04古地図戦後

古地図でたどる向島の歴史〜戦後〜

おいでやす、ひつじです。

スロースタートでやっと訪れた銭湯は、掲載許可に時間が必要につき、またもや事前情報をお茶を濁させてください…!

向島界隈の古地図を見つけたので、時代を遡って歴史をまとめてみます。
銭湯をとりまく時代背景を知るための基礎情報です。

※古地図から情報を抜粋して手描きしたものを掲載しています。
読み取りミスなどあるかもしれませんがご容赦ください。

今回は戦後の地図より。

帝都近傍図:1946(昭和21)年

この時代は墨田区ではなく、向島区でした。
翌年1947(昭和22)年に、南に隣接する本所区と合併して墨田区が生まれます。

街区は、現在と見比べるとだいたい同じような雰囲気。
ところが、よく見ると意外な変化に気づきます。

変化①地名が変わったところがある

たとえば、現在の八広や京島という地域が、この地図では、まるっと吾嬬町になっています。

意外と新しい地名なのかなと思って調べると、やはりそうでした。

八広
一帯は元々「吾嬬町」(あずままち/あずまちょう)といい、1965年12月1日の住居表示実施に伴い、寺島町六・八丁目、隅田町四丁目・吾嬬町西五 - 九丁目の8地区が合併して成立した[5]ため、「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名された。 Wikipediaより
京島
地名の由来
東京の「京」と向島の「島」を合わせた名前から「京島」。
沿革
1965年(昭和40年) - 旧・寺島町四丁目、旧・吾嬬町西一丁目、旧・吾嬬町西四丁目の合併により成立。
Wikipediaより

ここ50年くらいのことだったんですね。意外。

変化②駅名が変わった

現在の八広駅の辺りには、荒川駅があったようです。八広の地名がなかったので当然ですね。

また、現在の東向島駅辺りには、玉之井駅があったようです。
ちょうど昨日、「玉の井には遊郭があった」と小耳に挟んだのでググってみました。

玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られる。
Wikipediaより

全国どこでもですが、売春防止法の対象になった地域は変化が凄まじいですね。
このまちも激動の時代を経てきたのだなと思います。

空襲の被害

この地図には戦災消失区域も示されています。(赤色塗りつぶし)

これより南の地域(現在の江東区)は真っ赤で壊滅的なのに比べると、この辺りは一部燃え残ったようです。

燃え残った地域に、先述した京島が重なります。
京島は、戦前の長屋が特に多く残る地域。その長屋が近年活用されたりしているんですね。

空襲の被害を受けたかどうかが、その土地・建物の歴史の大きなポイントになりそうです。

※今回作成した地図は、こちらを参考にしています。

さらに昔の様子は、次回以降でお届けしてまいります。お楽しみに!

次回予告

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