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ある街での出来事⑥【小説】

夏休みが終わり、学校の授業が始まった。
私はセールスでお店のカウンターに立っていた。

あの夏休みの最後の日以来、彼には会っていない。
けれども、どこの学校も試験の時期に入り、久しく会っていない人が多かった。
私もたまたま今日シフトに入っていたくらいだ。

ふと、彼の姿が目の前に現れた。
彼は本当に不意にお店に現れる。
珍しく奥の休憩室に行かず、お店の席に座った。

後から何かを注文しにカウンターにやって来たけれど、私は他のお客様に対応していたので、他の人が受けていた。

背中をこちら側に向けて座っていたので、後ろ姿を見つめることができた。
もし彼がこちらを向いて座っていたら、私は緊張していつものように不自然な動きをしてしまうのだろう。

背中を見ているうちに、ちょっと話しかけてみようかという気持ちになった。
近辺のテーブルを拭くついでに、

「何を勉強しているんですか?」

と声をかけた。
突然彼は立ち上がった。

「試験、明日からじゃなかった?」

私はちょっとびっくりした。
この前試験の日程を言ったことを、覚えていてくれたのも嬉しかったけれど、立ち上がるまでもないことだと思った。
焦って、

「あ、お客様、来たから。」

と、そそくさとカウンター内に戻った。

彼は私の仕事が終わるまでお店にいた。
帰り際は休憩室でみんなで雑談を少しして、帰ることにした。

お店を出て、バス停に続くお店のすぐ側の横断歩道の信号が青に変わるのを待っていた。
後ろからオートバイのエンジンをかける音が、人がまばらになった商店街に響いていた。


ようやく試験が全部終わった。
学校を出て、私は友人と街の中心街に出かけた。

彼の誕生日はもう過ぎていたが、先日FMを聴いていたら、新人の女性アーティストが歌うとても気に入った曲があった。
私も先日購入したばかりだったけれど、そのデビュー曲が収録されている1stアルバムをプレゼントしようかと考えた。
児島未散という、デビューしたばかりのアーティストなので、知っている人はきっとまだいないだろう。
アルバムのタイトルは『BEST FRIEND』。
夏をコンセプトにしたものだった。

自分が購入したレコード店に、また在庫があったので購入した。
街をいろいろ見て回っているうちに、ふと思いついた。

そういえば、財布なんかもいいかもしれない。

ドライブでの高速道路の料金所で、ちょっと持ってて、と彼が財布を私に渡した時、たしか穴が開いていた。
コインケースのような小さな物で、いつもはジーンズのポケットにでも入れているのだろう。

何ヵ所かのお店で探して、白い小さめのコインケースを購入した。
友人と別れた後、その足で思いきって私はバイト先のお店に向かった。

たしか今日は、彼はシフトに入っていたはずだ。
一刻も早く渡したい気持ちだった。
ドーナツショップに着いたのは21時近くだった。

休憩室に入ると、彼の姿はやはりあった。
彼は私の姿を見つけて、

「あれ、どうしたの?
こんな時間に。」

「あのー、これ。
誕生日のプレゼントです。
遅くなったけど。」

「えっ、プレゼント!?
ほんとに?」

彼は驚いた様子だった。
私も今回はかなり頑張っている気がする。

「ひゅー、河野さんモテる~!」

一緒に休憩室にいた上村さんが冷やかした。
私は赤くなってしまった。

「ありがとう。
ほんとにもらっていいの?
これ、誰のレコード?」

「児島未散って人です。
知らないでしょ。」

「うん、初めて聞いた。」

「そうでしょ、私もつい最近知ったんです。」

21時になったので、男性二人はお店に出て行った。
私は休憩室に一人ポツンと残された。

もうちょっとして、帰ろうかな。

壁時計を見て安堵感に浸っていると、彼がすぐ一人で引き返して来た。

「佐藤さん、金曜日空いてる?」

「金曜日ですか?
明後日?
ええ、何もないですけど……。」

「じゃあ、いいね。
連中と飲みに行くから、空けといて。」

そう言うと、すぐまた店頭へ早足で歩いて行った。

突然だなぁ、飲みに行くんですって。
わー!
でも、連中って誰だろう……。

私は実のところ、少し心配な予感がしていたのだった。
それは10日ほど前からだった。
大学生は、ほとんど試験中はバイトに入れなくなるせいかもしれないけれど、その間二人の女性が新しく採用されていた。

