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ウクライナを想うとき、30年前の「アグネス論争」の自由さを思い出す

先日、作家の友人が取材でウクライナに行き、とても良いインタビュー記事を書いてきた。ウクライナで芸能活動をしている人に世界の現状について意見を訊ねたものだ。取材相手が向こうの芸能人だけあって、政治家とも一般市民とも違った、とても興味深い角度から、しかも多角的に突っ込んだ記事はとても読みごたえがあり、素晴らしいと思った。

知人のよしみで私はその記事がメディア媒体に掲載される前に個人的に読ませてもらった。多くの日本人に読んでほしいと思える記事内容なので、私はそのことを知人に直接伝えた。
しかし、結局、そのインタビュー記事は、大幅に割愛された形でメディアに出されることになった。そのウクライナの芸能人は、知人とのインタビューにおいて、戦争のことはもちろん、ウクライナとその周辺国がともにソ連時代の圧政によって宗教が禁止され、食文化も滅ぼされ、民俗的な様々な文化が潰えていく道を辿らされたことを切々と語っていた。また、芸能人の彼から見た現在のロシア人の態度への違和感なども、とてもユニークな視点から語っていた。
以上のすべての箇所は日本のメディアでは割愛されることになり、掲載オーケーとして残された箇所は、彼がウクライナでどのような芸能活動をしていて、その活動が世界のSDGsにどのように貢献しているのか、というものだった。彼の芸能活動は世界平和や反戦運動に直接関わるものではないが、間接的に平和に繋がればいいなと願っていると答えた箇所は掲載される。

なぜそういうことになったのか?と私は知人に訊ねた。インタビュー記事の読み応えのある部分がすべて伏せられてしまったように、私には思えたからだ。芸能活動とSDGsの話題だけなら、わざわざウクライナまで足を運ばなくても、ズームでインタビューしても同じような内容の記事は書けたはずだ。そう感じるほど、割愛された部分の価値は重いと、私には思えた。

炎上のことがネックになり、反論が来るような記事は日本では出せない。

日本は表向きは西側諸国と足並みをそろえる形で、ロシア批判をしている。駐日ロシア大使も帰国させたし、制裁にも加わっている。しかしニュース以外のもっと身近な庶民目線のメディア媒体となると、ロシア批判には及び腰になるのかもしれない。今回のインタビュー記事も、そのウクライナの芸能人がロシアに対して答えた内容を、日本語が読めるロシア人が読んだら怒るだろうか? ロシアを愛する日本人読者が読んだら抗議されるだろうか?と炎上を恐れて結局は伏せる道が選ばれた。このように自主規制を続ける現状でいいのだろうか?

私はみんなでロシア批判をしましょうと呼びかけているわけではない。ただ、読者の私たちに考える自由をもっと与えて欲しいと思っているだけだ。知人のインタビュー記事をカットなしで読んだとき、私たち読者はどう感じ、何を思うのだろう? 興味深いと思うのか? 偏っていると思うのか?あるいは過激だと思うのか? それとも緩い内容だと物足りなく思うのか? いずれにしても、何かを思う自由があらかじめ奪われた状態のものしか目にできないというのは、私はとても窮屈なことだと思う。

反論イコール炎上か?

今の世の中は、反論が来たら、それはすぐに炎上と見なすのだろうか?メディア媒体としては、できればみんなが「ふ~ん」と穏やかに思う内容のものを載せたい。「感動した、泣いた」と思ってくれたら尚更嬉しい。しかし反論的な意見や書き込みを受けたら、マズイことになったと思う、そんな風潮が強い。
しかし、メディアは昔からこのような波風の立たないものを好む姿勢だったわけではない。
今から30年ほど前の1988年に、「アグネス論争」と呼ばれる議論がメディアを賑わせた。簡単に説明すると、歌手でタレントのアグネス・チャンさんが、自分の赤ちゃんを連れてテレビ局に収録にやってきていたことで、周りの女性タレントたちから「職場は赤ん坊を連れてくるところではない」と、ひんしゅくを買ったという話だ。当時、コラムニストの中野翠さんや、歌手の淡谷のり子さんなどが批判コメントを流し、そして作家の林真理子さんが週刊誌でアグネスさんへの批判的なコラムを連載すると、さらにアグネスさんも別の雑誌を使って林さんへの反論を書き綴った。
そう、30年前の雑誌は読者からの反論を恐れて当たり障りのない記事を選ぶのではなく、あえて世間を挑発するような記事を載せていたのだ。
当時は、男女を問わず多くの人が「アグネス論争」に関心を抱き、巷でも人々の話題にあがっていた。今でいうところの炎上であったはずだが、当時は炎上という言葉は誰も使わなかった。

良くも悪くも、雑誌は世間の話題を作る媒体だった。あれから30年がたち、話題作りよりも自主規制が主流になる時代になった。

批判がそれほど怖いのだろうか? 批判や反論をたくさん受けることは、それだけ話題になったと捉えることはできないだろうか? 万人が「ふ~ん」と思うだけの記事など、すぐに忘れられるのではないか? 読者の心をひっかくことができた内容だから、リスポンスが来るのではないか?
ましてやウクライナ戦争という、まさか2022年にもなって旧時代的な戦争が勃発するとは驚きの事態だ。こういう時こそ、時代に爪痕を残すような記事を載せてほしい。私たち読者に、ずっと何年も心に残るような、数十年後になっても今の時代を忘れないような記事を掲載してほしい。

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