おめでとうお疲れ10周年。前十字靭帯と生きていく

人生における「楽しい頃」と言われる中学高校大学校生活にかかる13歳から今を、おおよそすべて膝の怪我と向き合う時間に費やしました。

10年間で手術をした回数は6回。
内3回が膝前十字靭帯再建手術。その他は膝半月板の縫合手術です。
つまり、靭帯を3回切って再々再建しました。

靭帯の再建手術は現在人工靭帯を移植することができない為、自分の体から腱を持ってこなければなりません。
一度目は右腿の腱。二度目は右膝の膝蓋腱。3回目は左膝の膝蓋腱。
私の両膝には勲章が大小5箇所刻まれています。
かっこいいですね。

2019年に再々再建を行った靭帯ですが、おそらく今も切れています。
再再々再建を考える日もそう遠くないのかもしれません。再のゲシュタルト崩壊を起こしそうです。

2022年1月22日で10周年という節目を迎えた私。
悲しいかなこの数字は、私が痛みと恐怖と病院に費やした年数であることは前述の通りです。
膝の為に偏差値70の高校を諦めて県内最下位争いの定時制高校へ通い、通学できなくなって専門学校を2ヶ月で中退しました。
「夢だった仕事」「やりたい職種」は尽く立ち仕事。
膝に負荷がかかる仕事は長く続けることができず、そもそもいつ痛くなるか分からない状況下では、座りの事務職ですら通うことが難しくなる始末。
わたしの職歴欄はみるみるうちに埋まりました。

車椅子で移動することや松葉杖が日常になり、奇異の目で見られること、いじわるをされることにも慣れました。
松葉杖で歩いている時に先輩に足をかけられて転んでも、車椅子にぶつかられても陰口を叩かれても、上司に「気を引きたいから足が痛いふりをしてるんでしょ」と言われても、ただその場を泣かずに耐えてきました。

膝があらぬ方向に曲がる感覚、太い木の棒が折れたような鈍い音、脳みそを揺さぶる痛み。
冬の体育館の煎餅マットに倒れ込むコンマ数秒のスローモーションを今でも夢に見ます。
長い階段を降りる時は、いつ転げ落ちて死ぬだろうかと。遺書を書いてないからまだ死ねないなと。
この手術で治るからと言われて数回。絶叫する程痛いリハビリを耐えて一時歩けるようになってもそれでも治らなくて、膝を切り落としてくれと泣いて懇願した日もありました。

それでも生きてきました。耐えて耐えて、必死に生きてきました。

1人で我慢をすることを続けた私は20代になって「頼ってくれない」と彼氏に振られました。笑
そんなこともあります。我慢するしかないのをわかってるから、どうにもできませんでした。

膝の前十字靭帯を断裂してしまうことは、スポーツをやる人であれば経験したことのある、もしくは聞いたことのあるであろうそう珍しくない怪我です。

なぜ私が3回も断裂して10年も引きずっているのか。
今であれば体罰と騒がれてもおかしくない中学部活動の内情であったり、初回の靭帯再建手術にミスがあったとか。思い当たる節はいくつもあります。全てが事実で、悔しくて舌を噛みちぎる思いでした。

でも今回は誰かを悪者に仕立てあげたい訳ではありません。
私ヨシヨシカワイソウをしたい訳でもありません。

私は昔も今も膝がこんな状態でもとっても楽しく生きています。
やりたかったカメラマンを諦めないために、元気に動ける時間が多い今だからやらなければならないと思って頑張っています。

わたしのnoteでも、この長ったらしい文章を読んでくださる方がいると思うから、【 前十字靭帯 断裂 】と検索をした私より若い子たちが、同じ怪我をしても楽しく生きてるヤツおるなぁと思って貰えるように、この後続けるnoteの為に自己紹介と10周年記念を兼ねて記録します。

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