見出し画像

いつまでもいつまでも……なんて嘘

「元気でな」猫を起こさないよう、囁くように言った。「今度会った  ら、 うまい餌食わしてやるからさ」
そのまま僕は猫たちと同じように瞼を閉じた。こんな満ち足りた気持ちで眠るのは久しぶりだった。頬を何かが伝うのを感じながら僕は眠った。

https://note.com/checoco/n/n63202ce27bff?magazine_key=m12f02fe9447b

「ああ~ん、だいふくちゃん! もちさん! 相変わらずかわいいねえ! 元気してた?
うん、そうなの! 良かったねえ! 偉いねえ! ほら、よしよしよしよしよしよし……」

前回、今生の別れかのごとく猫たちとの別れを悲しんだ僕だったが、一か月も経たないうちに彼らに再会することとなった。そして実家に戻ってきた二匹の猫を目にした途端、僕の猫たちへの愛をため込んでいたダムは容易く決壊した。
とめどなく溢れる愛のままに、その可愛らしい顔を、お腹を、肉球を、流れる水のごとく撫でまわした。
テンションが上がり過ぎて、とても肉親以外には聞かせられない声をあげながら僕は猫をかわいがり続けた。僕が家族の冷めた視線に気づくのは、まだ少し先の話だった。


今回、祖母の家の猫――だいふく、もち――が我が家にやってきたのは前回同様、病院に行くためだ。ただ、病院に行くと行っても別に猫たちが疾患を抱えているという訳ではない。
今回はワクチン接種に行くのだ。半年に一回のワクチン接種日がどうやら今日に当たるらしく、動物病院に近い実家に来てもらった。

だいふくと、もちは至って健康だった。むしろ前回うちにいた時よりも元気だった。
だいふくは肉付きがだいぶ良くなり、背中だけ見るとあざらしか、たぬきのように見えた。抱いて寝ていたいと思うほどのふくふくした体だった。
もちは、だいふくに比べ少しやせ気味だが、ものすごく活発に動き回る。階段を矢のごとく駆け上がり、網戸にスパイダーマンのごとく引っ付き、僕の背中を登山家のごとく登攀して行く。最後のは、爪が長いからむちゃくちゃ痛いのだが、もちのかわゆさと無邪気さに免じて許している。

二匹は本当に元気になった。
これも猫の後養生に尽力してくれた祖母のおかげかもしれない。
いや、さらに言えばその祖母を支えてくれた母と妹のおかげだ。


祖母の家には至る所に張り紙がされている。
「猫のお世話の仕方」「7時にご飯あげる」「うんちで汚れた砂はちゃんとひろう」「動物病院の電話番号:○△×-!#%-1125」

みたいなことが母直筆のだいぶ味のある猫の似顔絵と一緒に太字で書かれていたり、

「八月四日:薬二錠」「八月五日:デイサービス」「八月八日:ヘルパーさんくる」

のような細かい書き込みがカレンダーにびっしりと書き込まれている。

僕は初めて、張り紙と書き込みだらけの祖母の家を訪れた時『博士の愛した数式』という小説のことを思い出した。


祖母は認知症である。

まだ、あまりひどい状態ではないが、時々記憶が抜け落ちるようだ。

僕がそれを知ったのは大学一年生の頃だった。
母からその事実を知らされて、僕は驚いた。確かに、祖母には忘れっぽいところがあった。だが、それは祖母の性質ゆえだと思っていた。だから認知症だと聞かされた時、最初は上手く呑み込めなかった。うちの祖母に限って……そんな気持ちがまだあった。しかし、例の張り紙だらけの家を見て、母から祖母の認知症による具体的な症状について聞き及ぶにつれ、僕はだんだんその事実を受け入れられるようになった。

