終わりまでの人生の振り返り3

入籍を考え始めたきっかけは、夫の転勤だった。

もともと隣県に住んでいた夫だったが、急遽そのまた隣県への転勤が決まった。
引っ越しを手伝い、賃貸の引渡しも立会い、なんだか実感のわかないまま遠距離となった。
最初はよかった。
当時私は幸いにもリモートワークが可能な職場で働いており、有給やリモートワークを組み合わせながらも、車で2時間半ほどかけて今まで通り週に1回・2週間に1回ほどの頻度で通い妻のようなことをしていた。

そんな生活の中で夫から、今までと全く違う仕事ばかりで大変だという話を聞くようになった。
確かに仕事の終わる時間も転勤前と比べ非常に伸びていた。
会うたびにだんだんと覇気がなくなっていくのを感じた。
ある日の朝、リモートワークの準備をしながらふと玄関を見ると、見送ったはずの夫が玄関で立ち竦んでいた。
ああ、もう無理だ、仕事を辞めさせよう。そう思った。
夫を抱きしめて二人で泣きながら、私もいるし辞めていいんだよ。実家に帰ったっていい。ちょっとゆっくり休もう。と声をかけた。
それからは怒涛の日々だった。
義母と義兄が夫の地元から駆け付けたり。
私もリモートワークや有休を使いながら極力一緒にいれるように。そんな状態の夫がいなくならないように見張るために。

夫の会社へ辞職の意思を伝えたところ、資格職だった夫を辞めさせるには惜しいと考えた会社は、
どこに行きたい?と希望を聞いてきた。
それに対して夫は、昔、楽しいと感じた記憶をもとに今の居住区を答えた。
地元から600km以上離れた土地だった。
でも夫が行きたい場所なら、夫が笑って暮らせると思える場所があるならと。
それでいいんじゃない。まあ今まで通りは会えなくなるかもしれないけど、会いに行くよ。と答えた。
会社は夫の希望通りの場所に転勤させてくれた。

それからは月に1回ほどに頻度は減ったものの、今まで通り通い妻を続けていた。
GWなんかは1週間以上滞在していた。
コロナ禍の真っ最中だったが、高速バスを使い、夜に出発して翌朝地元隣県について、そこから電車で帰るという生活を続けていた。
そんな生活でも対してそんなに苦ではなかった。
少しづつ元気を取り戻す夫を見るのも嬉しかったし、何より夫が好きだったから会えるだけで嬉しかった。
地元や今までの転勤先と比べ、都会であるこの土地は楽しいことがいくらでもあった。

あるとき、歩いて外食に行って飲みながら話しているとき、「仕事をもっと頑張りたい。出世したい。」という言葉が夫から出てきた。
うれしかった。
出世するかどうかは正直私にはどうでもよかった。
ただただ辛かったあの時よりも夫が笑えていることがうれしかった。

そんな生活を半年ほど続けていたころだろうか?
お互いの親に挨拶に行くか?という話になった。
プロポーズでもなんでもない。私が半ば無理やり入籍漕ぎつけたような感じだった。

はじめは、夫から同棲をしないかと提案され、私はそれに対し同棲をするには婚約するか入籍するかじゃないと無理だと返した。
私は仕事も友達も家族も親戚も全部地元に集結している。
一切地元を出たことのない人生だった。

自分の今までを捨てて行くほどの覚悟が、婚約でもないただのお付き合いという状態では心もとなかった。

それらを伝えると、夫の周りには彼氏と彼女だが、彼氏が養って同棲をしているカップルも多いのだという。
ただ、当時私は既に29歳を迎えていた。アラサーである。
彼氏と同棲するために全部捨てて飛び込むには少々年齢を重ねすぎていると思う。

もしダメだったら?別れることになったら?子どものことを考えるのならそれなりの年齢であることは考えてくれないのか。
いろんな気持がぐちゃぐちゃに混ざって毎日泣き暮れていた。
女性で同じ状況だったらこの気持ちが分かる人は多いのではないだろうか。

そんな話し合いを何度も繰り返し、じゃあ入籍しようという話になった。
両親への挨拶も何とか行い、両家顔合わせは二人の生活が落ち着いて雪も降らなくなった春先にでもという話になり、11月に入籍をした。
そのあと私の仕事の引継ぎや諸々の片付けを終え、2月から移住することになった。