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【創作大賞 恋愛小説部門】素足でGo! ⑥

6話『✩▽□×◇✩』 

23キロ地点の給水所でバナナを配布していたので、無我夢中で飛びついた。
そしたらバナナの皮で足を滑らせてしまい、マリオカートのように回転しながらすっ転んでしまった。
小銭は持っていなかったので、バラ蒔かずに済んだ。
バナナの革に滑って転ぶとか、いつの時代の話だよ、と起き上がる時にボヤいた。

わんぱく小学生みたいな擦り傷を膝小僧に作った。
ボランティアでバナナを配布していたおばちゃんに、消毒してもらい、でっかい絆創膏を貼ってもらった。
毎年、このバナナ給水地点で一人は転ぶらしい。
今年の一人は僕って事か。

 前半20キロを飛ばしすぎてしまった。
スタート地点から5キロぐらいまでは人だかりが凄くて、とても人を追い抜くことが出来なかった。
 5キロから20キロまでは、川辺のアメンボのようにスイスイと人を追い抜いて行った。
21キロ地点の折り返し地点で11時8分。
13時までにゴールすれば良いので、なんとかこのペースで走れば間に合うかもしれない。
 バナナをもう1本もらい、皮をゴミ箱に捨てて、口に含みながら走り出した。
バナナを食いながら、裸足で外を走っているとか、いよいよ野生児だな。
明日から普通のサラリーマンに戻れるのかな。
ヒタヒタとアスファルトの上を走り続ける。

25キロ地点で僕と同じ行動をとっている人がいた。
100メートルぐらい前を走っている人が、ズボンからチップを取り出し、青いマットをタッチしている。
 あれは僕の同士かも知れないと思い、ペースを上げて近付づいて行った。
自分も25キロ地点につき、マットをタッチする。
5キロ間隔でやる作業で、これで5回目になりもう慣れた。
もっと近づくと、やはり靴を履いていなかった。
髪の毛が腰まで長く、それが右に左に揺れている。
女の人かと思ったが近付くにつれ、背が180センチ近くある男の人だと気付いた。
背中をピンと張って姿勢が良くて、しっかりと一歩一歩を踏み込んで走っている。
筋肉も脂肪も少なく、手足も長いので、カマキリみたいな人だなと思った。
なんとかペースを縮め、横に並ぶ事ができた。
「あの……すいません、なんで裸足なんですか?」
と裸足の僕が聞いた。
 彼はギロッと僕を一瞥(いちべつ)し、また前を向いた。
険しい顔をしている。
何か聞いてはいけなかったのかな。

「そもそもホモサピエンスという動物は」
野太い、しっかりとした口調で前を向いたまま、話し出した。
「60兆もの細胞を持つ有機体として存在しているのです」

はぁ……?

走っていて頭の中に酸素が足りないせいか、兆の単位を突然に言われてもピンとこなかった。
「チャクラというエネルギーセンターがあるのは、分かるよねぇ?」
初耳だったが、適当に「はぁ……はい…」と受け流した。
「そのチャクラを通して宇宙エネルギーを取り入れているのだけれども……」

何のこっちゃ分からねぇ…。

突然の横文字の羅列に、この人が何を言っているのか、理解できなかった。
あまりこの人は息が乱れていない事に気づいた。
走っている最中とは思えないほど闊達と何かを……、何かをしゃべっている。

すんません、ごめんなさいと謝ってペースをさらに上げて立ち去ろうとも考えたが、自分から話かけて逃げるもどうかと思い、しばらく話を聞いていた。
ムーラダーラとかスヴァデスターナとか、平地で立ったままでも舌を噛みそうな単語を、スラスラと走りながら言っていた。

ずっと話を聞いていると、この人はどうやらヨガをやっているらしい。
だったら目を瞑って寝っ転がってりゃいいじゃんか。
なんで、裸足で走ってんの? って聞いただけじゃん、早く答えを言おうよ。
「地に足をつけて生き、自分の中の不必要な物を取り除くためさ……」
あれっなんか話が終わった気がする。

しばらく二人とも無言で走っていた。
意味不明な話を、聞き流していたことがバレたらやっかいなので、ちょっと飛ばしてこの人から逃げようかな、と思った。

「君も」
険しかった顔が急に穏やかになった。
「そうなんだろう?」
走っている僕の肩に、ガシッと手を置かれた。
「はい、そうです」
否定する訳にもいかず、元気いっぱいに真っ赤っかな嘘をついた。
「それじゃ失礼いたします」
無理してペースを上げ、肩に掴まれていた手を振りほどき、距離をとった。

距離だ、うん、距離をとろう。

ヨガのお兄さんみたいに立派な理念があって僕は裸足で走っているのではなく、片思いの女性に気持ちを伝えたいだけだった。

なんか申し訳ない。

「そうそう……、言い忘れた事があってね……」
あんなに飛ばしたのにピッタリと僕の隣についてきた。
息が全然、乱れていない。さすが60兆の細胞をチャクラして宇宙エネルギー。
「今度、埼玉で僕が主催するセミナーがあってぜひ君にも……」
「うおぉぉぉぉ」

僕は全力疾走をした。

まだゴールまで16キロぐらいあるのに。
すごい飛ばしてゆっくりと振り向いたら、だいぶ距離を作る事ができて安心した。
 けど、35キロぐらいの地点でこのヨガのお兄さんが、僕より前を走っていた。
いつ、どこで、僕を追い抜いたの? お兄さん。