祖母は認知症。
その事実を知り僕は密かに決意した。いや、決意というほど大げさなものではないかもしれない。ただ僕は、いつも通り祖母に接しようと思った。「祖母は認知症だから」そんな先入観でもって祖母に接するんじゃなくて、いつもの大好きな祖母として接する。もし、自分が同じように認知症を患って、周りが急に自分を病人扱いしたら嫌だから。
もちろん、認知症のために祖母は出来ないことがたくさん出てくると思う。そういう時にはちゃんと祖母に配慮してあげたい。母や妹が祖母に対してしたように。

祖母の家の張り紙や書置きは妹の提案だそうだ。
マジックでデカデカと書かれた「猫のお世話の仕方」の文字は確かに妹のものだった。
妹は看護師を目指している。妹の祖母への配慮は妹の看護師的な資質から生じているのだろう。だが、一方で彼女元来のやさしさが発露したものでもあるとも僕は考えている。
妹と母の合作の書置きのおかげで祖母は日々の生活を問題なく過ごせている。デイサービスにも行けているし、猫のお世話も出来ている。祖母は毎日幸せそうだ。
だが、いつか、そう遠くない未来、きっと祖母は今出来ていることさえ出来なくなる。認知症は確実に彼女を蝕む。そして彼女の体もいつまでも元気という訳には行かない。その証拠に彼女は最近膝を悪くしている。それがさらに悪化して杖なしでは歩けなくなることだって、あり得ない話じゃない。

そうなれば彼女は一人でデイサービスに行くことも出来なければ、猫のお世話をすることも出来なくなる。そうなったとき、どうすればいいのだろう。
祖母の介護は誰がするのだろう。猫は我が家で引き取ればいいのだろうか。でも、祖母はそれを望むのだろうか。僕にはまだ、何もわからない。


祖母のことをまるで現象のように考えていた。
いつだって桜の木の植わったあの漆喰の家に行けば、祖母はそこに猫と一緒にいて、にこにこしながら僕たちをもてなしてくれる。それは春夏秋冬、三百六十五日、五年後も、十年後も、百年後も、いつまでも、いつまでも、変わらないことだって、そう思っていた。

けど

そんなものは嘘だ。

いつまでも、いつまでも……なんていうのは絵本の中にしか存在しない。大嘘だ。

ほんとはとっくに気づいてたはずだ。でも、ずっと目を背け続けてきた。

祖母は死ぬ。

桜の木の木漏れ日の下から、彼女は消える。桜を見上げて笑っている祖母はいなくなる。どんなにいなくならないで、と叫んでも彼女はいなくなる。

僕だってそうだ。いつまでも同じじゃない。不慮の事故や病気、自殺で死んでしまうかもしれない。それは僕には予測の立てようがない。

それに、僕だって大人になる。

今僕は、心の底から祖母に長生きしてほしいと感じている。そしてもっともっと幸せになってほしいと思っている。そのためなら、僕に出来ることは何だってやりたい。

でも僕が大人になったら、今みたいに祖母の家に頻繁に遊びに行くことなんて出来なくなる。
そしてきっと祖母のことを大事にする傍ら、自分の生活のことも大事だと感じるようになる。もしかしたら祖母のことを「認知症だから」その一言で片づけてしまうようになるのかもしれない。いつまでもいい孫ではいられないのかもしれない。

その変節は誰にも予測できない。

僕がその時置かれた環境や、出会いによって変わるだろう。

変わってしまうこと、それはもう仕方のないことないことだ。
いつまでも変わらない人間なんていない。

人間は必ず変化する。
その変化はもしかしたら、望まぬものかもしれないが、より良いものかもしれない。
「祖母を大切にする」そのまだまだ青い考えは、もっともっと現実に即した考えになるのかもしれない。それによって祖母は今よりも幸せになるかもしれない。

変化は誰にも予想できない。
だからといって不確かな今を軽んじることも出来ない。
確かな正解がないからこそ、結局頼れるのは自分の選択だ。無数にある選択肢の中から考え抜いて、より良いと思うものを選んでいこう。それがどのような変化をもたらすかは分からないけれど、少なくとも後悔せずには済む。それは自分で選んだことなのだから。誰かの言うままに何か選んだらきっと後悔する。

だから、僕は今自分の中にある最善を選んでいきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?