短編「闖入者」安部公房 感想


著者 安部公房

 たとえば、ある自明のこととして信じていたことが、ほんのすこしの小突きでたちまちに転倒してしまう。そうなったとき、人は自分が世界のどこに位置しているのかわからなくなります。つまり既知であったはずの世界から閉め出されて、一方的に異邦となった地の異端者に仕立てられて、自分がかつてあったところの世界での自由を失うのだといえます。
 「闖入者」でのKは、前触れなく自室に九人の家族が押し寄せることで、その自由を失います。押し寄せた家族はヒューマニズムの名の下に、暴力と不当な多数決で彼の自由を奪うのです。いわば部屋に突然現れた、招かれざる闖入者たちの小突きによって、Kは自分のものであるはずの部屋での権利と自由を失ったのでした。その家族がKをファシストだと決めつけたり、闖入者の一人のむすめが今度「人類愛」という詩集を出すのだということや、自分たちがいかに近代的で文化的かということを説くことは、Kにはただ救いようのない悪い冗談にしか思えないのでした。
 さながらイナゴの大群のような奇妙な家族には、Kに対する殺意が隠されていました。それは刃物で胸をグサリというはっきりとした形の殺意ではなく、闖入者の家族一人一人には自覚されない殺意なのです。その殺意とは共同体の持つ殺意なのです。この場合には闖入者たる家族という共同体のもつ殺意が、結果としてKを死に至らしめたのでした。Kのいうことを家族は耳を貸さないという、まったく対話の不可能だという点に、その共同体の殺意の根拠を持っています。唯一、むすめだけがKに歩み寄りの気配を見せましたが、Kはむすめとの関係に早々に限界と不可能を見て絶望に涙を流すのでした。
 たしかに人間の絶望とアイロニーと一種の諦観すらも感じられる短編ですが、どのような読み方をするにしても、これはまぎれもないユーモア小説だともいえると思います。


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