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日本のことをマンガで学ぶならこの三作!絶対外さないゾ!

みなさんこんにちは。和樂web編集長のセバスチャン高木です。コロナとの生活はしばらく続きそうです。

こんな時なので学校の授業で習ったきりすっかり忘れてしまった日本文化のことを学んでみては?と思うのですが、本を読むのはちょっと気分的にしんどいときがありますよね。

そんな時おすすめなのがマンガです。ここでは「日本のことはぜーんぶマンガから学んだ」と豪語する、私、セバスチャン高木が日本文化を学ぶためのおもしろくてためになるマンガを三作紹介します。

*本稿は「ダ・ヴィンチニュース」の編集長コラムで2018年4月28日〜2019年2月9日に連載された拙コラム「日本のことはぜーんぶマンガが教えてくれた!」のマンガ評部分を抜粋し、修正加筆の上まとめたものです。

こういうことをやらねばなりませぬ。和樂webも。

和樂の仕事もマンガで乗り切ったった!

今でこそ「日本のことをよく知ってます!」みたいなドヤ顔をしていますが、17年前、『和樂』へ異動したばかりのころは不安でいっぱい。「こんなところでやっていける?」と膝をがくがくさせていました。

が、意外とやっていけたのです。専門分野を持つスタッフや文化人の方々が語るふかーい話をふんふんと相づちを打つ程度ですが、それなりについていくことができたのです。

それを支えてくれたのが、私が5歳の時から片時も離さずにいたマンガでした。

手塚治虫先生の『ブッダ』、山岸凉子先生の『日出処の天子』、大和和紀先生の『あさきゆめみし』など、かつて愛読したマンガから学んだことがここにきて結実したのです。

私がマンガから得たもの、それを少しでもみなさんにお裾分けできるのであれば、マンガと日本文化を愛する私にとって望外の喜びです。ではいってみましょう!

https://open.spotify.com/episode/3R12qRQ9CQJZdkoUKBJcWn

『阿・吽』おかざき真里 平成の日出処の天子が誕生した!


タイトルとなった「阿吽」(あうん)とはサンスクリット語で、最初の字音である「ア」と最後の字音である「フーム」を示す言葉。そこから転じて万有の始原と究極を象徴する言葉となりました。東大寺の仁王門で金剛力士像二体の口がそれぞれとっている「あ」と「うん」と言えばわかりやすいですね。

日本が生んだ仏教界二大スーパースターの最澄と空海は、ともに万物の真理を探求せんと日夜修行に明け暮れました。果たしてふたりがそこにたどり着いたかは定かではありませんが、そのふたりのマンガに「阿・吽」と名付けるとは、タイトルからして名作誕生の予感がぷんぷんとします。「源氏物語」をテーマとしたマンガに『あさきゆめみし』と名付けた大和和紀先生を彷彿させるところがあります。

さて、「阿・吽」の作者であるおかざき真里(敬称略で失礼します!)と言えば、『サプリ』や『&-アンド-』に代表される作品において、働く女性の物語をリアルな心理描写と洗練された絵で描いています。

そのおかざき真里が最澄と空海の物語????? 最初その話を聞いた時は「ええ? うそでしょー」と思ったものですが、単行本の1巻を読んだ時、あくまでも読者視点ですが、「ああ! これは山岸凉子の日出処の天子のおかざき版だ」と腑に落ちました(これも自慢ですが、このことは第二巻の帯で図らずも証明されたのです)。

山岸凉子の『日出処の天子』を初めて見た衝撃は30年以上を経た今でもはっきりと覚えています。ほんと「なんじゃこの聖徳太子は!」だったのです。

だってそれまで聖徳太子と言えば、お札に描かれた笏(しゃく)を持った姿と十七条の憲法を制定したというイメージがあまりに強すぎて、とても自分と同じ人間とは思えませんでした。そのごりごりに固まった聖徳太子像を『日出処の天子』は今風に言うとBL的な描写でこっぱミジンコに打ち砕いたのです。