二人とも私より年上だった。
二人とも綺麗な人だった。
そしてひとつ年上の佐伯さんは、身長がスラッと高くて、ロングヘアーで女性らしい雰囲気で憧れてしまうほどだった。
まだ一度しか一緒に仕事をしたことがなかったけれど、とても優しい感じの人だった。

私は直感したのだった。
もしかしたら、彼はこういう人がタイプかもしれないと……。
私はその連中というメンバーの中に、彼女が入っているのではないかと考えた。
その予感は見事に的中した。


翌日彼女から、

「河野さんに飲み会に誘われたけど、佐藤さんも聞いてる?
どうする?」

と問われた。
私は、やっぱりと思った。

「一緒に入った高田さんも一緒に誘われたけど、彼女用事があるから、行けないって。
どうしようかしら。」

と迷っている様子だった。
彼が幹事をしているらしく、他に誰が誘われているかわからなかった。
その日、私は彼女とすれ違いでシフトに入っていて、彼女があがった後、私は17時からだった。
彼は今日も21時から来ることになっていた。

やがてお店に来たけれど、私が仕事が終わって帰る際、

「じゃあ、明日18時にここ。」

と言っただけだった。
私はやはり悪い予感を感じとった。


当日17時30分には、待ち合わせ場所のドーナツショップに着いた。
彼が休憩室に入って来た。

「あ、どうも。」

私は挨拶をした。

「今日は誰が一緒に行くんですか?」

とメンバーを尋ねてみた。

「副店長の長野さん、その友人らしい人、北川さん、寺尾さん、佐伯さん、佐藤さんだろ、そして俺。」

「ん? 佐伯さんは、バイトに入ってるんじゃなかろうか?」

側で話を聞いていた店長が振り向いて、彼に聞いた。

「いえ、彼女は17時にあがっています。」

この会話を聞いて、私は彼が17時頃お店に来ていたことを察した。
初めて彼とお酒を飲みに行くのに、気が晴れない気分だった。


間もなく18時になり、メンバーが全員集まったので、地下鉄で街の中心街に向かうことになった。

ある居酒屋のチェーン店に到着した。
長い大きなテーブルを中心に各自席に着いた。
偶然私は彼の左隣に座った。
気になる彼女は、彼の向かいの席だった。

飲み物と料理が運ばれ、乾杯をした。
話が盛り上がってきたところで、私はふと彼の言葉を聞き止めた。

「佐伯さん、彼氏いるの?」

間違いなく彼の声だった。
その後に続く会話のやり取りは聞く気がしなくて、私は体の向きを少し左に変えた。
左隣はこの前一緒にドライブ行った寺尾さんだった。
私は向かいの副店長の友人と、その隣の副店長を交えた4人での会話の中に加わった。

彼と隣席に座っていながら、話した会話はトイレへ席を立った時の、

「ちょっと後ろ、すいません。」

だけだった。

私は今夜、この恋が終わるとわかり始めていた。
彼はとても楽しそうだった。

運ばれてきた料理がほとんど無くなってしまい、何時間か過ぎたところで、お店を出ることになった。

副店長と友人は別のお店へ寄るらしく、私達5人は二次会で、ドーナツショップの近くへまた地下鉄に乗って戻り、彼の知っているカラオケ店へ向かうことになった。

地下へ続く階段を下った所にあるそのパブのようなカラオケ店はけっこうスペースが広く、照明が少し落としてあって薄暗く、向こうのほうにステージが備えてあった。
店内の壁に沿って続く白の長いソファーは、落ち着ける雰囲気を漂わせていた。

