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第151話「卒業」

前回、第150話「ヴァネッサの反攻」

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 太陽石の光が最も弱まり、木枯らし吹きすさぶ冬の季節も過ぎて、今年も学院都市には卒業シーズンが訪れた。

 今、リン達学院卒業生の前には祝福ムードが広がっていた。

 卒業生達は、学院卒業の証としてスイートピーの花を胸に差していた。

 その花には、水を与えなくても枯れないように魔法が施されており、魔導師個人を識別する手の甲の焼印が押されている。

 この花を魔導師協会に持っていけば、学院魔導師の証である真紅のローブとメイエーレ(100階層)住民の証である空色のローブとを交換してもらえる。

 しかし、1ヶ月以内に交換しなければスイートピーの花は枯れてしまう。

 現時点でメイエーレ(100階層)に進む意思なしとみなされるのだ(再度花をもらうには、もう一度単位を取得し直さなければならない)。

 ほとんどの卒業生が何の迷いもなくスイートピーの花を魔導師協会に持っていくのに対して、リンはその花を持っていくでもなく、かと言って破棄するでもなく、ただただ箱に入れて保管していた。



 イリーウィアはウィンガルドの代表として、今年アルフルドを卒業するウィンガルド人やウィンガルドに所縁のある卒業生達を屋敷に迎えて、もてなしていた。

 すでに水色のローブを着込んだ卒業したての者達が、一人一人イリーウィアに挨拶しに行く。

 この後、イリーウィアは彼らを100階層まで引率することになっている。

 彼女は自分を訪れる者達に愛想よく挨拶をしながら、その実お目当ての人物が現れるのを今か今かと待ち受けていた。

「イリーウィア様、見てくださいよこれ」

 アイシャがもらいたてホヤホヤの空色のローブを披露してみせる。

「あら、アイシャ。無事卒業できたのですね」

「はい。おかげさまで」

「2年で高等クラスをクリアするなんて大変だったでしょう?」

「なんの。ヘルドが島流しにされた分、私が今年度のウィンガルド代表として頑張らないといけませんからね。イリーウィア様に続くためにも、高等クラスくらいでへこたれているわけにはいきません」

「ふふふ。頼もしいですね。それはそうと……」

 イリーウィアはキョロキョロと辺りを見回しながら言った。

「リンはここに来ていないのですか? 招待状を送ったはずなのですが……」

 アイシャはため息をついた。

(まったく。イリーウィア様ったら。まだ、あの外国の子に首ったけなのかしら。私達のことを差し置いて)

「リンの奴ならここにはきていませんよ。それどころか聞くところによると、まだ空色のローブすら受け取っていないとか」

「えっ? そうなのですか?」

「ええ。全く何考えているんですかね。苦労して単位を取得したっていうのに」

「もしかして、卒業せずアルフルドにとどまるつもりなのでしょうか?」

「さあ、私にゃあいつの考えていることはさっぱりですよ」

 アイシャはお手上げといった感じで肩をすくめてみせた。

(リン。しばらく行方をくらませてようやく帰ってきたと思ったら。今度は卒業拒否ですか。まったく。気を揉ませてくれますねぇ)

 イリーウィアは立ち上がった。

「イリーウィア様?」

「少し席を外します。あとはよろしくお願いしますね」

「えっ? よろしくって……。ちょっと、イリーウィア様、一体どこに?」

(ヘルドもダメになってしまった今、リンにはより一層頑張ってもらいませんとね)



