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母の苦労

初回の記事から期間が空いてしまいました。

仕事はというと、新卒採用のオープンカンパニーを企画したり、面接をしたり、会社のMVVの策定をしたり、教育研修プログラムの策定をしたり、副業の面接を受けたりしています。

副業の面接に際し、キャリアの棚卸しをしていて、危機感を覚えました。

今日はJリーグの2024開幕戦でしたが、僕よりも年下の選手が躍動していました。
「俺よりも年下やんけ!」と、高校サッカー選手権や甲子園を観るたびに毎年思っていますが、今日のタイミングでも。。

初回に書いた僕が掲げているカッコつけた目的に近づくためには、影響力が必要というか、少なくとも自分の実力や実績を積み上げないといけないと思っています。

それなりに本を読み、それなりに?意識高い系のYouTubeを視聴してきましたが、毎日のインプットとアウトプット、日々の積み重ねが大事だと学びました。

2016年の新入社員当時、入社式の際に人事部長が語りかけてくれた「ほんの少しでもいいから昨日の自分を超える、そんな日々の積み重ねが圧倒的な差になるし、それをできる人が勝つ」
2016年4月1日に聞いたこの言葉ですが、本当に大切だなと思います。

日経平均株価の最高値が更新された現在、"FIRE"が再注目されていますが、「カリスマトレーダーのテスタさん」も「資産35億円ニートさん」も結局は、日々積み重ねて努力を続けてこられた方なんだろうなと思います。

僕の記事に"スキ"を押してくれた方は毎日記事を更新されていて、僕はそれがきっかけでその方の記事を読むようになり、毎日楽しく読んでいます。
その方の記事は僕の人生にインパクトを与えてくださっています。

取り留めがありませんが、やっぱり日々の積み重ねは大事だなと感じています。

日々、iPhoneのメモアプリに下書きしつつ、早く投稿しようと思っていた第2弾の記事をやっと投稿します。



三重に引っ越した時の僕は小学校2年生。
父の辞令は本社の人事部門だったらしい。子どもがそれなりに大きくなっていたこともあり?、父は単身赴任で東京、母と僕達3兄弟の4人は約5年ぶりに三重で生活することになった。

父は2週間に1回くらいのペースで僕達に会いに来てくれていたが、母の子育ての悩みは相当あったのだろうなと今になって思う。

小学校2年生の僕と5年生の姉は転校という変化に順応できたが、思春期真っ只中の中学校1年生の兄はそうではなかった。

札幌の小学校に通っていたとき、1年生の僕から見た6年生の生徒会長である陽キャラの兄はカッコよかった。
三重に転校してきて教室で何があったかはわからないが、ギャップが大き過ぎたのか、人前に出ることが好きだった兄は不登校になった。

いつも家にいるため、ウイニングイレブンをいつでも対戦できるから楽しかった。
外に出ずに人と話さない生活が続いたからか、気付けば僕が好きだった兄ではなくなってしまっていた。

僕と姉にこれまでには考えられないような意地悪をしてきたり、母に対して暴言を吐き、挙げ句の果てには手を出したこともあった。

その時に僕は無意識に身体が動いて、母に覆い被さって「やめろー!」と叫んだことを覚えている。

現在は兄と普通に会話をできるし、仲が悪いとは思わないが、この一件があってから何となく違和感がある。

ただ、不登校の兄の立場で考えると、相手をして欲しい、自分という存在を認めて欲しい、という欲求に対して、正しくない表現をしてしまっていただけだと思う。

"超"が付く田舎の村出身の母は、三重に友人はいなくて、特段の趣味もない。

ある日の夜、トイレに行きたくなり起きた時、台所の暗い電気の下でひっそりと泣いている母を見たことがある。孤独だったんだと思う。

当時大ブームを巻き起こしたヒットソフト「ポケットモンスター  ルビー・サファイア」のルビーで遊ぼうと、ゲームボーイアドバンスに入れるための単四電池を探してタンスの引き出しを開けると義家弘介さんの「ヤンキー母校に帰る」を始めとした、子育てに関連する本が沢山出てきたことを覚えている。

銀行での仕事を続けながら、子どもの弁当を作ったり、部活の応援に行ったり、習い事の送り迎えをしたり、学校の先生に呼び出されたり、兄弟の喧嘩を止めたり、休日は朝昼晩ご飯を作ったり、大変だったと思う。

疲れてリビングで寝ている母に対して、「早くお風呂入れてくれや!」と僕が言うと、「自分で浴槽洗って入れればええやろ」とド正論が返ってくる。
この応酬は平日のルーティンだったが、
僕は湯船に浸かりたかったわけでも、浴槽を洗うことが面倒だったわけでもない。
ただ話をしたくて、起きていて欲しかった。

不登校の兄、マザコン気質の僕、(後述する)天真爛漫な姉、そんな3兄弟を育てつつ、僕が大学を卒業するまでの14年間、働いてくれていた母にはとても感謝しています。
(誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起きて、1日のうち唯一ゆっくりできる明朝の10分間。
台所の小さい椅子で珈琲を飲んでいる姿を思い出します。)

東京の企業に就職した僕は、母に初任給でNARUMIのコーヒーカップとコメダ珈琲の豆を送ったが、あれから8年経った今でもそのカップだけは食洗機に入れずに手洗いをして、大切に使ってくれているみたいで嬉しい。


初回の父に続き、母と兄について書きました。
母は専業主婦となり父と名古屋で2人で暮らしていて、兄は紆余曲折あり、まともな?社会人になり大阪で奥さんと子どもと3人で暮らしています。

次回は姉と、僕の中学以降の話について書きたいと思います。

noteには僕の日々の学びや思うこと、仕事のことやこれまでの気付きをアウトプット・発信したいと思っていますが、思いの外、これまでの生い立ちの話が長くなってしまっています。

これまでSNSで発信することは少なかったのですが、僕の記事を読んでくださっている方がいるというだけで嬉しいです。
次回もしっかり書きたいと思います。

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