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【つぶやき】命を分けられるなら

子供の頃、
お年寄りが病気になってしまった人に
「変わってあげたいわぁ」と言っているのを聞いて
そんなこと出来るわけないじゃんと思っていた。

『はなちゃんのみそ汁』が流行っていた頃、
まだ20代前半だった私には母と子がまだピンと来ず、みそ汁よりも残す言葉などがあるんじゃないかと感じていた。

今私はどちらに対しても
真逆の感情を抱いている。

それを感じ始めたのは33歳の時だった。

私の父は小学校の入学式直前に
お母さんを病気で亡くしている。

33歳の若さだった。

子供の頃からその話は聞いていたが
あまり現実的にはピンと来ていなかったのかもしれない。

(どちらかというと
すぐに祖父が再婚して大変だったという話の方が
多分私の中で植え付けられたからだろう。
いつか書けたらこのことも書きたい。)

それが30代に入り、
結婚出産が早かった友人の子供たちが
ちょうど小学校に入るくらいの年齢になると
どうしてもその光景が父と実母の姿と重なった。

まだまだ母親の実質的な手も必要だし
愛も注がれるべき年齢なんだと
現実世界を見て分かった。

お母さん側も
やっと対等なコミュニケーションが取れはじめ、
これからの成長を楽しみだと感じている途上での
お別れは辛すぎるなと感じるようになった。

父と実母は
今時分の話したいであろう、
聞きたいであろう小学校での
新生活の話も会話が出来なかったのかと
最近もふと頭を過ぎる。

昨年、24時間テレビで
『はなちゃんのみそ汁』が取り上げられていた。

きちんと振り返ってみれば
お母さんの千恵さんが亡くなったのは33歳、
はなちゃんは当時5歳。

私の祖母と同じ歳で亡くなっていた。

気がつけば、
私は祖母やはなちゃんのお母さんの年齢を超えている。

今私に子供がいて同じ立場だったなら
子供に何を伝えておけるのだろうか。
自分の闘病だけに精一杯になってしまう気もする。

今の私よりも若い年齢で、
何かを残したいと思い、そして残した
はなちゃんのお母さんは素敵だなと思った。

今となっては
そこでみそ汁を選んだ理由もわかる気がする。

食は生きていく上で必要不可欠だし、
毎日鰹節を削る時間にはお母さんに触れられるような
そんな時間を残したのかなと、
勝手な想像ではあるがそう私は感じている。

少し前に学生時代の先輩が
病気により急死された。
お子さんがいる。

そんな話を聞くと不思議と
「あぁ、変われるのなら変わりたい」と思い、
子供時代に見ていたお年寄りたちの言葉も
理解出来るようになってきた。

今の私には子供ほど守るべきものは無い。

このまま私の人生が80歳であるのだとしたら
10年分けても全く困らない。

子供を残して旅立つ人へ
命の時間を分けられるのなら…

無理なことだけど
そんなことを考える年齢になった。


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