 ただ走るだけ。
こんな簡単な事なのに、なぜダメだった?
転んで膝をすりむいたから。練習不足だったから。スタート地点まで辿りつくのに23分かかったから。途中、ヨガのお兄さんにペースを乱されたから。裸足だから。
 39キロ地点で4時間まで残り1分を切ってしまった。
ただ走るだけなんだから、そんなの根性だけじゃん。

なのに、大輔、君はなぜペースを落とした。

30キロ過ぎぐらいでもう限界だった。
一歩踏み込むたびに針でチクチク刺されているような痛みが襲ってきた。
 腕をとにかく振った。
走るのは足なのに、関係のない腕を振る事で少しでも前に進みたかった。
海で溺れているような気分で腕を振っていた。

 筑波大学のキャンパス通りで、おしゃれ感を出したいのだろう、レンガ調のデコボコ道路が時々あって、それが痛くて憎い。
裸足で踏む人もいるのだから、やめてほしいよな、レンガ。

 あと30秒で4時間。

もうあまり下を見るのが辛いので上を見よう、上を。
黄色8割、赤2割の葉っぱが、まばらに茂っている紅葉の道。
普段は車しか走ってはいけない公道の、黄色の中央線を踏んで走っていた。
今日だけなんだよな、ここを堂々と走って良い日って。

 いちょうの木の枝が道いっぱいに広がっていて、紅葉の葉っぱで空一面を覆い尽くしている。
その道を真っ直ぐに走っていると、なんかもう、天に召されて空へ旅立っているような気分になってきた。



 10秒前。

あーあ、終わった……。
なんで僕はもっと無理をしなかったのだろう。
もっと筋肉の細胞を破壊すれば良かった。

 あと5秒。

骨なんか、もげちまえばいいのに。

3.2.1……。

ちくしょう、負けた。
僕はペースを落とし、歩き出した。
39キロと、500メートルで終わり。
ペタペタとアスファルトの上を歩く。
身体の中を駆け巡っていた気力が、足元に滑り落ちていく。
今までだって汗は出ていただろうに、ドバっと汗が毛幹から吹き出てくるのを感じる事ができた。
 心拍数を測れるランニングウォッチが、急にペースが落ちたので異変を感じたらしく、ピーと鳴り出した。
嫌味ったらしくて腹がたったので、時計は外して街路樹に向かって投げ捨てた。

止まっちまえばいいんだよ、脈も心臓も。

お前はいつもそうだよな。
高校の野球部に入って、死ぬほど練習して、レギュラーになれるかと思ったら、モンスターみたいな後輩が同じポジションになって、それで手を抜いて練習して、レギュラーどころかベンチにも入れなかったよな、お前。

頭を両手で掻きむしった。
汗でびっしょりの髪の毛のせいで、手が濡れた。
 そいつが準決勝で同点タイムリー打った時、観客席でメガホン持って大喜びしてたじゃん。
あれっ、テレビに写ってたけど、嘘だろ。
本当はめっちゃ悔しかったんだろ。 

 楓さんが順調にきちんとした彼氏を見つけて、結婚するって聞いたら、また祝福するフリをするんだろ、絵が浮かぶよ、大輔。

 本当、お前はダメなやつだな。

田中ダメ男だな。
どうもはじめまして、田中ダメ男です。
……、だめおってどうゆう字を書くのですか?
カタカナでダメって書くんです、ハハハハハ。
そうなんですかぁ…、ははははは。

「なんで親御さんは、子供にそんな名前をつけたんだぁ!」

ポツンと一人で交通整理をしているボランティアのおじさんが、びっくりした顔で僕を見た。

あれっ……、今、声に出して言った、もしかして……。

喉がヒリヒリしているこの感じは、叫んだな、僕。
ちょっと街路樹がこだましてるもん。
つけんてんだよぉ、よぉ、よぉ……って。
ペタペタと黄色い中央線をひた歩く。
アスファルトより幾分、足の裏が痛くない。
もう棄権しようかな、あと2キロ歩くの面倒くさいし。

「へいっ! お兄ちゃん!」
僕を追い抜いたランナーが突然くるっと5メートル先で振り向いた。
60歳は過ぎているが、そうとう何年も走りこんでいる体つきをしている。
Cのゼッケンをつけている。
こんな、ちゃんとしたランナーより、僕は前を走っていたんだね。

「ほれっ」
ソフトボールのピッチャーのように腕を2回ぐるぐると回したあと、下手投げで何かを投げてきた。
僕の胸元に飛んで来たのでキャッチした。
投げ捨てたランニングウォッチだった。
わざわざ街路樹に入って行って、取ってきてくれたのだろう。申し訳ない。
 おじさんは両手でグッと親指を立て、ニカッと笑った。
顔中シワだらけの可愛い笑顔だった。
「✩▽□×◇✩」
何かをチョロッと言ったのだけれど、方言なのか滑舌が悪かったからなのか、全然わからない。
たぶん、僕を励ます何かだったんだと思う。
おじさんは振り向いて颯爽(さっそう)と走っていった。

「有難うございますぅ!」
僕がお礼を言うと、おじさんは後ろ向きのまま右手を高々と掲げ、また親指をグッと出して答えてくれた。
ターミネーターが溶鉱炉に落ちていくシーンみたいに。
 ランニングウォッチをはめてみる。
僕の心拍を感じ取ったらしく、ピッと鳴った。
どうやら僕は蘇生したらしい。
もう目標はなくなったけども……。
走り出す事にした。


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