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僕という人間と父

はじめまして、

僕は今、都内の金融業界の企業の人事部で働いている30歳の人間(♂)です。

早速、自分語りに入りますが、僕の人生における目的は「"楽しい"と思いながら生きる人を1人でも増やすこと」と、「世の中にある"不"を取り除くことにより、この瞬間が"楽しい"と思う人を1人でも増やすこと」であり、長期的目標は「思考停止している人を1人でも減らすこと、増やさないこと」であり、僕の現在の目標は「僕が現在勤めている職場で愚痴を言う人を1人でも減らすこと」です。

そして、「人が自宅を出る瞬間に無意識に持っている"ワクワク感"を少なからず維持、欲を言うと、向上する人を日本で1人でも増やすこと」が僕の人生におけるゴールです。

いつの日か僕の駄文を読んでくださった読者の皆さまの人生における何かしらのヒントの一助や、思考に対して1ミリでもインパクトがあるとするのであれば、爆裂に嬉しいです。

先につらつらと述べた僕の人生における目的・目標・記したそこに至るまでのストーリーを、その第一歩としての記録を、ここにしたためていきたいと思います。

まずは僕という人間を知って欲しくて、僕のこれまでの30年の半生をプロフィールとして、ここに記します。


僕は証券会社に勤める父と銀行に勤める(現在は専業主婦)母、5歳上の兄、3歳上の姉、この家族の次男として三重県の四日市市で生まれた。
赤ちゃんの頃からの記憶があるという人がいるが、僕には3歳頃からの記憶しかない。

次男ということもあり、誰も僕に対して神経質にならずに良い意味でも悪い意味でも放任されて、何の縛りも受けることなく育ててもらった。(と思っている)

"放任"というと聞こえは良くないかもしれないが、家族のことは生まれてから今日に至るまで大好きで「反抗期は無かった」と父に言われるほど仲が良い。

前置きが長くなってしまうが、僕の人生をこれまで一緒に歩んできた家族の話を先にさせて欲しい。

まずは父。

僕の父は今年で64歳だが、未だ証券会社で現役バリバリに働いている。(父としても、社会人の先輩としても、人間性も含めて尊敬している)

僕は生まれた時からも、これからも、父のことが大好きだ。
そして、我が家の次男である僕がここまでファザコンであろうとは微塵も気付いてないであろう父は、そんな僕ら子どもたちのことは二の次で母のことが大好きである。
家族仲が良いことの最大の理由はここにあると思っているし、僕が父のことを大好きな最大の理由でもある。

父は僕に似て(正確に言うと、僕が父に似たわけだが)、感情表現が豊かではなかった。
単身赴任を経て、良い意味で母にめちゃくちゃストレートな物言いになり、好きっていうようになったと思う。

幼かった僕の知らないところで、僕の"お父さん"と"お母さん"という役割である必要がないシーンで"大人"の会話や、夫婦の子育て対する考え、ぶつかり合いがあったんだと思う。

僕が幼少期の頃の父との思い出は沢山ある。

働き方改革が叫ばれる今とは違う時代、接待や飲みニケーションが盛んな証券会社で働く父は、毎日の様に帰りが遅かった記憶がある。

当然、"朝まで働けますか"の「モーレツ世代」のサラリーマンだから朝も早くて、平日に遊んだ記憶はない。

それでも父が大好きな僕は父と触れていたくて仕方なくって、眠たい目をこすりながら今か今かと父の帰りを待っていた。

父が帰宅するとクリスマスにサンタさんが自宅にやってきたかの如くテンションぶち上がりで「おとうさぁああ〜ん!」と叫びながら廊下を駆け抜けて、抱きついていたことを覚えている。

タバコ臭くって、お酒臭くって、赤い顔をした父は、そんな僕を満面の笑みで受け止めてくれた。
歩きタバコの副流煙や、二日酔いの自分から発せられるお酒の匂いは好きになれないが、当時の僕は「これがお父さんの匂いやなあ」って思っていたので、むしろそれは好きだった。

そして翌日の早朝、前日に夜更かしをしたせいでぐっすりと熟睡している僕の頬にキスをしてから父は出社していくのがルーティン。
そんな平日を繰り返して、待ちに待った土日がやって来る。

手のかかる僕達三兄弟が社会人になり、今でこそ毎週末ゴルフ三昧の父だが、当時の週末は家族サービスに勤しみ、色々な所に連れて行ってくれていたみたいだ。この頃の記憶は曖昧だが、当時の家族写真を見返すと海やキャンプのシーンで家族が笑顔に溢れかえっている。

当時の記憶は無いが、3歳の頃に父に辞令が出たらしく、家族みんなで札幌に引っ越すことになった。

生まれて初めて見る雪に大興奮したことを覚えている。年末恒例のトマムへのスキー旅行(最後の一服やあと言いながら禁煙を誓い、カウンドダウンしながらタバコに火を着けていた。)の思い出を筆頭に、雪に囲まれた札幌での生活は、幼い頃の僕にとっては楽しかった思い出しかない。

雪が降らない季節の札幌もそれはそれで楽しかった。
"モエレ沼公園"でサイクリングをしたり、旭山動物園でゴリラをウォッチしたり、"ガニーちゃん"を見つけたり。

ガニーちゃんとは、当時住んでいた新札幌のマンション周辺でガニ股で猛烈に自転車を漕ぐ、ドレッドヘアーの推定20代前半の女性のことである。

当時の我が家の愛車であるグリーンのイプサム(小さい頃は目立つカラーで嬉しかったけど、絶賛思春期時代、塾に迎えにきてもらう際は恥ずかしかった。。ブラックの車に買い換えた時は嬉しかった。)に乗って、家族でドライブ中に父が発見して名付けた。

雪が溶け、道路を自転車で走れる時期になるとそれは出没する。僕が見つけては「ガニーちゃんおる!ガニーちゃんや!!」と指を差して喜んだ。冬の風物詩である。

そんなこんなで毎年楽しくガニーちゃんを見ながら札幌で過ごしてきた僕は、父の異動により出身地の三重に引っ越すことになる。

この引っ越しは我が家に良くも悪くも大きな影響を与えたと、今になってそう思う。

つづく。

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