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はじめてあおいまつりにさんかしてかんどうしたよ

はじめてあおいまつりにさんかしてかんどうしたよ

仮にも京都に2年住んできた者として、京都に住んでいるうちにやっておきたい!と思うことの1つに「祭りに参加すること」を挙げる人は一定数いるのではないでしょうか?

寺社仏閣が多いいにしえの街、京都。巫女みこ禰宜ねぎをはじめとする様々な伝統的装束を着る機会は腐るほどあります。今回はその中でも京都三大祭りに該当する葵祭あおいまつりに参加してきました!



葵祭ってどんな祭り?

京都三大祭りといえば葵祭(5月)・祇園祭(7月)・時代祭(10月)が挙げられます。その中でも葵祭は実に1500年ほど前から行われている最も由緒のあるお祭りです。

祇園祭(7月)
時代祭(10月)
昔の葵祭

毎年5月初旬から様々な儀式が行われるのですが、その中でも5月15日に行われる「路頭の儀」は、京都御所を出発し賀茂御祖神社(下鴨神社)を経由して賀茂別雷神社(上賀茂神社)までの約8kmの道のりを平安装束を纏った500名以上の人々と可愛い動物たち(🐴36頭・🐮4頭)がなんと約1kmにもなる長い列をなして歩く最も見どころのある儀式です。

路頭の儀


葵祭のヒロインは斎王代さいおうだい。路頭の儀では斎王代列に参加しており、従者が運ぶ車の上に座っています。斎王は、賀茂神社に奉仕する内親王(皇族の女性の身分の1つ)を指します(それに対して伊勢神宮に奉仕する内親王は斎宮といいます)。
斎王が現役でいるときは、葵祭のヒロインは当然斎王だったのですが、鎌倉時代に斎王の制度がなくなって以降は斎王代がその役割を担っています。毎年京都に所縁のある未婚女性が選出され勤めており、今年は松浦璋子あきこさん(22)が勤めています。
かつては斎王はそのお住まいである斎院(現在の櫟谷七野神社内)から出発し、一条大宮で合流していたのですが、現在では京都御所から一緒に出発しています。

今年の斎王代



ちなみに葵祭は紫式部が書いた「源氏物語」にも登場します。
光源氏の愛人である六条御息所は御禊の行列に参加する光源氏の姿を一目見ようと牛車でやってきます。しかし、遅れてやってきた光源氏の正妻・葵の上の牛車がやってきて従者によって六条御息所が立ち退かされてしまい大衆の面前で大きな辱めを受け、惨めな思いを抱きます。このシーンは「車争い」と言われており、源氏物語でも非常に印象的なシーンでしょう。

車争い


葵祭が何たるかを書くのに1時間もかかっちゃったよ……


今回僕が務めた役割

さて、本題。

私が通う大学は定期的に祭礼のアルバイトの公示がくるのですが、葵祭もその例に漏れずしっかりと募集されていました。装束を着てみたかった僕は当然参加。当日は朝7:40に京都御所に集合しました。

嬉しいことに今回は「路頭の儀」の行列の中でもメインの斎王代列に参加させていただけることに、、、!



さらにさらに!!
本当に奇跡的なことなのですが、僕が務めたポジションは花傘で、斎王代列に参加する高貴な身分の女性を傘で陽の光から守る役割でした。そもそもこの役割自体全体のうちたった16人しかできないのですが、僕はその中でも女別当おんなべっとうという『斎王代の次に』偉い方の花傘を務めました!!!!

なんて貴重な役割なんでしょう、、、!!!!!
女別当の花傘は僕を含めてたった2人なので、マジガチでレアなお仕事です!

女別当さんはその偉い身分であること、行列全体の一番最後に並んでいること、めっちゃくちゃかっこいい装束を身に纏っていることもありその隣にいる僕は恐ろしいほど写真・動画に収められているでしょう笑


はじめての装束!

