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原宿ガール

私を原宿に連れて行ってくれる箱が届いた。

片田舎。
田んぼ道を歩く。
高校2年生の私にとってここは塀のない刑務所。
生き物の鳴き声が聞こえても姿は見えない。
田んぼは見飽きた。マンホールは珍しい。
隣の家が離れている。むしろ、遠い。隣じゃない。どこが隣人? あれは遠人。えんじん。
遠人のおじいちゃんが田んぼで何かしてる。毎日何してる? 日焼けで赤褐色。こちらに気付いて手を振ってくる。振り返しながら、こう思う。
田んぼで遊ぶ猿人。
家に着く。広い土間玄関。段ボールに入った野菜が迎えてくれる。土が付いたままの野菜たちは、「あなた達は土が付いているから家には上がらないでね。ここまでよ」とでも言われたのか?
new balanceのスニーカーを片足ずつ脱ぐ。
「おかえりー。箱、届いてたよー」
台所でお母さんがジャガイモを剥きながら言った。
「やーーっしゃ」
小さな奇声。
居間に駆け込む。畳の上に置かれた小さな段ボール箱。土付き野菜が入った段ボール箱とはまるで違う。お母さんが適当にポンっと置いたはず。それなのに箱の底が畳の目に沿っている。
正座で開ける。箱の中は東京の空気? それなら全部吸う。
半紙のような紙に包まれたスカート。薄紙は綺麗に折り畳んで保管する。
デニム生地のスカート。
広がり過ぎないシルエットが可愛い。
これで全てが揃った。お小遣いとお年玉で、一年半かけて少しずつ買い揃えた。
まずはnew balanceのスニーカーを買った。待ちきれず、もう履いている。
Championの水色のキャップは浅く被る。まるで乗せるように。
薄いピンクの敢えてワンサイズ大きい無地Tシャツ。無地を選んだのはキャップのChampionロゴを映えさせるため。袖の折り返しが賛美。
そして、今日届いたデニム生地のスカート。
全身鏡に、勉強机とアニメのキャラクターのシールが貼られたタンス、そして原宿ガールが映る。この子は誰? そう、私。
「本当に一人で行くの?」
不安そうなお母さんが聞く。
「うん、行く」
私は原宿に行く。

8月1日。朝の7時。17歳の私は塀のない刑務所を脱走した。

鈍行列車で4時間半。
車窓の景色は山、山、山。緑一色。つまんない。
雑誌の付録で手に入れた、真っ白の布地トートバッグ。そこにお母さんが作ってくれたおにぎりを入れた。「持ち手はここです」と言わんばかりの海苔。サランラップに包んだ大きなおにぎり。白と黒の二色。ダサい。
半分食べたところで、腹一杯。残りは包み直してトートバッグへ。

11時半。私は原宿駅に降り立った。
人、人、人、人、人、人。
車、車、車、車。
店、店、店、店、店、店、店。
この光景に怖じ気づくわけもなく。
ただゆっくりと笑みをこぼす。そして垂れ流す。
無限の笑顔は井戸水の様。
原宿に何をしに来た? 目的は無い。
ただ〈原宿の人〉になりたかった。
原宿を歩いて、人とぶつかって「あっすみません」と言いたかった。
信号待ちをしたかった。信号が青に変わると歩き出す人々。実は誰も信号なんか見ていない。隣で待っている人が動いたから歩き出しただけ。唯一、信号を見ていた人が歩き始めると、そこから観客のウェーブのように進む人々。向かい合うウェーブは戦国時代の合戦の如し。
私は〈原宿の人〉になった。
竹下通りを闊歩する。
原宿ガールは可愛い。みんなお洒落。それが原宿ガール。
〈原宿の人〉は服屋へ行く。服屋と言ったら駄目。ショップと言わないと。
ショップならやっぱり……WEGOへ。カジュアル系で古着もあってオリジナルブランドもあるんだ! 今すぐ行こう! HERE WE GO!
原宿だけで数店舗もあるらしい。これは驚かされる。とりあえず偶然見つけた竹下通りのWEGOへ!
地下への階段を掛け下りる。入口開けば、色の山。
たくさんの服は胸を踊らす流行歌。
あちらこちらにある全身鏡。とある一枚の鏡がたくさんのお洒落な服を背景に、〈原宿の人〉を映し出す。
偶然そこに映り込んだ一人の少女。誰? 私? 誰?
胸の太鼓が鳴り止んだ。
肌色だけの顔。一色の顔。つまんない。強いて言うなれば、黒い眉毛がある。二色だけ。ダサい。
脳天に乗っかったキャップ、袖の折り返しがだらしないTシャツ、少し長いスカート、薄茶の汚れが目立つトートバッグ。new balanceのスニーカーには土が付いている。靴底にへばり付いている乾ききった土。片方の足で靴底を擦ってみるも取れる気配は無い。
すぐに服屋を出る。地上へ繋ぐ急な階段。
「暑っ」
地球温暖化が急激に進んだのか。さっきもこんなに暑かった? 誰に聞く? 誰にも聞けない。だって、誰も私を見ていない。
走った。
人を避けながら走った。肩がぶつかった。謝らない。謝れない。無言で走る。
竹下通りを抜けて何も分からず左に曲がる。人だらけ。走る。これだけ走っても靴の土は取れない。
馬鹿の一つ覚えでまた左に曲がる。人がいない。
瞬間移動しちゃった……そんなわけはない。ここは原宿。だが人は居ない。神社? 東郷神社と書いている。照りつける太陽。暑い。止まらない汗。止めどない汗。口角の横を滑り落ちる滴はなに? 汗? にしては粘りがある。この滴、涙かな?
木陰に隠れる。
左右の靴を脱ぎ、塀に投げ付ける。思いっきり。「お前のせいだ」と。靴が塀に打ち付けられると、へばり付いた土が少しだけ飛び散った。
塀の下に、何年も前からそこに捨てられていたような靴が二個転がった。誰の靴? 知らない。
靴下のまま歩き出し、東郷神社を出る。
誰にも見られたくない。キャップを深く被る。下を向く。靴下越しにアスファルトの熱さが伝わる。
等間隔でマンホールが視界に入る。歩幅の妙で5枚目のマンホールを踏む。
「……熱っ」
ホットプレートと化したマンホール。
振り返る。俯いて歩いてきた道には目のようなマンホール。辺り一帯に〈原宿の目〉が潜む。〈原宿の目〉が私を見ている。目は数えきれないほどにある。無数の目全てが私を嘲笑っている。
目を踏みつけてやる。熱い。それでも何度も踏みつける。だって目だもん。目、踏まれたら瞑るでしょ。
通りすがりの〈原宿の人〉たちが見てくる。構わない。あなたたちの目も踏んで差し上げましょうか?……〈原宿の目〉と〈原宿の人の目〉はこっちを見続ける。構わない。逃げたらいいさ。
私は走り去った。

4時間半、何を考えてただろうか。
田んぼ道に入ると足の裏が痛かった。小石がたくさん食い込む。靴下はすっかり破けていた。赤くなった足の裏を夕陽が照らして真紅色に染めた。
田んぼを眺めながら、残ったおにぎりを食べた。「もしかしたら腐ってるかも」と思うと、絶対に食べてあげたかった。腐ってなんかないもん。
田んぼの中から隣のおじいちゃんが手を振ってくれる。振り返すと嬉しそうにした。
家に着く。広い土間玄関。やっぱり土が付いた野菜たちは、私を迎えてくれた。