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下町コンビニ ちっちゃいコーヒー

今はもう、お店も存在しない。下町と呼ばれる地域のコンビニで、店長になった頃のお話。もう場所も個人も特定できない出来事になったと思うので載せます。

初めは少し厄介に感じた。

東京の西側、武蔵野エリアとでも言おうか、その辺で育った私にとって、新宿を超えた東京の北東部、下町は未知の世界だったから、あまりに慣れなかったのだ。

「おおい、」店に入ってくると、昔ながらの商店のように声をかけられる。初めはなにか用なのかと思って小走りに表へ出ていたが、生憎あっちは特に用がない。つまり「ごめんください」に過ぎないので、「こんにちは。」とかそう返すだけでよかった。

よく慣れると半分くらいの客にはいらっしゃいませなんて言わなくていい。入ってきたら、ああ、こんにちは。こんばんは。それから季節や天気の挨拶。そうしないといらっしゃいませと言ってる間に向こうからの会話が始まってしまう。オペレーションを無視した、頑なになるとすればルール違反ではあるのだが、正しいオペレーションをすることよりも、ただ挨拶をすることの方がよっぽど喜ばれたのだから仕方ない。

レジに来たおじいちゃんが言う。
「おう!ちっちゃいのくれ。」
ホットコーヒーのSだ。SだのMだののアルファベットは歯が少ないからはっきり言えない。一日複数回来るおじさんに至っては、初めからレジにカップをひとつ置いておくと、100円をぽんとレジにおいて、片手をあげる。レシートも要らなければ、会計を聞く気もない。スムーズ過ぎる(笑)
ただ誤解しないで欲しい。互いに冷たい訳でも雑なわけでもない。彼らはとても良心的だ。常連の立場を利用して、私のオペレーション負荷を軽くしてくれてるのだ。現に、若葉マークの着いた新人を私が研修していると嬉々としてレジに来る。
「兄ちゃん、俺で練習していいぞ!ちっちゃいコーヒーくれ!」
私が、いらっしゃいませ、から順に言わせるのをニコニコと見守って、最後まで聞くと満足気に頷いて「練習が必要だな!頑張れよ!」そう言って去る。どうしたって常連はみな、この店を身内だと思っているのだ。

だからだろうか。治安のいい地域ではなかったが、素行の良くない若いお客さんがお店の前で暴れたりするのを、この常連のおじさんたちが帰らせたりして治安維持にひと役買っていた。

「こっからお金とってくれ。」
無防備に小銭だらけの財布を差し出すおじいちゃん。
「今日これ使ってもいいか?」
袋いっぱいの一円玉。いや両替手数料の方が高いわ、…50枚までならね。
「杖忘れちまったよ。」
つきながら来たのに、無くても歩けるんかい。レジ内で保管していたのを手渡す。
「お前が勝ったんだからガリガリ君奢ってくれよ。」
競馬を楽しんだ帰りにうちのテーブルで反省会をする。

コンビニはこんな感じだっただろうか。初めのうちは戸惑いが隠せなかった。なんせ今までいた都内の店舗は何処もとにかく皆が皆急いでいたから。

欲しいものを一緒に店内で探し、おすすめの商品を買ってもらう。天気の話、孫の話、競馬の勝ち負け。地元の子供が来ると席を急いで譲り、少し散歩に出てくると気を使う人たち。

今はないあの店に時々思いを馳せる。あのおじいちゃん達はどうしてるだろうか。もしお元気でいてくれたならそれだけでいい。

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