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【創作大賞 恋愛小説部門】  素足でGo! ⑤

5話『原始人ではない…』

9時と同時にスタート地点から花火が上がった。
それが僕の位置から、マッチ棒程度の大きさで見えた。
鼓笛隊の演奏と沿道の大声援が、微かに聞こえる。
「なんか、スタートしたっぽいね」
前にいるランナーが、お尻をボリボリと掻きむしりながら隣の人に言った。

同じ大会に出ているのに、スタート地点とここでは、熱量が違う。
何が42.195キロだよ。
アルファベット順にスタート地点が分かれており、最後尾のH組の金色のゼッケンを着けている僕は、スタート地点まで何百メートルも離れていた。
 初めてフルマラソンに参加する人はH組にされるらしい。
ポテチのジャンボサイズを小脇に抱えながらバリボリと食べている人が教えてくれた。
マラソンのスタート地点の僕のイメージは、屈伸運動をしたり、体を動かして気合を入れていると思っていたのだが、H組のみんなはリラックスをしている。
完走することだけが目標なのだろうな。
 H組の人たちはそんな事を感じさせる色物の人が多かった。
アニメのコスプレをしている人や、パンダの着ぐるみを着ている人や、3メートルぐらいの高さのたぬきのバルーンアートの人までいる。
 伊達や酔狂でフルマラソンを走る人ってこんなに多いんだ、凄い。
 そう思ったが、裸足の僕もその口だと周りの人に思われている事であろう。 

 耳にイヤホンをし、アイポットで音楽をガンガンに聞き始めた。
スタート地点まで辿り付けれない苛立ちを落ち着かせたかった。

誤算だった。

時計を見たらもうスタートしてから10分も過ぎているのに、ピクリとも前進しない。
 4時間を切る事を目標にしてトレーニングを積んでいたのに、スタート地点まで辿り着くまでのタイムロスをまったく計算に入れていなかった。
 どんなに後方からでも、2.3分でスタート地点にドドーと流れるものだと思っていた。

 ちくしょう。

 肩をポンポンと叩かれた。
横を見るとセーラームーンの格好をしたおじさんだった。
この人は目立ちたいからなの? それとも合法的に大勢の前で披露したいだけなのかな。
胸の所のでっかいリボンと、ほぼパンツが見えているミニスカ姿が痛ましい。
 イヤホンを外して「なんですか」と聞いたら、手にしていた三日月の形をしている魔法スティックで沿道を指さした。
「俺、さっきからあの木に登っている女の人から、セーラームーンおじさぁ~んって、叫ばれているんだけど………あの子、君の彼女?」
魔法スティックの先を見ると、電線に引っかかった凧みたいに、街路樹の枝に腕と足を絡めてぶら下がっている女の人がいた。
「ねぇ! この人っすかぁ!」
セーラームーンおじさんがそう言うと、女の人が僕に向かって手を振ってきた。

 よく見たら楓さんだった。
髭面セーラームーンおじさんにお礼を言い、人をかき分けて、楓さんの方に向かった。
最後の一人をかき分け、楓さんの前まで辿りついて言った。

「わざわざ来てくれたんですか! 楓さん」
2メートルぐらいの高さから楓さんは飛び降りた。
その時の反動で手を地面についてしまい、手をパンパンと叩(はた)いている。
白いダウンのコートに、黄色いイチョウの葉っぱがパラパラと着いている。
「よく僕を見つけれましたね、1万人ぐらいいるのに」

楓さんは何も言わず、僕の目をジッと見つめている。
「ここまで来るの大変じゃなかったですか? つくばの駅からのバス乗れました?」
そう言っても楓さんは何もしゃべろうとしなかった。

 H組が凪の波程度に少しだけ動き出した。
後ろの人に迷惑だろうと僕も歩き出す。楓さんも僕と並走して歩いてくれた。
「ごめん」
手を合わせて突然に謝りだした。
「本当に裸足で走ると思わなかったんだ、言いすぎました」
あぁそんなこと気にしていたんだ、別にいいのに。
ここ3週間、裸足でトレーニングをしてきたのですっかり慣れてしまった。
靴を履かずに玄関から出ると、むしろ『さぁ走るぞ!』という気分になり、アドレナリンがよく出る気がしていた。
つま先から着地する癖がつき、シューズより疲れなくなってきた。
街中を野生児みたいに走っていると開放感が心地よく、ストレス解消になったし、一歩を踏み出す時に集中力もついた。
いろんな発見があったので、裸足で走ってと言ってくれて、むしろ有難いくらいだった。

