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ロスト in トランスレーション with ヨガ

ヨガ哲学を学び始めて感じることは、「わかりにくい!」ってこと。歴史的参考文献も多いし、インド哲学が大いにからんでいるし。調べようとしても、一部が切り取られてフォーカスする説明がされて全体像が見えず混乱する(壮大な全体像を掴もうとすることが、そもそも無理な話なんでしょうが)。そして何より言葉が意味不明。

言葉が意味不明になっている最大の敗因は、サンスクリット語をカタカナ語にして、一語につき一語の日本語訳または英語訳をあてはめようとしていること。仏教用語なのか、そのカタカナ語のために作られた漢字の言葉もあるようで(たぶんその場合は、サンスクリット語→中国語→日本語と長い道のりを経てできた言葉なんだろう)。とりあえず「チッタは『心』、マナスは『心』、ブッディは『理性』、アハンカーラは『自我』または『エゴ』です」と説明されたときは、何から突っ込めばよいかわからなかった(笑)。

そもそも、ヨガ哲学を言葉としてアプローチするから、この敗北感を味わうのかもしれない。そして、これまで自分が慣れ親しんだロジックや常識を土台として、自分にとって未知の哲学を理解しようとするのは、とても傲慢な話なのだと思う。

ということで、ヨガ哲学についてまったくの初心者ですが、自分の理解を深めることを目的として、気が付いたことをここにまとめていきたいと思います。

と、ここで宣言してたら、読みたくない本も読む気になるでしょう(独り言)。

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