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#20 「老後」では間に合わない

ちぇーです。
「老後は○○がしたい」などと、よく「老後は」という言葉で何かを語られることがありますが、私にはわかるようでわからないというのが本音です。


老後じゃなきゃいけない理由

いや、「老後に○○」と言いたくなる気持ち、わかりますよ。
私も40代です。こどもたちはまだ小さくて、未来のことなんて考えたとてわかりません。未来に対する謎の不安もゼロではありません。

でも…これは、リスクのほぼすべてを「今」背負った気になって、いつから「老後」なのかもわからない未来のフェーズで、いまあるすべてを解放できる“気になっている”と、私は思っています。

わかりますよ。

でもね…その、いつからなのかわからない「老後」じゃあ遅いんです。

少なくとも「今」よりは老いて、体力や判断力もなくなるたタイミングにどうしてそんなに希望を託すのか。

そしてどうしてその「老後」というタイミングになると、総合的に何もかも自由に解き放たれるような気になっているのか。

私には、いろんなことをただ「先延ばし」にしているだけにしか見えないことが多いのです。

「今」を大切にしたい

こどもたちを見ているとなおさら思います。

毎日すくすくと成長し、ちょっと気を抜いた隙にまた成長する。
私が仕事に行っている隙に、すぐ新しいことをできるようになっている。

それがこどもたち。

そのこどもたちとの時間を大事にしたい。それが私の思いです。

こどもたちと日常を過ごし、
こどもたちとどこかに遊びに行ったり、新しいことに挑戦し、
こどもたちの成長を毎日しっかりと感じる

それは「老後」ではできません。
「今」しかありません。

「老後に○○」なんて悠長なこと、言ってられないのです。

「老後はあちこち旅行したい」
いやいや、身体が動く今、家族で行けよ
老後の旅行は、それはそれでいいけど、行動範囲にも限界があるだろう。

「老後は妻とゆっくり過ごしたい」
妻が元気かもわからんし、自分が元気かもわからんだろう。
そしてゆっくりできるかもわからんだろう。
今、妻との時間を大切に過ごせよ。

と、思ってしまう私がおります。

おそらく、私の実父が60歳で亡くなり、祖父たちも50代で亡くなっているからそう思うのかなと、推察します。

要は実父や祖父たちに「老後」は存在しなかったわけです。

「老後」なんてね、ないんです。

私が老後にやりたいこと

「老後にやりたいこと」というよりは、「老後じゃなきゃ」できないこと。

…何かありますかね。

「絶対に老後じゃないとできないこと」を除いては、身体が元気なうちにやっておきたいと思うと、あまり人生の後半に色々もっていきたくないな…

もし、「これは80代からしかやれません」というものがあれば、それは80代になってからやりますが、そんなものなさそうだし…

でも…そうだな…。
私が80代、妻が70代になったときに、二人で毎日お散歩できるような関係性と、体力があるといいな。

あっ

でもそれも…「今」と、「今の過ごし方」次第か…結局、「今」が大事なんですね。

きっと。


ではまた。

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