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親として"待つこと"の大切さ。答えはまだ無いけれど

子育てって与える事が全てじゃないよね、という話

理想の育児は子供主体

定期的に目にする
○歳までに決まる***!
賢い子は○歳までに必ずやっている!
といった情報

毎回心がざわつく

親の育て方が大事なのは理解するけど
与えることに重きが置かれすぎてる気もする

早期教育やカリキュラムが緻密に組まれているようなものは
私の息が詰まってしまい
更に子供がその通りにできないと不安が増すので避けてしまっている
(実際は私自身の偏見などもあると思う)

素敵だなと思うのは子供主体の子育て

年齢や周囲の流れに一律に合わせるのではなく
子供の様子を見て興味がありそうな時に
そっと差し出す

ただし、様子に気がつけるのか、見落とさないか、間に合わないことにはならないか
という不安と隣り合わせでもある
(間に合わない事なんて実際あるのかな…)

それって言い換えれば親は待つ必要がある

今回noteに書き綴ることにしたのは
親野智可等さんのこのツイートを見たのがきっかけ

みんな不安なんだよね
遅れをとらずに何でも出来てほしい

子供のためと思っているはずなのに
いつしか自分の不安を無くすためになってないか?

理想の子育ては、言い換えれば
親は辛抱強く待つ必要があるなと思った

我が子がいつか
知りたい、身につけたい、やってみたい
と示すことを信じて待つ

あらゆることが得意になれば安心だけど
オールマイティな人はいない

目指すのは
自分で生活できる力を身につけること
そして、好きな事があること
(好きを仕事にする必要はない)

答えはまだ無いけれど

子育てが上手くいったと思える日は来るのかな

子供が成人してから?
50歳くらいになってから?
一生分からない?

子育てってゲームをクリアするような
単純なものではないから答え合わせは出来なさそう

待ちに待った結果
手遅れになったらどうしよう

この不安とうまく付き合う方法をこれからも模索していこう

悩みながらも考えて少しでも良いものを
選択していけたらなと思う今日この頃

おしまい

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