見出し画像

「生誕100年 朝倉摂展」@練馬区立美術館

舞台美術家で画家の朝倉摂(1922〜2014)の回顧展が開かれていました。

朝倉摂先生。
蜷川幸雄ら、前衛的な舞台空間デザインで著名ですが、出発点は日本画にあったそうです。

明治生まれの彫刻家、朝倉文夫の長女として美術の英才教育を施され、戦前は日本画家としての将来を嘱望されていました。生家は現在、東京藝大にほどちかい、台東区の朝倉彫塑館として公開されています。



摂先生、生前に画家時代の作品をみずから発表することはほとんどなかったようで、画業が再評価されたのは2014年の逝去後のようです。自宅(篠原一男先生の設計?)の倉庫につめこまれていた大量の絵画は、各地の美術館に寄贈されることで、今回の大規模展示へとつながったようです。

今回の展示は、舞台美術の記録写真も多数紹介されていましたが、多数展示されたホンモノの絵画作品の存在感は絶大でした。

展示された作品について驚くべきは、作家自身により倉庫に「封印」された絵画が、どれも、びっくりするほど「うまい」ことです。

デッサン力や構図力、観察力、色彩感覚、精緻さ、など、画家として必要な素養や才知はすべて揃っていて、画家としての未来を嘱望されていたという記述は、大先生のお嬢様、、、などといった、世知的なお世辞ぬき、の言辞であろうことがよくわかります。

せっちゃん、やめてしまうなんてもったいない、、なんて溜息は、庶民ゆえの貧相きわまりない感想なのでしょうが。。

画像1



摂先生において、1940年代前半から1950年代にかけて、日本画にせよキュビズム風の洋画にせよ、おもなモチーフは若い女性たちです。画面上で目をひくのは、あどけなさを残した皮膚と、細いけれどしっかりとした骨格表現の精密さです。これは、デッサンにおいてはより明瞭で、確信めいたほねぶとな筆致により、身体が、彫刻家が木の塊の中に像をさがしもとめる感覚で描かれていています。

そうした画面上の身体のストラクチャーの緻密さと安定感は、若い女の子たちの生身の活力や現代的な天真爛漫さをおのずとうつしとります。それが、あえていえば、日本画における画面構成、表現技法の文法をもちいつつも、西欧的なデッサン力や観察眼が、日本画特有の装飾性を圧してしまったのかな、という印象です。

戦後、少女たちの牧歌的な日常を描く画風から、社会派的なテーマを掲げた暗く硬質な油絵へと追求の道筋を進めますが、どの作品も、絵画で絵画をのりこえることの困難さを浮き彫りにするようにさえ見えます。時代に着せられた技術とテーマを消化した先に、何がみえてくるのか。

戦後から1950年代にかけてのキュビズム風の油絵をみていると、彫刻的な身体をとおして、作家自身の若い視線がいきついたさきに、具象にせよ抽象にせよ、絵画平面の限界があったのかもしれない。だからこそ、ブルックの「なにもない空間」とは少し違いますが、絵画空間における身体の呪縛をのがれるために、身体を前提とした不在の舞台空間のデザインに移行したのかもしれないな、と勝手に想像したしだいです。

そんなこんなで、朝倉展は、4月〜6月に行われていた葉山の神奈川県立近代美術館からの巡回でした。葉山をみのがして、練馬におもむきましたが、ちょっと無理して、展示を見にいけて、よかったです。

歩いていると、思いがけない出会いがあるものだな、とつくづく思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?