note_海

空と海の停留所

梅干しの種を舌の上で転がしつづけても
新しい果肉は生まれてこないし、
見損ねた映画のちらしを裏に表にひっくり返しても
新しいすじ書きは現れてくれない。
まぶしい停留所で電車がごとんと止まって、
向かいの窓がぜんぶ青い空と海になる。
いつもの地下鉄の駅から駅の長い時間のうちに
夕暮れの空の色の移ろいを見逃していることを思い出す。
開け放たれたドアからとんぼがついと入ってきて、
飛んでいく軌道に水面が生まれるのを見た。
ずるいなあ、
わたしの体の周りだけ
時間も風景も、肩こりみたいに
鈍くかたまっているみたいだ。
窓いっぱいの青い空と海をぱらりと剥がして
折り畳んで持って帰ってしまいたいと想像する。
小さな子どもが父親の右腕にこしかけて、
揺れる吊革に手を伸ばしている。
指先はあと少し吊革に届かなくて、
彼が自分のものにできる世界はそこで途切れる。
父親が左手で吊革をしっかりつかんでいるのを
子どもは不思議そうな目をして見ている。
彼の向こうの窓いっぱいの青い空と海は、
剥がしても剥がしてもやっぱり青い空と海で、
折り畳んで詰めこんだらかばんが先にぱんぱんになるにちがいない。
そうして持って帰った何十枚もの空と海を部屋中に貼れば、
何十枚ぶんの夕焼けが同時にやって来るにちがいない。
そんな想像を忘れてしまうのは
きっとおそろしくたやすくて、
指先を泳がせて吊革を求めるわたしと
額に吊革をごつんとぶつけていらだつわたしとを
分厚いガラスが隔てている。
おもたい水飴の中を進むようなもどかしさを
澄んだ秋の水にすべて入れ換えてしまいたい。
まもなく終点、のアナウンスが流れ、
座席から立ち上がると、
耳元でちゃぷんと、小さな波音が聞こえた。

(2017年6月)

*ユリイカ 詩と批評8月号 今月の作品・佳作

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