「今から荷物を預けている所まで戻って、靴をとってこよ」
楓さんは僕を手招きして、ランナーコースから出るように促してきた。
「あっ…でも大丈夫ですよ、結構、慣れましたし」
「怪我したら大変だから、今すぐ戻ろうよ」
「ホント、大丈夫ですよ、もうスタートしちゃったんで時間もったいないし…」
「大丈夫じゃないって! 怪我するから!」
強い口調で言われてしまった。
楓さんが思っているいるほど、裸足で走るのはそんなに危険な事ではない事を伝えたかった。

H組の流れが、止まってしまった。
僕は楓さんとしゃべりながら歩いていたので、前をよく見ていなかった。
前の人の背中に軽く頭をぶつけてしまった。
「すいません………」
僕はかるく前の人に謝った。
「あっ、あのですね、楓さん」
僕は屈伸運動をしながら言いはじめた。
「女性ミュージシャンが裸足でステージに上がって歌う人って結構多いのです」
僕は腰に手を当て身体を反転させながら、
「僕も裸足で走っているうちに彼女たちの気持ちが、よく分かるようになり…ま…し・た」
と言い、腰を限界までひねり楓さんの反対方向を向いた。

そして、
「だから、大丈夫ですよ」
と、優しい口調で言いながら反転していた身体を楓さんの方に向き直し、微笑みかけた。
僕の笑みと、説得力で安心してくれるはずた。
「ねぇ大輔君!」
楓さんは僕の二の腕を両腕でガシッと掴んだ。
「裸足で歌うのと、裸足で走るのは、……別物だよ!」
えっ………あっ、そっか!
何、言ってんだ…僕。
ここ最近、ずっと裸足で走ってたけど、よくよく考えら、なぜあの人たちが裸足で歌う理由って別に知らないや……。

「ねぇ…お願いだから、荷物置き場に戻って、靴を取ってこようよ、大輔君」
訳のわからない事を言ってしまい、余計に心配をかけてしまっているようだ。
「あっ……すいません………、それに、僕、今日、靴を持ってきてないっすもん」
楓さんは僕の腕を掴んでいた手を離し、自分の口元を両手で抑えた。
目を丸くして、「えっ…ウソでしょ!」と言いながら、びっくりしている。
「まさか……大輔君! 家から裸足でこんな所まで来たの!」
「えっ……」
「ばかじゃん!」
「ちっ…違いますよ、楓さん!」
「あたし……裸足でフルマラソンを走ってって言っただけで、家から会場まで裸足で来て、そのまんま走ってなんか言ってないし!」
「分かってますって、楓さん……。ランニングシューズを持ってきてないだけです、革靴でここまで来ました」
「あぁ…なんだ…びっくりした……」
裸足でペタペタと神奈川から電車を乗り継いで、つくばまで来ないって、楓さん。

原始人じゃないんだから。

H組の人が、また動きだした。
今度は、さっきよりやや早かった。
沿道には応援している人がたくさんいるので、楓さんが人とぶつかったりしないか心配だった。
「大丈夫です、このまま行きます」
「棄権しよ………大輔君」
街路樹の木の根元に足をとられ、楓さんはかるくつまずいた。
足元と僕を交互に見ながら歩いているので危なっかしかった。
「怪我したら大変だから、大輔君、棄権しよ」
ねっと言って僕の腕を掴もうとしたのだが、さらに人の流れが早くなったので空ぶった。

少し小走りになりながら、僕に追いつき、僕の腕を掴んだ。
「大輔君、もう危険だから、止め…」
「もう放っといて下さい!」
掴まれている、楓さんの腕を振り払った。
「僕、バカじゃないですから!」
大きい声で、というより、怒鳴りつけるように楓さんに言った。
「僕、バカじゃないですって! フルマラソン走ってとか、4時間以内とか……裸足で走れとか」
楓さんの方を見ないで前を向いた。
前の人との距離感が心配だった事と、あれだけ憧れていた楓さんの腕を振り払った背徳感からだった。
「ていのいい断り文句だって事くらい…、分かりますって! 裸足でフルマラソン走ってとかさぁ…………。今日は趣味で走るんですよ、趣味なんですよ、趣味! だから……放っといて下さいよ!」
そう叫んで横を見たら、並走していると思っていた楓さんはそこにいなかった。
斜め後ろを振り向くと、立ち止まったまま、下を向いていた。