私の心はもうかなり落ち着いていた。
ただ家に帰ったら、泣きたいだけ泣いてしまおうと決めていた。

側にいる彼が、もうとても遠い所にいるような気がした。
あの夏の日、一日中一緒にいてくれた人とはまるで別人のように思えた。

「やっと本来の姿になったね。」

彼は副店長達が抜けた顔ぶれを、その様に例えた。

「ほら、何か好きな飲み物選べば。」

ドリンクのメニュー表を見て、私達女性はみんな同じ飲み物を注文した。

彼は飲み物を選ぶとカラオケの曲を選んで、いつの間にか少し距離のあるステージへ向かって歩いて行った。

彼のリクエストした曲が流れ始めた。
初めて聴く彼の歌は、とても上手かった。
聴き惚れてしまうほどだった。
私が彼のことを好きではなかったとしても、彼の歌は見事なものだった。

彼は歌い終わって、たくさんの拍手を浴びながらこちらへ戻って来た。

「いやー、河野さん、上手いなぁ。」

「ほんと、ほんと!!」

彼は微笑んでいた。
その後、男性二人は交互に何曲か歌った。

やがて、先ほど注文した飲み物が運ばれてきた。
女性が注文した飲み物には、どれも一粒のチェリーとストローが差してあった。

「あれっ、なかなかこのさくらんぼが取れない。」

「ほんと、難しいね。」

私達3人は一生懸命、先が少し広がったストローを使ってチェリーをすくい上げようと頑張った。

「ほら、かしてみて。」

彼は、正面に座っていた佐伯さんに言った。

「えっ、いいですよ。」

「いいから、かしてごらん。」

彼は彼女から、強引にグラスを奪い取った。
そしてチェリーをすくい上げようと必死だ。
私は胸がきしんだ。

河野さん、やめて……。

心で叫んだ。

「ほら、取れたよ。」

彼はどうにかチェリーを取り出した。

私はそのやりとりを見守った後、彼を完全にあきらめていた。
彼の楽しそうな表情。
彼の楽しそうに歌う姿。
傍らで私が絶望している感情を、気にも止めていない。
気づいてもいない。
いいえ、知らないふりをしているのかもしれない。
私は彼と飲みに来るのは、これが最初で最後だと思った。

私の向かいに座っていた北川さんが、

「どれ、さくらんぼ取ってやろうか?」

と言ってくれたけれど、私は、

「ううん、ありがとう、自分で取ります。」

と答えた。
どうにかチェリーが取れた後、思わずテーブルの上のカラオケの歌本を手にした。

あった。
あのデビュー曲、『セプテンバー物語』。
一昨日、河野さんにプレゼントしたアルバムに収録されているシングル曲だ。
まさかもう歌本に載っているとは思っていなかったので、驚きとともに私の決心は固かった。

「私、歌ってきます。」

彼にそう言った。

「え、歌?」

「はい。
ほら、この前レコードをプレゼントしたでしょう。
あの中に入ってる、『セプテンバー物語』って曲。
河野さん、聴いてくれました?」

「ああ、あの、セプテンバーストーリ~♪、ってやつね。
聴いたよ。」

やっと今日、彼とまともに会話ができた。
それを聞いていた北川さんが、

「河野さん、一緒にデュエットしてやりなよ。」

と言ってくれた。

「えっ、でも、俺全部歌えないよ。
3人で歌える曲にしたら?」

彼は言った。

「私、一人で歌ってきます。
レコードと比べないで下さいね。」

勇気を出してそう言ったのに、彼は私の顔を見ずに違う方向に視線を置いた。

私にとっては、今日が初めてのカラオケ体験だった。
だけれどこのレコードを購入してから、すごく気に入っていつも部屋で聴いたり歌っていた曲だから……。
きっと大丈夫だろう。

曲をリクエストして、間もなく前奏が始まったので、ステージに急いで向かった。
ステージの後部の大きめなスピーカーから、大きなボリュームで流れ出した。

思わず、その音量の大きさに背中を押されそうになった。
少し手のひらで、緊張を押さえるように胸を押さえた。
店内にはまばらだったが、他のお客様も座っていた。
瞬間、演奏と私の声は重なってお店全体に広がった。

ただ一生懸命に歌った。
歌っている時は、誰の顔も見えなかった。
あの人の顔も。
この恋の終わりの記念となるように、ただ夢中で歌った。

曲は終わった。
私は照れながら、自分のソファーの場所へ戻った。

「佐藤さん、上手ーい。
私、ちょっと佐藤さんの後には歌えないわ。」

佐伯さんが褒めてくれた。

「そんなことないですよ。
佐伯さんも一曲ぐらい何か歌って下さいよ。」

「そうですよ、やっぱり佐伯さんが歌わないと。」

彼はそう言って、相変わらず私の顔を見ない。
でも、もう心残りはない。
さっきのチェリーの件はショックだったけれど、ひょっとして、このお店に来て良かったのかもしれない。

