治療では基本的なもの。私の場合は開頭も無かったので、幸運だった。 救急病棟の人々には、「職場で発症して良かったですね。」と言われていた。 通勤電車内で発症していたら、発見が遅れていたかもしれないし、駅の階段、ホームで発症してい

          生き延びて、リハビリ病棟へ。

          目覚めたら…。

          当然ですが、ベッドの上で点滴してました。 食事出来るかって言われて、完食したのを覚えています。 看護師さんに「食欲ありますね。」って言われたのは、覚えています。 別に身体を激しく動かす訳ではないので、麻痺しているとかそういう実感もなく、入院翌日からリハビリが始まっていました。 まずは自力でトイレに行くところから。 最初は管がついていましたが、入院2日目に外されました。 頭痛がある訳でも無かったので、転倒など万一のことがあるといけないので、用を足すときに看護師さんを

          目覚めたら…。

          動けない。初めての救急車。

          スマホは持っていた。自分の症状を検索していた。 脳出血だと激しい頭痛が起きるのかなぁと勝手に思い込んでいたので、脳が痙攣したのかなぁとか思っていた。 倉庫の床に仰向けになっていた。 動けないから、「無駄な抵抗は止めよう。」と思っていた。 担当のマネージャーに連絡しようとしていたが、止めてしまった。 「この状況なら、病院だな。」 確信した。 店のスタッフさんが「ディベロッパーさんに連絡して、救急車お願いしましょうか?」と言われて、即頷いた。 救急車に乗った時の記

          動けない。初めての救急車。

          異変は突然やって来た。

          2021年10月11日月曜日。 本来の暦では祝日だったはずの日。 しかし、この日は平日。朝9時過ぎ。 私は仕事をしていた。イートインがある店舗でみそ汁をお椀につぎ終わり、それをトレーに置こうとした瞬間、手に力が入らなくなり、お椀を落とした。(端から見たら、手を滑らせたように見えたようだった。) 私は気付いていなかったが、呂律が回らなくなっていたらしい。(そばに居たスタッフさん談) 頭の痛み無し、発熱、だるさも一切無し。 しかし、私は直感した。 多分、脳か神経(脳神

          異変は突然やって来た。