見出し画像

「茶の湯の楽しみ」から #02

Website「茶の湯の楽しみ」を楽しむ。茶の湯の歴史を何度か開く。目で追って理解したような気分になるが、もう少し検索などして掘り下げてみる。

茶の湯の前史

孔子(BC551~BC479)が古来の詩のなかから300編を選んだと伝えられる中国最古の詩集『詩経』に「誰謂茶苦、其甘如斉」と茶の記述があり、晏嬰(あんえい;~BC500)の 『晏子春秋』 には 「食脱粟之飯,炙三弋五卵,茗茶而已」 とあり、この時代に茶がある程度の広がりを見せていたことがわかります。

引用:「茶の湯の楽しみ」より

紀元前から茶は既に飲まれていて、詩にも出てくるほど親しまれていたということに、いつも驚愕する。

孔子も『詩経』も、名を聞いたことはあるが、理解度は低い。

孔子【こうし】
中国,春秋時代の思想家儒家の祖にして儒教の創始者。名は丘,字は仲尼(ちゅうじ),魯(山東省曲阜)の人。幼にして父母を失い,貧苦の中で学に志し,周公を理想の人物と仰いだ。魯の国に周公の理想的政治を実現しようとして大臣になったが,反対派のため実現できず,国外にのがれて諸国を巡歴した。このころから弟子団が形成され,孔子は小国分立の中で中国の統一を願ったが果たされず,18年間の巡歴の後,魯に帰った。周公の理想を伝える《書経》《詩経》を編集し,〈礼〉を重んじ,弟子の教育に当たった。孔子は〈仁〉を中心として人倫を建設することを目的とし,葬礼,孝などの実行を大きな徳目とした。人間社会における家族生活の倫理が国家・天下を平定する原理になることを説き,そのことによって個人的自覚を得させようとした。孔子の言行は《論語》に記されているが,その弟子は70人を超え,なかでも優秀な顔淵,閔子騫(びんしけん),冉(ぜん)伯牛,子貢,子路,子夏など10人を〈孔門十哲〉という。儒教はこれらの弟子によって各地に伝えられ,漢代に国教となって以来,歴代王朝で重んじられ,故郷の曲阜をはじめ各地に孔子廟が建てられて盛大な祭(釈奠(せきてん))が行われた。民国成立後は孔子批判もまた盛んであり,近くは〈批林批孔運動〉(ひりんひこう)が知られる。

出典 株式会社平凡社百科事典 コトバンクより

三孔と呼ばれる3つの建築群。孔廟、孔林、孔府が山東省曲阜市に現存。ユネスコ世界遺産。

孔子の子孫一族に伝承する家系図「孔子世家譜」。これはギネス・ワールド・レコーズ「世界一長い家系図」として認定(2005年)。これまで5回の大改訂が行われているらしい。(2008年資料収集終了、翌年完成)

壮大すぎて…。


晏嬰(あんえい)の 『晏子春秋』、これらは初耳。

『晏子春秋』
中国、春秋時代、斉(せい)の霊公、荘公、景公の3代に仕えた宰相晏嬰(あんえい)の言行を集録した書。『漢書(かんじょ)』の「芸文志」の諸子略の儒家類には単に『晏子』と称する。中唐の文人、柳宗元(りゅうそうげん)がこの書を斉国在住の墨(ぼくてき)の徒の作とみなして以後、書目によっては墨家類に列する。なお、『四庫全書総目提要』ではこれを史部伝記類に収める。現行本が司馬遷(しばせん)、劉向(りゅうきょう)、班固(はんこ)などがみた書と同一物であるか、それとも後人の編纂(へんさん)物であるか、判然としない。現行本は内篇(ないへん)と外篇とに二分され、前者は諫(かん)上下、問上下、雑上下の6篇、後者は上下の2篇からなる。内容的には、もっぱら治政の要諦(ようてい)としての勤倹力行が説かれているが、各篇相互に同工異曲の問答、説話を数多くみいだすことができる。資料的には格言や説話の宝庫として活用できよう。注解としては呉則虞(ごそくぐ)『晏子春秋集釈』が優れている。[伊東倫厚]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」 コトバンクより

こうして書物が残り、伝わっているのも凄いが、膨大な古書から「茶」に関する記述を拾って研究する人たちも、凄い…。

井上靖の歴史小説「孔子」(1987〜89年、雑誌「新潮」に連載)もあるのか。ベストセラーだと。読む?読むべき?


令和元年六月十三日(2019.06.13)

いただいたサポートは茶道・抹茶の普及に役立てたいと思います。