結局女性で歌ったのは私だけで、後はまた彼ら二人が順番で歌ったり、一緒に歌ったりした。

さよなら……。
河野さん。

私はソファーの席から、彼が熱唱する姿を目に焼きつけた。

そろそろ帰る時間になった。
私と佐伯さんは帰る方向が同じだった。
私はいつものようにバスで帰るけれど、彼女は地下鉄で帰るらしい。
バス停と地下鉄の駅へ降りる場所は、同じ所にある。
自然と彼が送ってくれるようだった。
私は、彼と佐伯さんの少し後ろから歩いて行った。
彼はチラッと後ろを歩く私に振り向いた。

私はさっきまで気が動転していたけれど、少しだけ重い気持ちを消し去って、開き直ったような心境になっていた。
勇気を出して、大好きな歌を歌えたせいかもしれない。
二人の並ぶ後ろ姿を羨まし気に、苦笑しながらも、どうにか見つめることができた。

一時は山口さんとのことを心配していたけれど……。
よかったね、河野さん。
そんなに楽しくなれるような、ステキな人にめぐり会えて。

私は二人を見つめながら、呟いた。

二人は、私をバス停で見送ってくれた。
やがてバスが来た。
バスの後ろの左側の窓側に座り、彼らの方を見て手を振った。
彼女は手を振り返してくれたけれど、彼はあのカラオケ店にいた時と同じように、わざとこちらを見なかった。
間もなくバスは帰宅方向へ走り始めた。

自宅の自分の部屋に入って、やっと我慢していたものを吐き出した。
今日はなんて長くて辛い一日だったのだろう……。
大好きなカラオケデビューを果たしたけれど、こんな形になってしまうなんて……。

あきらめがついたのは確かなことだけれど、私には泣くことしかできなかった。
ちっぽけなプライドを傷つけられ、傷ついたことも悔しいけれど、ただただ悲しい。
それでも彼を想う気持ちは、自覚していた以上だったと、なかなか止まらない涙を見ていて思い知らされた。

号泣するのはずいぶん久しぶりなので、涙が止まるのを客観的に待ってみたけれど、なかなか止まらなかった。
しかし土曜日の明日も、午前中から学校の授業があるので、あまりにも目が腫れてしまうわけにはいかない。

やはりあの夏の日、心の奥にせつなさを思わせていたのは、こういう日がいつか来ると怯えていたせいだろう。
それにしても、早すぎる結末だと思った。
ドライブに行った日から、まだ2ヶ月ぐらいしか経っていない。

私にとってはまだ19歳だけれど、あの日が人生最良の日だと大切に思っていこうとした。
でも河野さんにとっては、とるに足りないありふれた一日だったのかもしれない。

こんなにもあっさりとあきらめさせてくれたのは、今日の意外とでも思えるほどの、彼の冷たい態度だった。
これ以上ああいうふうに接されるのが怖かった。

私の中で、ドライブの日にずっと優しくそばにいてくれた彼のことを、大切に思っておこうと全部しまい込むことにした。










※女性アーティストの『児島未散』さんは、テレビドラマやラジオなどでも活躍されて、数年間アメリカへ語学留学された後、2016年から再活動されています。
オリジナルアルバムの8枚のうち、1stと2ndの2枚のアルバムはサブスクで全曲聴けます。
素敵なインスタグラムとツイッター投稿はほぼ毎日、インスタライブ、無観客ライブも時々あります。
1st『BEST FRIEND』
※全曲 作詞:松本隆先生 作曲:林哲司先生の作品です。
2nd『MICHILLE』

いわゆる"シティポップ"というジャンルです。
なんと、2021年春に再活動第一弾のオリジナルアルバムをリリースされました。
「セプテンバー物語」をはじめ、懐かしい4曲をセルフカバーされての全10曲収録です。
よかったら、聴いてみて下さい♪



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