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「異性の友達」にはもはや一番嫌いな言葉を使わざるを得ない


嫌いな言葉。きっと皆さんにもあるだろう。

妥協。
残業。
早起き。
勉強。
人間。

この言葉を聞いて多くの人が渋い顔をする様子がありありと思い浮かぶ。
私には、1番好きでかつ1番嫌いな言葉がある。










それは、「つくる」である。



ほう?と思ったかもしれないが、この言葉が好きでかつ嫌いなのは、当てられる漢字が異なるからだ。



1番好きな言葉は「創る」

旅行に行くときにどのようなルートで行くか創造したり、刺繍や木工で作品を創ったり。。

0の状態から1、そして10まで創りあげる行為が凄く好きだ。



そして1番嫌いな言葉は「作る」

ひょっとすると、学生時代に先生からこんな言葉を言われたことがあるかもしれない。

「修学旅行は、大事な思い出作りの場なんですよ!」


昔からこの言葉には私はこんな疑問が浮かんでいた。

「思い出って意図的に作るものなの、、、?」

何十年後も記憶に残ることは、意図的なものではなく、何か想定外のことが起きて始めて残るものだと思う。

実際、北海道の旅行でも、九州の旅行でも、その他の小さな旅行でも、自分が見たかったものはもちろん印象深いものの、それと同程度にハプニングのときに焦った自分が強く記憶に残っている。

確かに、これは他の例にも当てはまる。聖書なんかどうだろうか。

聖書は何千年も読み継がれている本である。他にも色々な書籍があるが、ここまで読まれ続けているものは殆どないだろう。

なぜか?

それは聖書には、普通に考えたらおかしい話が混ざっているからである。もし、聖書の内容が日常に即したものだけだった場合、きっと今まで読み継がれていない。普通だからだ。想定外の物語が入ってるからこそ、脳によく印象付けられるのだ。


思い出作りというのは、普通のものをさも普通じゃないかのように見せかける行為に思えてならない。




他にも友達を作る、とか彼女を作るというのにも使われているだろう。

そろそろ彼女作ろうかなぁとかほざいてる人がいるが、彼らにとって彼女という存在はなんなのだろうか?

きっと自分をよく見せるステータスや、都合よく使えるモノとしか見られていないのだろう。例え無意識にでも。


どこかで残したかもしれないが、私はカントの「いつ何時も人を手段としてではなく、目的として扱え」

という言葉を1つのポリシーとしている。コンビニに行ったときに、私たちは店員さんがいなければ、商品を買うことすらできない。

だから、私は商品を渡すときはお願いします、お釣りを受け取るときはありがとうございましたを言うようにしている。

他にもレストランではお会計が終わったときにご馳走様でしたと言ったり。

そういうように動いているから、彼女を作るという言葉が嫌で嫌で仕方がない。なんだか女性を女という記号としか見ているようにしか思えなくて。

だから最近は特に意図的に
「パートナーを持つ」などと言い換えたりしている。




でも、1つだけ(今のところは1つだけ)、「作る」を使わざるを得ないことがある。


それは異性の友達だ。


どう足掻いても異性の友達は「作る」という言葉を使わざるを得ない。










正直に言おう。私は今すごく仲良くなりたい異性がいる。


本当に下心なしで。

その方はユーモラスで可愛げがあって、馬が合いそうな気がする。


でもなかなか、アプローチできないでいる。


「付き合いたいではないの?」とか
「何でアプローチできないの?」とか
色々な疑問が浮かぶかもしれないので、1つずつ取り上げよう。

①なぜ付き合いたいではないの?

このブログの内容は、塾でチューターさんと採点しながら雑談してた内容がベースになっている。

そのときの雑談で、自分が旅行するときに事前に立てた計画表を見せたら、褒めてくれて、「そこまで行ったら多分彼女いらないっすよ、多分邪魔っす」と言われた。

もし彼女と一緒に旅行に行くとすると、先ずアホみたいに過密なスケジュールができない。朝5時半に出て0時に帰ってくるとか無理だね笑

旅行する行き先も、日本全国をほぼ制覇して、日本で行きたいところが両手で収まるくらいしかない僕は、きっと彼女の行きたいところに行く感じになるだろう。

そうなると、どちらかというと付いていく感じになりそうで、普段の旅行に対する積極性がなくなってしまいそうな気がして少し嫌だ。旅行先でショッピングかよ〜って旅行を楽しみつつも心の底で思ってしまいそうだ。