「リン、ちょっとリンったら。出てきなさいよ」

 ユヴェンはリンの部屋の前でドアを叩いていた。

 彼女も例に漏れず空色のローブを着ている。

「ったく。どうして出てこないのよ。もうすぐワゴンエレベーターが動き出すっていうのに」

 ワゴンエレベーターは卒業した魔導師を一斉にメイエーレに輸送する装置だった。

 階層をまたぐエレベーターは非常にエネルギーを要するため、月に一度しか動かず、また魔力の消費量も非常に高い。

 そこでまだ魔導師として未熟な卒業生らは魔力の節約のために一度に固まってワゴンエレベーターに乗り、次の階層へと向かうのだ。

 卒業直後のワゴンエレベーターに乗れば卒業生は様々な特典を受けることができる。

 魔力を節約できる、100階層のチュートリアルを受けられる、……などなど。

 いずれにしても後から来た魔導師に対して優位を持てることは間違いない。

 そのため、なるべくなら卒業して一番最初の便で、100階層に行くべきなのだが……。

「コラー。いつまで居留守使ってんのよ。居るのは分かってるんだから。さっさと出てきなさい」

 ユヴェンが扉をガンガン叩くと、扉が開いてテオが出て来る。

「うるせーな。なんども叩くんじゃねーよ。リンは今、ここにはいねーよ」

「ちょっとそれよりもどういうことよ。あいつまだ卒業の証である空色のローブ受け取ってないそうじゃないのよ」

「知るかよ。俺だって何も聞いてないんだから」

「ったく。どうするつもりなのよ。もうすぐワゴンエレベーターが出発するっていうのに。まさかあいつメイエーレに行かないつもり?」

「さあな。とにかく気が乗らないのを無理矢理引っ張っていくわけにもいかないだろ。さ、もう帰ってくれ。こっちも荷造りしなきゃいけないんだから」

 テオは部屋に引っ込んで行く。

 ユヴェンはしばらく床に目を落として難しい顔をする。

(リンの奴、まさかアルフルドに残るつもりなの? そんなのって……)



 リンはアルフルドの最も人気のない場所に避難していた。

 そこは学院の教室。

 卒業生はみんな学院から出て知り合いに挨拶をしたり、準備に取り組んでいるため、まさか学院に戻っている者がいるとは誰も思うまい。

 灯台下暗しというわけだった。

(ふぅ。やれやれ。ようやく人のいない場所に来れた)

 今、アルフルドの街はどこもかしこも卒業生の話で持ちきりだった。

 リンは道すがら知り合いに会う度に呼び止められて、今後の進路について根掘り葉掘り聞かれるのであった。

 学院は無事卒業できたのか。

 卒業要件を満たしたならなぜ空色のローブを身に付けないのか。

 メイエーレに行くつもりはないのか。

「まったく、なんでみんな僕の将来がそんなに気になるんだか」

 リンがそうやってひとりごちていると、胸元からレインが飛び出して駆け出していく。

「レイン? どこ行くんだよ」

 リンは慌てて追いかけるが、レインは壁をよじ登って柱を伝い、リンの手の届かないところに行ってしまう。

「レイーン。待ってよ。戻っておいで」

 リンがそう呼びかけてもレインは一向に脚を止めず疾走する。

 やがてガエリアスの像の頭の上に到達するとようやく足を止めた。

(全く。不敬なことを。その人は今、君のいるこの塔を建てた人なんだぞ)

「さあ、レイン。追いかけっこはもう終わりだよ。降りておいで。うっ」

 リンは突然強い魔導師の存在を感じて、身を竦める。

 押しつぶされそうなほどのプレッシャーだ。

 空気が震えて、呼吸をするのも辛くなる。

(これは……魔力?それも物凄く強い……)

 リンは魔力の源を探ろうとして、ガエリアスの像に行き当たった。

 ガエリアスの像の後ろ、レインのすぐ側に誰かがいる。

(アルフルドでこれほどの魔力を持っている人なんて……。一体誰が……)

「ここにいましたか。リン」

 優しげな声が聞こえてきたかと思うと、魔力の重圧がフッと弱まる。

 ガエリアスの像の後ろからイリーウィアがひょこっと顔を出した。

 そのまま、彼女は石像の肩にふわりと腰を下ろして、リンを見下ろす。

 口元には優しげな微笑みをたたえている。

「探しましたよ、リン」

「イリーウィアさん……、どうしてここに。今頃、ウィンガルドの卒業生達を見送っているはずじゃ……」

「カラットがこの場所を教えてくれたのです」

 イリーウィアは膝の上で鼻を付き合わせるレインとカラットを示してみせる。

「いえ、僕が聞きたいのはそういうことではなく……、なぜこんなところに居るのかということでして……」

「ここにいるのが奇妙なのはあなたとて同じでしょう? 新たな門出を迎え、みな旅立とうとしているこの時期に、あなたはどうしてこのようなところで油を売っているのですか?」

