霜と、消えない痣の話。

冬になると古傷が痛むなんてことはよくある話だ。私も冬になって霜が降りると、癒えないままの青黒い痣がじくじくと痛む。

小学3年生の冬。私はいじめの犯人にされた。当時私はいじめられていたんだけど。
(いや4年だったかもしれない。担任もクラスも一緒な上辛い記憶はぐちゃぐちゃのまま整理されていない。)

マンションの中庭に霜が降りるのをみた私たちは、雪の降る季節を待ちきれずに、霜を雪の代わりにした「霜合戦」をしようと朝から中庭に集まった。

私はそれに夢中で、途中で1人がいなくなったことに気づかなかった。私がそれに気づいたのは、いなくなった彼がお母さんをその場に連れてきたためだった。
霜合戦は中止になった。どんな話がされてどんな風に家に戻ったかは分からない。その時点で彼に何があったか、私は理解していたかすら覚えていない。
次の記憶は、彼の家に母と謝りに行ったところ。私の投げた霜が目に当たったらしい。(幸いその後大事には至らなかった。)

今思えば霜なんか投げるもんでもなければ、軽いから大して飛んでいないと思う。なにか当たったとすれば霜に着いた土か細かい砂なんだろう。それに皆でワイワイやっていたわけだから、私が投げたのが本当に当たったのかなんか分かったものじゃない。
とはいえ子供のすることだから、母には悪いがここまでは正直仕方ないことだと今でも思う。辛かったのは他でもなくこの後だ。

霜が当たったことについて謝りに行くと、その彼の母親からは私の思いもしない言葉が出てきた。
「いつもうちの子を叩いているらしいですね。(意訳)」寒い玄関先に母と2人立たされ、母は私の暴力を受け止めきれずに狼狽えた。また記憶は曖昧だけれど、その場では平謝りして、1度家に帰りやったのだのどうしたのだの母は怒ると言うより心配をしていた。
私は思い当たる節もなく、ただただ泣いていた。

今思い返せば当時私は男の子(それもヤンチャな)のコミュニケーションを好んでいたし、出来れば男の子になりたいと思っていた。だから、挨拶は「よっ」だったし、互いに肩を叩くくらいは普通だった。それが暴力かと聞かれると答えられない。受け手によってはそうなのかもしれない。

次の日だかその次の日だか、私は担任に呼び出された。50も超えた、パンチパーマに近い激しいパーマのかかった老年の女性の先生で、私は普段からその先生が得意じゃなかった。気分で叱られたりするから。

どうやら霜の当たった彼の母は学校にも“事実”を伝えたらしく、その先生は私を授業中に図書室に呼び出し、椅子の前で「どんな風に蹴ったのかやってご覧なさい。」そう言った。

何が何だかわからず、私はやっていない、先生はやったんでしょう、その押し問答になって、私はついにやってないやってないと泣きわめいた。
そうすると「こうしたんじゃないの。」先生は椅子の足を私のすねに何度も当てた。

私のすねには青黒い花がじわりと咲いた。私は、母にそれを上手く言えなかった。とんでもないことをされた。なんとなくそう思ったから、だから言えなかった。

その前から私はクラスで一部の生徒にバイ菌扱いをされていた。きっかけが何かは私は知る由もないけれど、私は周りの子からすると変わった子だったと思う。
いつも1人で歌っていたし、それだけで十分人と違うから虐められる要素にはなると思うけれど、先程も言ったように男の子になりたかった私は、他の女の子とは違ったから。女の子らしい女の子(とか本当は言いたくないけれど)からとくに酷く虐げられた。
倒れてる椅子を直してやると、私が触ったということに対して、椅子の主を哀れみ聞こえよがしに「カワイソ〜」と言ったり、私が触ったところの“菌”を手ですくいとり、他の人に着けて「うつった」と言ったり。

今の私なら「ぶちくらすぞ黙れ」と思い切り口汚く罵れたかもしれないけれど(実際は言えないのだが笑)、当時の私は感受性の塊みたいな私で、その全てがあまりにとんでもなくて、許容しきれずにいた。

虐められていたから、人をいじめてはいない、ということは別になんの理論でもないから説得力はない。だけれど兎にも角にも身に覚えのない暴力を咎められ、結果的にそれを口実に暴力を振るわれたものだから、何だかもう何も受け止めきれずに、その後それがどう処理されたのだか記憶にはないけれど、ただ、今も尚何も癒えないままでいる。

なぜ誰にもなにも、言えなかったんだろう。言えていたらなにか変わっていたんだろうか。共働きの両親を気遣ったとか、言ったら先生が責められて…とか、そんな心はあったんだろうか。
もう今となってはただ、青黒い痣だけが胸に残って、それだけになってしまった。





余談だけれどせめてもの救いで私には友達がいた。数は多くないけれど、大人しく優しく、それから強い人たちだった。直接虐める人に何か言ってくれはしなかったけれど、私の菌をつけられても彼女たちは無視をしていたし、決してどのいじめにも加わらなかった。実は何度か学校内でも死んでやるから退けと刃物を手首に当てたりすることが起きたんだけれど(笑っちゃうね。痛いの嫌いなのに、そしてそれを先生は問題にしなかった。)、いつも彼女たちが構わずに帰ろうと手を引いてくれた。今でこそ疎遠になってしまったけれど、多分それでも、一生感謝してもし切れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?