あとは、泊まる場所。ネカフェでええやん。
でも多分ダメなんだろうなぁ。旅行のクオリティと宿泊先のグレードは無関係だと考えている僕は、それが無駄だ〜!!と思ってしまいそうだ。

僕が変なのが悪い。こんな些細なことで嫌だなぁって思ってしまう自分が嫌だけど、でも多分これは変えられない自分だから、受け入れるしかない。

加えて、普段からデートするってなると、お金はかかるわ、自分のプライベートは減るわで最初はデートを楽しめるかもしれないけど、長期的には、ちょっとだるいなと思うことが出てくるかもしれない。



多分今の僕は気分がめちゃくちゃ沈むときはあるものの、自分で自分の人生を楽しませてあげられているような気がする。

趣味も飽きずに続けられているし、何なら最近よりのめり込んでいるし。それで時間は十分に過ぎていくし。


まとめると、今の僕には、「彼女が入る隙がない」のだ。



②何でアプローチできないの?

この原因は100%僕にある。

まあまず、そもそもモテない。

この時点で既にゲームセット感はあるが、一旦置いておくとして。

中学校では、周りの人の恋愛事情なんて殆ど知らなかったほど情弱だったし、何より男友達と一緒にいる時間が楽しすぎて、彼女が必要なかった。

加えて僕は他の人と家が離れていて、周りに同じ学校に通っている友達がいなくて、そもそも放課後やプライベートで会うということがほとんどなく、家でゲームばかりしていた記憶がある。

学校でも女子と話してなかったというわけではないから、積極的に求める必要はなかったし。3年のときのクラスと担任は嫌いだったから、ちょっと(だいぶ)浮いてたけど笑笑


高校は男子校だった。周りに女子校があって本来ならば文化祭などで、交流があるのだが、コロナのせいでそんなものは全部おじゃん。

0だったと言っていいほど女子と関わることはなかった。でも、だからこそ男子だけの時間を思いっきり楽しむことができたし、今でもそこに戻りたいと思っている。


こんな中高を過ごしてきたから、異性と親密になる方法が分かる訳なんかなくて、恋愛レベル幼稚園児の状態で大学に入学した。

周りの女子と、結構な割合の男子は高校までに何度かの恋愛経験を積んでレベルアップしていた。

男子校という縛りから解き放たれて大学に入って恋愛をしてみたいという気持ちがあった僕は、入学当初結構頑張って異性と話そうとしたし、恋愛レベルも早く追いつけるように奮闘していた。


大体1年くらい。





でもね、無理だったなぁ。

大学にいる女性は、話したことがない人から話されるとどこか構えるようになっているように見えた。

最初は、それが女性が高校時代に沢山恋愛経験をしてきて、駆け引きを楽しんでいるのかと思っていた。

でも最近はそれ以外にも話しかけられる≒恋愛のアプローチと思っているからじゃないかとも考えるようになった。

高校までの恋愛は、大方の場合異性と一緒にいるための免罪符の役割を果たしていたと思う。ただ、大学に入るとリアルな話そこにはセックスが絡んでくる。

こいつがまあ厄介な状況を作り出している。
正直さ、ほとんどの男子大学生はヤリたいんだよ。多分ね。

男性がこういう意識を持っているということが女性の中にあると、異性からのアプローチに対してのガードが強くなる。結果的に話しかけられるという行為にもちょっと構えちゃうのだ。


僕は、そんなに性欲が強くない。だから、高校生までのように「単純に仲良くなりたい」という感情がある。

でも、自分があなたと恋愛関係にあまりなる気がないんだ、ただ友達になりたいだけだから、ガードを緩めてくれということを伝えるのにもある程度仲良くなる必要があるというループにハマり、結果的にお手上げ状態になってしまうのだ。






考えすぎなのかもしれない。チキンなだけなのかもしれない。

きっと世の中には、ハードな旅行大好き!みたいな人もいるんだろう。でもきっとそれはものすごく少数派だ。

去年散々頑張って、殆ど何も得られずに終わった僕に、その少数派を探す体力はもう残っていない。



こんなことから、異性の友達は自然には出来ない。頑張って体力の残りカスを振り絞って
意図的に作らないといけない。



思考をやめて、後先考えずに特攻できればいいよね。1番わかりやすい答え。






ごめん無理やわそれ。





ちょっとまだどうすればいいか分からないけど、取り急ぎもう少し考えてみようと思います。
僕がパートナーを必要だと思うまで。




P.S.
aikoを聴くだけで正直十分に恋愛エキスは摂取できるんよなぁ

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