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「茶の湯の楽しみ」から #03

Website「茶の湯の楽しみ」の歴史。今日もまた検索&掘り下げ。


茶の湯の前史

”前史”から、なかなか進まない。

紀元前のこと、”奴隷との契約文” !? の記述から。茶を煮る道具を整頓させたり、茶を買いに行かせる、という内容。「契約にないから酒は買わない」と抗った奴隷が、しっぺ返しをくらい後悔するという面白い小話だ。

王褒(おうほう)の、漢代の神爵三年(BC59)正月十五日の日付のある 『僮約(どうやく)』(奴隷との契約文)に「烹荼盡具(烹茶、具を尽くす)」(茶を煮る道具を整頓すること)、「武陽買荼(武陽で茶を買う)」(武陽で茶を買うこと)とあり、武陽まで荼を買いに行くことが奴隷との契約文に入っていることから、既に当時、茶が商品となっていたことがわかります。ただ『僮約』自体は、王褒が下宿した楊恵という未亡人の便了という奴隷が、酒を買ってくるようにと命じられたのに対し墓を守る契約で買われたので酒を買う事はできないと抗したのに対し、王褒は一万五千銭をもって楊恵から便了を買い取り、便了を懲らすため「晨起早掃 食了洗滌」(早く起きて掃除し食べ終わったら洗い物)と朝から晩までの百役を課し、背けば笞一百という契約を作り、あまりのことに便了が始めから酒を買いに行けばよかったと嘆くという、戯文です。

『中国喫茶詩話』にも同じ事柄について解説が記載されていた。「茶」「苦荼」などの呼称についても、考察含め詳しい記述がある。

王褒(おうほう)
[生]?
[没]神爵1(前61)
中国,前漢の文学者。資中 (四川省) の人。字,子淵。宣帝のとき諫大夫となった。『九懐』『洞簫賦』などの辞賦を著わした。諧謔的な筆致で奴隷の境遇を描写した『僮約 (どうやく) 』は,当時の社会生活をうかがう資料として価値をもっている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

王褒がリストアップした仕事の一部というのがあり、二千年以上も前、すでにこんな様子だったのかと思うと面白い。

王褒がリストアップした仕事の一部をみてみると:

「舎中有客 提壺行酤」 (家に来客があるので、壷を提げて酒を買いに行く。)
「築肉臛芋 鱠魚炰鰲」(肉をつき、芋を叩く。魚をなますにし、亀をあぶる。)
「烹荼盡具」 (荼を煮出し、器を並べておく。)
「武陽買荼」 (武陽に荼を買い出しに行く。)
「慎護奸偸」 (泥棒に警戒する。) …等々

出典:お茶ミュージアム、市川園


二千年以上の時が流れ、人類はどれだけ進歩したのだろうか。「人の一生なんてほんの一瞬、瞬きのようなもの」と、先生が喩していたことがある。つまらないことで悩んだりしている時間は無い。


令和元年六月十七日(2019.06.17)

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