『日出処の天子』。なんじゃこりゃ!と思わず叫んだ聖徳太子像。今読んでも新鮮です。

『阿・吽』はそれと同じような衝撃をウン十年ぶりに私にもたらしました。おかざき真里が描く最澄と空海は超イケメンかつ人間くさくて、えらいお坊さん(ほんと、ひどい言葉すみません!)はなんとなく枯れていて最初から超越した存在だったんじゃない? といういつもながらの固定観念をふっとばしてくれたのです。

そんなオシャレな最澄と空海がくりひろげる物語は(オシャレなのは絵だけでストーリーは骨太です)本編を読んでいただくとして、『阿・吽』を読んで私がびっくりしたことがあります。それは「文字の存在がすごく視覚的だなぁ」ということです。たとえば最澄が経文を読んでいる場面では、経文から文字が虫のように飛び出してきて、最澄の身体を取り囲んでいきます。

今のように文字がそこかしこにあふれている時代とは違い、最澄と空海が生きていた時代って、文字ってここに描かれているように確かな質量を持っていて、経文を読むということはそれを身体に取り込むことだったのかな? などと思わせてくれるのです。それを本能的に感じ取って表現するとは、おかざき真里恐るべし!ですね。

最澄と空海は、おそらく日本史上屈指の知能と才能を持つ天才でしょう。こんな天才たちのことを頭で理解しようとしても無理な話です。ですが、おかざき真里は身体性をもってまったく別の世界観を描ききるのではないでしょうか。楽しみ楽しみ。 

2020年5月5日現在単行本は11巻まで発売。物語はいよいよ佳境を迎えます。『阿・吽』はどこまで飛んでいくのかわからない最澄と空海の新しい物語です。


『青春うるはし! うるし部』堀道広 史上最強のうるし学習マンガを知っていますか?


縄文時代と言えば重要な発明、いや、発見があったことを忘れてはなりません。それがうるしです。

英語で漆器のことをjapanといい海外では日本の特産品として知られているうるしですが、日本では9000年前からその存在が確認され、世界最古とされています。青森の三内丸山遺跡をはじめとし、さまざまな縄文遺跡からうるしを使った器や祭の道具が発掘され、縄文人の生活にうるしが重要な役割をはたしていたことが最近の研究でわかってきました。

9000年もの昔から日本人の生活に密着に関わってきたうるしですが、その仕組み、工程たるやあまりに複雑で、何回読んでもちんぷんかんぷんです。

木地やら、下塗りやら、研ぎやら、もうだめーっとなっているころ、出合ったのが史上最強のうるし学習マンガ『青春うるはし! うるし部』でした。やっぱり、マンガってありがたいですね。

でも、うるしって木地を作ったり、うるしを塗ったり、そんな地味な作業がマンガになるの?という疑問をお持ちの方はコロコロコミック躍進の立役者となったすがやみつるの『ゲームセンターあらし』を思い出しください。

作者のすがやみつるは最初「座って遊ぶゲームなんてマンガになるわけない!」と思ったそうです。ですが、「ゲームが動かないのであれば主人公が動けばいい!」と思いいたり、あの必殺技の数々が生まれたのだとか。

ゲームなんてマンガになるわけないという常識をうちやぶったすがやみつるの『ゲームセンターあらし』。
 

一秒間に200万回手のひらをゲームのレバーに打ち付けることによって生じる摩擦熱を利用した「炎のコマ」、あるいは、ジャンプし身体をひねりながら頭から急降下する「月面宙返り」など、「ゲームセンターあらし」は、一見ゲームとは関係ない動きを取り入れることによって、史上空前のゲームブームを生むマンガとなったのです。

ね、どんな題材でもマンガになることがわかったでしょ。このエピソードを読むといつも私は、往年の名レスラー、リック・フレアーが言った「私はほうきとでもプロレスをしてみせる」という言葉を思い出してしまうのです。

