見出し画像

おばあちゃんの願いを🌠

前回、母方の祖母の話を書いたので、今回は同じ家に暮らしたおばあちゃんのことを書きます。

おばあちゃんは、名付け親であり、お母さん代わりであり、私の国語の先生でした。
一言でいうとすれば、楽しい人でした。

おばあちゃんは、独身の頃は小学校の先生をしていました。明治時代の生まれの人ですから、農家に育った祖母は勉強を教わりながら経済的に家を支える生き方を選びました。教師になるための勉強をする間、お金をもらう制度があった、と聞きました。
祖母の在所がミカン農家だったから、私は柑橘類が好きなのだと思います。

そして昔の結婚(出会い)あるあるですが、おじいちゃんとは書店で立ち姿を見ただけで嫁ぐことが決まりました。「でーとなんかしないよ」と話していました。

祖母は結婚を一度は拒否したものの「もういい歳だから」というよく分からない理由で静岡の山の中に嫁ぎました。在所も静岡市内ですが、コンビニやスーパーが歩いていけるところです。私の実家は、静岡駅から1時間以上バスに乗ってたどり着く田舎です。

祖父はきちんとした人でしたが、私はほとんど話したことがありません。毎日、本を読んでいました。庭の大きな木の下で、椅子に腰掛けて読書する祖父を覚えています。尊敬していて近寄りがたかったのです。引っ込み思案な私に、ときどきチョコレートをくれました。

祖母は5人の子どもを産み、親戚の子どもも一緒に育てました。
私が生まれたとき、当時2,400gの体重で未熟児でしたが、鳴き声が大きくて低体重児扱いされなかったそうです。
「これで歩けぇるようになるだか」と祖母が私の足を見て嘆いた、と母から聞きました。

私は、祖母と叔母(父親の妹)と一緒に寝起きしていました。朝から晩まで世話をしてくれる叔母が母親だと勘違いして育ち、叔母の結婚で母親は別だと気付きました。
母は、年子で(翌年に)生まれた弟の世話に追われて私にかまっていられなかったようです。

私がつまらない事で拗ねていると、祖母は私を五大調味料の一つの名前で呼びました。一文字違いだったからです。
「自分が付けた名前で呼んでよ」と私は笑いながらむくれていました。
祖母は寝るときに日本昔話を話してくれて、私は昔話は読んでいないけれど内容を知っています。
また、万葉集が大好きで、その本は枕元に置いてありました。庭に、植わっていました。

つゆくさ

月草(つきくさ)に衣ぞ染むる君がため
斑ら(まだら)の衣 摺(す)らむと思いて

意味:あなたのために斑らに染めた衣にしようと思って、月草(露草)で染めたのです

祖母は、夢がありました。
「赤い屋根の家に住んでみたい」
苦労しても明るく楽しい祖母が、たった一つ
祖父に語った願いです。
家は、代々続く武士の家系で何処からどう見ても日本家屋です。柱は釘一本も使わずに大工さんが建てた畳敷きの住まいです。

祖父は、家を建て替えることは出来なかったですが、屋根瓦を赤色にしました。
全部の瓦を変えるのは大層、費用がかかったそうです。

私が生まれた家は、赤い屋根の家です。

※写真のお家は、お借りした画像ですので、あしからず。

この記事が参加している募集

今日の短歌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?