僕はこんな格好になりました!
真っ白な装束に黒の烏帽子えぼし、足には足袋たび草鞋わらじを履いています。

十二単を纏っている女性陣とは違って、我々の装束は非常に通気性が良いのでそこそこの枚数の布を纏っていましたが、意外とあんまり暑くありませんでした!


やってみた感想

①花傘が重いよぉ

僕が持っていた花傘は2番目に偉い人の花傘であることもあって、非常に華やか。
女性がしっかりと日陰に入るように傘は大きめになっているので、詰まるところ

めっちゃくちゃ重い。

しかも普通に傘をさす場合とは異なり、女性の左後ろに立ち傘を前に傾けないといけないので、両腕への負担が半端ないんですよね笑
いくら2人がかりで交代しながら支えるといえど、後半は結構しんどかったです。

僕の大学は、花傘以外にも花籠という昔の物売りみたいに籠が2つありその間を木の棒で繋いでいる籠を1人で持ち続ける人や、朱傘という閉じた傘を1人で抱え続ける人がいました。花傘と比べたら負担は小さいかもしれませんが、それを1人で続けないといけないので結構しんどそうでした。

the 肉体労働ですね。

②わらじ

上の写真では見えませんが、草鞋を履いていました。懇切丁寧に履き方を教えてもらったので無事「草鞋の履き方入門」の単位を獲得。今では一人で履くこともできます。みなさんも、お家に草鞋しかないとき・おじいちゃんおばあちゃんの家に行ったは良いけど草鞋しかなかったとき・上司に草鞋を履きなさいとパワハラを受けたときなど、草鞋を履かなければならないシーンは目に見えない至る所にあると思います。

履かないといけなくなってからじゃ遅いんです。
今からでも履き方をちゃんと学んでおきましょう。

8kmも歩くと、当然草鞋は徐々に擦り切れてきます。上賀茂神社に到着するころには先っぽはほぼなくなっていました。草鞋の紐は親指と人差し指の間を始め、さまざまなところを締め付けてくるし。痛い痛い。

幸いなことに靴ずれは起こらなかったので良かったですが、日常生活では履きたくないですね(なんか前にいた同じ大学の男子が草鞋を毎日履いて大学に通ってる猛者だったのよ笑)


③ワカラナイ

僕が仕えた女別当さんをはじめ、僕らの周りは高貴な身分の人が多かったので、白粉おしろいをした女性がたくさんいました。その中には、知り合いの方の紹介で参加した方もいれば、応募して参加した方もいます。
本当にいろんな方がいます。

あのね、白粉をしていたからまーじで年齢わからなかった笑

僕の前に並んでいた人は中学生で、公欠が取れなかったことに嘆いたし、僕の後ろに並んでいた小柄な人はさっきの子が中学生だったから「中学生ですか?」って聞いたら「社会人です笑 なんなら隣の子は大学生です笑」って言われたし(本当に失礼しました)、一番後ろに立っていた背が高めの人は大学生かなって思ったら中学生と高校生だったし……

女の人の年齢は全くもって見当がつかないものです。特に白粉のように肌感という重要な情報を隠してしまうと。みなさん本当にお綺麗でしたが、バーテンダーをしている人間としては、女性に年齢を聞くときの聞き方というのは非常に気を遣わないといけないなと反省しました。。。。





祭りはもはや見るものじゃなくて参加するもの。

非常に貴重な経験をさせていただきました。7:40~17:00と長い間のお仕事だったので、お昼ご飯は支給されるわ、お手当はちゃんと出るわ、記念品はいただけるわで結構いたせり尽せりでした。

こんな貴重な経験をさせてくれるのにお金をもらえるなんて世の中捨てたもんじゃないですね。

残りの京都三大祭りは祇園祭と時代祭。参加することができたらまた参加したいです。ここだけの話、給料が手渡しで色々とありが(ry



大学生のうちでしかできない様々な「はじめて」をこれからもたくさんやっていこうと思います!



※掲載している写真は僕自身の写真を除き、全てインターネット上の記事から引用したものです。


P.S.
生々しい。

あ、あと🐴と🐮めっちゃ可愛かった。大好き。



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