「ゲームセンターあらし」と同じく、「青春うるはし! うるし部」では、主人公の漆原塗平(うるしはらぬりへい)が木地の狂いを止める木地固めを「必殺木地固め!!」と言いながら、逆立ちになって自分を回転させて作業をしたり(これは間違いなくゲームセンターあらしへのオマージュですね)、水の代わりにうるしを満たしたプールでうるし泳対決をしてうるし部の危機を救ったりと、およそマンガにはなり得ないうるしを青春部活マンガとして成立させているのです。

このマンガがなぜ世の中でそんなに知られていないのか? そして、なぜ日本中でうるしブームが巻き起こらなかったのか?私にはそれが疑問でならないのです。

そして、マンガにおいて何をおいても重要なのは登場人物たちのキャラクターです。古くは『あしたのジョー』における力石徹、『北斗の拳』におけるハート様、『私立極道高校』における学帽政など、強烈なキャラクターの存在は名作マンガには欠かせない存在です。

『青春うるはし! うるし部』はこの点においても名作と呼ぶにふさわしいキャラクターをそろえています。

うるし部の象徴的存在であるぼろぞうきん先生は、今は汚いぞうきんですが、元は日本におけるうるしの祖という設定。顧問の松田権作はうるしの鬼と呼ばれた実在の人物松田権六を想起させますし、O国大統領候補なのに占い師の予言で日本に留学したバーナード・ピーチは、民藝運動のバーナード・リーチをもじっています。そして、最強の敵村上ゆう子の恐ろしいヒミツなど、うるし好きなら思わずくすっとなるか、顔を真っ赤にして怒り出すかどちらかという強烈キャラの数々もこのマンガの見どころのひとつです。

ただ、ひとつ欠点を言えば、あまりにキャラが濃すぎて肝心のうるしのことが頭に入ってこないということかもしれません。

実を言うと私も一度目はまるでうるしに目が行きませんでした。ですが、二、三度繰り返し読んでいるうちに、しっかりとわかりやすくうるしのことを学ぶことができるという怪作マンガです。

作者があとがきで「輪島塗の修行、社寺建築の漆職人、御徒町の漆屋さんなど、(中略)13年くらい体験取材しないといけない(後略)」と書くように、本作は作者の長年の経験に裏付けされていて、おふざけが効いたキャラクターとは反対に、その内容たるや実に本格。

うるしの技法、歴史、現状の問題などをしっかりと学ぶことができる大人のうるし学習マンガとしては、世界で唯一無二の存在です。


『妖怪ハンター』諸星大二郎 鬼才・諸星大二郎が描く傑作伝奇ロマン!!(って帯に書いてありました)


日本文化の多様性を生んだもの、それはもしかして八百万の神と言われ、山や川、はてはその辺にころがっている石ころにまで神が宿っていると考える、日本の超絶多神教にあるのかもしれません。

たとえば福井県越前市にある岡太(おかもと)神社・大瀧(おおたき)神社。越前と言えば言わずと知れた和紙の産地、そこでは数多くの和紙にまつわる神話や伝説が伝えられ一大和紙文化圏を形成しています。

岡太神社・大瀧神社には日本で唯一の紙の神様である川上御前が祀られ、かつては和紙文化の中心をになっていたことが容易に想像されます。

このように日本にはとんでもない数の、しかもあっと驚くような神様が存在し、その数に比例するだけ神話や伝説が各地に存在します。そのバラエティに富んだ物語は、柳田国男や南方熊楠、あるいは宮本常一といった知の巨人たちを魅了しました。

しかしながら私のような知の凡人たちはこの複雑怪奇な日本の神々や伝承の世界をどのように理解すればよいのでしょう! そこで、おすすめしたいのが「鬼才・諸星大二郎が描く傑作伝奇ロマン!!」(文庫版帯より)の本作です。