「……」



 テオとユヴェンがワゴンエレベーターの搭乗口に辿り着くとすぐにスピルナの二人組、ナウぜとラディアが近づいて来て話しかけてきた。

「よお。テオ。無事に卒業できたようだな」

「ちょうど会えてよかった。君に聞きたいことがあったんだ。リンのことで……」

「俺は君達に用はないね」

「くっ、この……」

「落ち着けラディア。まあ、待てよテオ。リンは一緒じゃないのか?」

「ああ、あいにく一緒じゃないね」

「何をしているんだよ。もうすぐワゴンエレベーターが出発してしまうだろうが」

「知らないよ。気になるなら探しに行けば? まあ、この広いアルフルドから見つけられればの話しだけどね」

 テオはそう言ってナウゼを煙に巻くのであった。

 ナウぜは下を向いて拳を握りしめる。

(リンの奴、一体何をしている? まさかメイエーレに来ないつもりか?)

 ナウゼは窓の外に目を向けて、眼下に広がる街並みを望む。

(このまま勝ち逃げなんて許さないぞ。リン!)



「答えなさい。リン。あなたは塔の頂上を目指してここまで来たはず。そして今、あなたの前には望み通り、新たな扉が開こうとしています。一体何を迷うことがあるというのです?」

 イリーウィアはいつになく厳しい口調で問い詰めた。

「……」

「もしかして、しばらく失踪していたことと何か関係しているのですか?」

「ええ。実はドリアスさんと200階層を探索していたんです」

「そう。ドリアスと……」

 イリーウィアはかすかに声を落として言った。

「塔の200階層を見てきました。凄まじい権力争いと魔法の応酬。その……僕にはまだ早い気がして。もうちょっとだけアルフルドにいようかな~っと」

「リン。学院にいれば偉大な魔導師になれますか? それともしばしの間の安寧を享受することができますか?」

「えっと、それは……」

「そんなことはもう夢物語であること、分かっているはずでしょう?」

「……」

「あなたもこの塔で見てきたはずです。吝嗇と浪費によって奴隷に身をやつす人々、ありもしない安全のために戦い続ける兵士、不断の努力よりも血の粛清によって不安を払う人々。奴隷によって賄われる経済、血と鉄を礎に成り立つ国家、生贄によって維持される秩序。どれだけ魔法の力が発展しようとも、人がそこに文明を築く限り、これらは避けることのできない宿命です」

 イリーウィアの精霊シルフがリンに触れて、記憶を呼び覚ました。

 この塔に来てから見たこと、体験したこと。

 自ら奴隷へと身を堕としていく労働者、どれだけ傷ついても戦うのをやめなかったスピルナの戦士、生贄になった少女。

「小さき魔導師よ。あなたに富の搾取と集中を止めることができますか? あなたに戦争を止めることができますか? あなたに法の精神が犯されるのを止めることができますか? 無理でしょう? どれだけあなたが変化を拒もうと、人々が歩みを止めることはなく、魔導師が魔法の研究を止めません。そう。人は自ら滅びの道を歩むようにできているのです」

 イリーウィアは極めて穏やかに世界の歪みについて示し、そしてあまりにもあっさりとリンの中にあった儚い希望を打ち砕いた。

「リン。塔が世界に及ぼすうねり、このあまりにも巨大なうねりを前にして、あなたはあなたを取り巻くこの世界が不動であると信じることができますか? 一体誰がそれを保証できるというのですか? アルフルドに引きこもってさえいれば、この塔を巡る目まぐるしい変化から逃れることができますか? できないでしょう? アルフルドにいても、いいえ、アルフルドだけではありません。この塔、この世界のどこにいても人はこの宿命から逃れることはできません。この定めから目を逸らしたいというのなら、故郷へお帰りなさい。少しはゆっくりと暮らすことができるでしょう。しかし、あなたが魔導師として生きていくというのなら……、足踏みしている暇はありません。塔の頂上を目指しなさい」



 ワゴンエレベーターは発車時刻を迎えようとしていた。

「間も無くワゴンエレベーターが発車します。卒業生の皆様はご搭乗ください」

 アナウンスが響いた。

 卒業生達が順次ワゴンエレベーターに乗り込んで行く。

(まだか。リンはまだ来ないのか)

 ナウゼはイライラとしながら、搭乗口で腕を組みながら足踏みしていた。

 テオとユヴェンも搭乗口付近の手すりにもたれかかってロビーの方を見続ける。

(リンの奴、いつまで待たせるのよ。まさか本当に卒業しないつもりなの?)