「あっ! ごめんなさい、楓さん、すいません………あの……」
だいぶ楓さんと距離ができてしまった。
俯く楓さんというイメージがなく、僕は狼狽した。
「あのぅ……、もう帰っちゃって下さい。ここまで来てくれて有難うございます」
楓さんはゆっくりと顔を上げた。
表情は離れすぎていてよく見えないが、悲しそうな顔をしている気がする。
「本当に……有難うございます!」
僕がそう叫ぶと、楓さんは手を胸元ぐらいの高さで振ってくれた。

 僕は前を向き直した。
H組の流れが、駆け足と早歩きの中間ぐらいになってしまい、腿を必要以上に高く上げてスピードを調整した。
つくばまでわざわざ来てくれたんだ。
1万人くらいの人だかりから僕を見つけてくれたんだ。
もぅそれで充分じゃないか。
少し腕を振らないと、H組の流れについていけれなくなってきた。

楓さん、僕に青春を有難う。

この4ヶ月、僕に何かを挑戦させる気持ちにさせてくれて有難う。
スタート地点の垂れ幕が見えてきた。
あと、200メートルぐらいって所か。
そこでまたペースが段々と落ち、また止まってしまった。
 背中をトントンと叩かれた。
振り向くと、僕の4か月前の体型に良く似た、ぽっこりとしたお腹の人だった。
この人はこの身体でフルマラソンを完走できるのかな。
「あのぅ……えーっと…」
「はい、なんでしょう」
また、いつこのH組の流れが動き出すか分からなかったから、早く前を向き直したかった。
「頑張ってください」
拳を作って真剣な表情で僕に言ってくれた。
「あ……はい、お兄さんも」
僕も拳を作って返事をした。
あぁ、なぜだか、知らない人に、頑張れって言われてしまった。
照れくさいような、恥ずかしいような。
前を向き直した、まだ進みだしてはおらず、止まったままだ。
すると今度は僕の前にいた背が高くて身体が細い、20代前半ぐらいのお兄さんがくるっと振り向き、僕の手を掴んで握手してきた。
僕の右手が、彼の両手で包まれている。
「めっちゃ感動しました! 本当、めっちゃ感動しまして、ほんとっ、頑張ってください!」
「はぁぁ、有難う、君も頑張ろう………ほらっ前、進みだしましたよ」
早く握手を解いて欲しかったのだがなかなか離してくれない。
握手していない左手で彼の肩をポンポンと叩いたら、手を離して前を向いて走り出してくれた。
なんだよ、前後で、まったく。

そう思っていたら、
「頑張れ! お兄ちゃん! ぜってぇー4時間切ってあの娘(こ)ゲットしようぜ!」
と、5人くらい斜め前にいるおじさんが振り返って僕に向かって大声で言ってきた。
それを皮切りに、
「頑張れ」
「スゲェ美人じゃねぇか!」
「走りきれぇ」
「裸足ぐらいなんだぁ!」
と一斉に周りの人達が僕に声援を送り出してきた。
「格好いいよ、お兄さん」という女の人の声も聞こえる。
あれっ……ひょっとして僕と楓さんの会話って200人ぐらいに聞かれていたのかな。
恥ずかしい。
僕は両腕を高く掲げ、「みなさんも頑張りましょう!」と大声で言った。
皆も手を叩き「うぉー頑張ろうぜ!」とコールレスポンスをしてくれた。
 やっとスタート地点まで辿り着いた。
あぁ、あれか……。
僕はランニングパンツのポケットからチップを取り出した。
スタート地点には青いマットが敷いてある。
普通は、シューズの紐に巻きつけたチップでマットを踏めばいいだけなのだが、僕は裸足なのでチップを手に持ってしゃがんでタッチをしなければならない。
「すいません、僕、スタート地点でしゃがみますので気をつけて下さい」
そう言いながら僕は振り向いた。
太ったお兄さんは滂沱の涙を流しながら、うんうんと頷いている。
そんなに感動してくれたんですね、すいません、有難うございます。
スタート地点でマットの上をチップを持ったままポンとタッチした。

 すぐに立ち上がり、走り始めた。
パンツのポケットにチップをしまい、時計を見た。
9時22分。
フルマラソンを3時間38分で走ら
なければならなくなってしまった。


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