いや、このマンガ、『妖怪ハンター』ってタイトルが付いているので一瞬、「ベム! ベラ! ベロ!」系のマンガかと見紛うのですが、めちゃくちゃ本格的です。

いえ、「妖怪人間ベム」を決してディスっているわけではなく、あれはあれで人間の存在ってなんだろう? と深く考えさせられる名作ですし、オープニングのベム、ベラ、ベロが誕生する過程は明らかに古事記における国生みの神話を意識しているであろうと思われ、子ども向けの番組でそれをやってしまう当時のクリエイターたちは尊敬に値するのですが、それは置いといて。

いずれにしても『妖怪ハンター』には妖怪なんてほとんど登場しません。それどころか古事記や聖書、さらには、東北のキリスト伝説などを下敷きにして、その世界を丁寧になぞりながらまったく新しい物語をつくるという、それ自体がまるで神話そのもののような作品なのです。

作者の諸星大二郎が蒐集した知を、わかりやすく楽しく恐ろしく私たちにお裾分けしてくれるという、知の凡人たちにはたまらない怪作です。こっそり告白すると、私の古事記に関しての知識は、だいたい諸星史観によって形成されています。

そして、何より主人公の稗田礼二郎(ひえだれいじろう)がとってもセクシーでかっこいい!(え? 何よりってそこ? はい、そこです。だってマンガですからキャラは大切ですよね)。

妖怪ハンターの主人公、稗田礼二郎(ひえだれいじろう)。名前も髪型も服装も何もかも規格外だ!

まっすぐ伸ばした長髪をセンターパーツで分けるという一歩間違えると宅八郎のような髪型。夏だろうが、冬だろうが、黒いスーツに黒いネクタイを身につけ、その格好で人里離れた伝説の地を歩いてしまう剛毅さ。学会から異端者扱いされてもまったく意に介さずいかがわしいものばかりを追跡するメンタルタフネス。そして女子生徒から「ジュリーに似ている」と言われると「よせよ」と一蹴するクールさ。

ああ!今度生まれ変わったら稗田礼二郎になりたい(名前は変だけど)と思わせる魅力があります。

稗田礼二郎は全国各地を訪れ、多くの奇怪な事例に出合います。そこに登場する異界の住人たちは、それをわれわれは神と呼ぶのですが、多くの場合人間のエゴによって呼び出され、災いを巻き起こし帰って行きます。そこで稗田は言います。「大体異界から来るものを人間が選ぶことができるだろうか……」「幸をもたらしてくれるよい神だけを招き、悪い神…災いをもたらす禍つ神は入れないというような事が……」(「妖怪ハンター 地の巻」より)。

稗田深い! 深すぎます! まったく私たちは何回あやまちを繰り返せば、途方も無い力を得ることが諸刃の剣であることに気がつくのでしょうか。

本作は1974年『週刊少年ジャンプ』誌上で掲載がはじまりました。あらためて40年以上前に発表された作品を読み返してもまったく色あせることなく、『妖怪ハンター』が時代によって左右されるものではない世界観を作り出していることに感嘆します。

さらに本作を傑作たらしめているもの、それは稗田礼二郎が妖怪ハンターだけでなく、伏線ハンターでもあることです。

嘆かわしいことに、今世の中には伏線を拡げるだけ拡げて回収できないマンガが数多く存在します。ですが、稗田礼二郎は一作の中ですべての伏線を回収していきます。そこにはひと言の見逃しもない、ミスター回収です。その凄まじいばかりの回収力! ああ! ●●先生にも見習っていただきたいなどと思う今日この頃です。

終わりに

日本文化を学ぶ傑作マンガ三選いかがでしたか?もっと日本文化をマンガで学びたい!という方は和樂webのスクラップボックスに作品タイトルをまとめていますので、ぜひご覧ください。

また、いないとは思いますがもう少し拙コラムを読んでみたい!という方はダ・ヴィンチニュースの編集長コラムをどうぞ。雑誌の編集長からウェブの編集長になって、更新が止まってしまいました。


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