「ナウゼ。そろそろ出発だ。エレベーターに乗れ」

 クルーガが催促した。

「ナウゼ!」

 ナウゼは諦めたように身を翻して、搭乗口に向かおうとする。

 旋風の音が聞こえたのはその時だった。

(これは……グリフォンの旋風?)

 巨大樹の隙間の窓から旋風が入ってきて、ロビーの中央に着地する。

 旋風が収まるとそこにはグリフォンとイリーウィア、そして空色のローブを着たリンがいた。

「リン!」

「このヤロ待たせやがって」

「ワゴンエレベーターの席にまだ空きはありますか? 一人分……」

 イリーウィアが受付に尋ねた。

「ええ、一人分ならどうにか……」

 車掌が答える。

「よかった。では、リン。搭乗手続きを済ませましょう」

「はい」

 ガァンと金属音が鳴り響く。

 リンが振り返ると杖で地面を叩いたナウゼがそこにいた。

「お姫様と同伴でご搭乗とは、いい身分だな。リン」

「……ナウゼ」

「まあ、いいさ。卒業おめでとう。僕は君がここに来てくれて嬉しいよ。僕がこの日をどれだけ待ち望んでいたか、君には分かるまい。君と共に100階層に行ける今日この日を!」

「……」

「君に負けたあの日から、僕は君に雪辱することだけを考えて日々を過ごしてきた。来る日も来る日も退屈な学院生活に我慢して、君と再戦する日を心待ちにしていたんだ。100階層に行けば、学院の保護は受けられない。戦う機会は劇的に増えるだろう。命懸けで戦う機会が!」

 ナウゼはリンに詰め寄って顔を付き合わせる。

「僕と闘技場で戦ったあの日、塔の英霊達の前で最後まで戦うと死闘を誓ったあの日。お前はすでにこの塔の歴史を刻む魔導師の一人になったんだ」

「塔の……歴史……」

「お前がアルフルドに止まるというのなら、僕はメイエーレからお前を殺す機会を伺うだけだ。逃げる事は許さない。いや、許されない」

 ナウゼはそれだけ言うと、エレベーターに乗り込んだ。

 リンもチケットを受け取って、搭乗口に向かうとテオとユヴェンが待っていた。

「遅いじゃないのリン!」

「ったく、来ないのかと思ったぜ」

「うん。最初は卒業を控えることも考えたんだけど、色々考えてそういうわけにもいかないかなって」

「ま、でもお前が来てくれてよかった」

「さ、早く搭乗しましょう。三人分の席空いてるかしら」

 リンは二人に手を引かれるようにして、エレベーターに乗り込んだ。

 搭乗口にいる係員にチケットを見せて、手荷物検査と手続きを済ませる。

 エレベーターに入ると劇場のように、段差に沿って座席が所狭しと敷き詰められていた。

 3人はどうにか三つ固まって空いている席を見つけた。

 席を確保すると同時に拡声器を使った車掌の声が流れてくる。

「当エレベーターは間も無く発車いたします。搭乗している魔導師の皆様は傍の石盤に手を当てて、魔力を注ぎ込んで下さい」

 リンは着座すると、シートベルトを締めて、座席の脇に付いている石盤に手を添える。

 この石盤に魔力を込めることで、全員の魔力を集めて、ワゴンエレベーターを動かすことができるのだ。

 リンは長く続くエレベーターの先を見つめながら、初めてユインとこの塔に来た時のことを思い出した。

 右も左も分からず、エレベーターに乗って塔にやってきたあの時感じた得体の知れない恐怖。

 今は少しだけその正体が分かる気がした。

 それは魔導師達によって連綿と積み重ねられた歴史の厚みと重み、いびつに歪んだまま複雑怪奇に組み合わされてしまった文明の軋轢。

 今、リンは敷き詰められた塔の礎石の一つを駆け上がろうとしている。

 そして彼自身もこの塔を支える礎(いしずえ)の一つになろうとしているのだ。

 この塔を登っていくというのはどういうことなのだろう?

 それは果たして本当に幸せなことなのだろうか?

 リンはまだ着慣れない空色のローブの裾を直して、発車しようとするワゴンエレベーターの振動に身を任せるのであった。

 やがて、エレベーターは暗く長いトンネルへと突入していく。


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