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循環型の社会にあこがれて、藍染めをはじめました

糸島で共食に出会った

福岡県糸島市は福岡市内から電車で西に四十分、海の方に突き出した半島と山からなる、自然豊かな場所だ。社会人になりたてのころの職場の先輩がご主人の転勤で福岡に住んでいて、福岡に行ったときに会った。彼女は糸島はいいところだから、ぜひ行ってみてと“いいね!糸島観光マップ”をくださった。おいしいパン屋さんがたくさんあって、JA伊都彩菜、二見ヶ浦にある夫婦岩の景色など自然が豊かなところだという。
それからしばらくして、福岡市内に家を借りて、東京と福岡の二拠点生活をはじめることになった。
偶然入った本屋で九州の食卓という雑誌のイベントの「共食(きょうしょく)」を目にした。申し込んでみたのは生産者と作り手の料理人と一緒に食卓を囲むということに惹かれたからだ。商店街の店主野口さとみさんがコーディネートして、自然農を営む村上研二さんの食材を料理人の金子真之介さんが料理してくれた。実家のミツル醤油を継いで、今までの醤油問屋から仕入れお店ごとに味をつくるやり方から、一からの醤油づくりをはじめた城さんの店のわきにある公民館で開かれた。醤油を作る樽も見せてもらったが、梯子で登らないと入れないような大きな樽で熟成されていた醤油はいい香りがした。

糸島に魅了された

糸島で自然農がさかんな二丈に畑があった。見学させてもらった畑は、冬のためか枯れかかった草が伸びて、足元はふかふかの土が草に覆われていた。ここのどこに野菜があるのだろう、とすぐにはわからない。耕さない、虫や草を敵としない、肥料農薬を用いないという三つの理があるという。
人がいて、環境があってでき上がるのが暮らし、あくまでも自然の一部として暮らしていくのが自然農。その日のお料理はイタリアの菜の花とスズキ、黒キャベツ、黄金カブのポタージュ、さつまいものロースト、ルッコラ、むらさき大根、かつお菜など畑で採れたものだった。野菜の味が濃い。しっかり主張しているのにおいしい。
糸島で実際にされている共食にも参加させてもらった。来ているのは糸島で暮らす人たち、茶碗、お椀、お箸を持参してそれぞれ行ける時間に集う場だった。村上さんのその時に収穫された野菜を金子さんが素材を生かす料理に仕上げている。行くたびに今日は何が出るのか、誰に会えるのだろうかと楽しみがあった。一緒に食卓を囲んで糸島に移住するきっかけになった話や、それぞれの道を選んで生きている人たちの世界を知った。毎回食べると元気がわいてくる食事をいただいた。食べ物は人を繋げて、お腹がいっぱいの満足感とはまた別の満たされた気持ちになった。
糸島の豊かな海は森があるおかげ、お祭りや神楽など伝統が続いているのも自然とともに生活しているからなのだろうか。平原王墓まつりに行ったとき、平原古墳の前で男性が話しかけてきて、秋の収穫のころ日向(ひなた)峠(とうげ)から太陽が昇る東の方に向けて埋葬されていた股間に太陽が当たると熱く語ってくださった。そこでの話を友人にすると、その方は平原王墓研究家の井手將雪さんだったのではないかと言われた。平原古墳は大きいもので四十六、五センチで三種の神器の一つ八咫の鏡と同じ大きさの大型内行花文鏡が出土していた。勾玉や首飾りなども埋葬されていたので女王のものだろう、歴史が生き続けている場所が糸島にあったことが知れた。

縄文のイメージがわいてきた

四年間の二拠点生活を終えて東京に戻ってきて、糸島での体験はいつしか循環型の生活をしたいという憧れになっていった。百年後の食とコミュニケーションをイメージしたときに、日向峠から太陽が昇る縄文時代のような風景が浮かび上がった。
その頃から藍染めの洋服の着心地が好きで選んで着ていた。藍染めに興味があったが、偶然正藍染という微生物の力だけの藍建てを知った。藍染には色々なやり方があって、染まらなくなった藍の液まで最後は農業に使えるこの方法はまさに循環型であった。人間国宝の千葉あやのさんは「冷染め・正藍染」の建て方で夏しか染めなかった。宮城県の栗駒山で冬は糸を紡ぎ夏に自ら育てた藍で染めて川ですすぎ自然の流れに沿っていた。
麻の葉模様のふんどしを藍染めを作りたいと思って栃木県の佐野へ正藍染の研修に行った。麻の葉の模様は昔ながらの柄で、とても惹かれている。藍で染めた布は血流を良くする遠赤外線効果があるので、下着につけたらいいのでは考えたからだ。

藍染めをはじめた

先生から習ったことは藍を建てるということなのだが、藍がなかなか建たず二か月近くかかってようやく色が出たときに、結果が出なければやっているつもりでしかない。ということを教わった。
私は外でやっているし、歴史がないからすぐにできなくても仕方がない。とはいえ同期は一週間くらいでできた人、三十数日でできた人、数人がすでに色を出していた。焦るし、教わったようにまねてみてもうまくいかなかったことで、自分で考えてやってみるしかないんだなと腑に落ちた。
建つという建築の建という漢字をあてて藍建てという。蓼藍を醗酵させたものを原料のすくもとして、そこに灰を炒って作った灰汁を加えて、微生物に働きかける。灰をふるうとき、大きな塊を取るために粗いふるいにかける。ふるいの中で灰が躍る。両手に持って左右に平行にふるう。椅子に座って二十キロの灰が入った袋から大きなお玉ですくい出す。その動きが渦をつくる。さらに細かいふるいにかけた時、砂漠の砂が波のようになるような線が生まれた。このふるいの中に砂漠が生まれ、一瞬にして終わった。何度もくりかえして、この回転によってエネルギーが入っていく感じだ。
気がつくと右手の中指、薬指に水ぶくれが出来て、お玉の圧で傷んだ。軍手をはめて、再び作業をする。全てふるいつくし、五キロ近くは塊などで花壇にうめることにした。サラサラな灰をつくり、これが藍のえさになる。灰はかまどで炒り、八キロずつ二回に分けてやる。梅雨が明けてギラギラした日差しの中、枯れた杉の木、竹の上に薪を組んで井桁に並べる。かまどに着火するとパチパチと燃え出す。しゃがんでうちわであおぐ、杉の木はものすごくよく火が着き、竹の切り口からはじゅうじゅう汁が出て、薪に燃え伝わっていった。
藍を植えている庭全体が整わないとはじまらないことを知った。藍に虫がつくのは、他の木から虫がやってくるからなので植木を切って、手入れしやすくしてもらった。草取りもした。ドクダミしか生えないレベルの土をアルカリ性に変えるために、土壌改良も考えた。全てが繋がっていることに気づかされた。
微生物とともに藍のかめの中で何もないところから、火・風・水・土が合わさり宇宙を顕現させる。生きるとは循環していくことだ。



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