柔らかな負け

隠す必要は全く無いのだけれど、趣味枠で書くコーナーとして、あまり本業のことは絡めすぎずに書こうと、なんとなく決めていた。だけど、今回は本業の話。実は、僕は音楽家・ミュージシャンである。

今年、とあるオーディションを受けることにした。「りんご音楽祭」という、音楽イベントへの出演権をかけたライヴオーディションである。僕はこういった企画に参加するのは初めてのことだ。ずっと興味はあったのだが、審査と本番を見越して確保しなくてはならないスケジュール日数が多いのと、レーベルの後ろ盾も分散できるメンバーもいない僕にとっては審査毎に開催されるライヴのチケットノルマがそう気軽な金額ではないため、いつも「どうしよっかなー」という感じでスルーしていた。

しかしそれでも今回、少し無理をして自分優先でスケジュールを押さえ、お金をかけさせてもらった。僕は音楽活動の現状に悩んでいる。作品が広がらないこと。ライヴにお客さんが集められないこと。音楽イベントへのオファーがもらえないこと。もう何年も慢性的で、なんなら徐々に悪化している気がする。このオーディションに勝つことで、現状の打破、とならずとも、そのキッカケを得たいと思ったのだ。だから、ちょっと様子見とか記念とかそんなんじゃなく、心の底から勝つつもりで望んだ。
5月の1次審査を通過し、7月に2次審査を受け、結果を知らせるメールを待ち続けた。いくら待ってもメールは来なかった。8月末、Twitterでイベントの告知情報を見て、自分が選ばれなかったことを知った。翌週には追加の発表があると書いてあり、それだけを頼りにまた待った。やはりメールは来ず、追加情報に自分の名前は無かった。先の見えない、真っ暗な気持ちになってしまい、しばらく動けなかった。落選したのだと、自分で自分に言い聞かせた。
立場によって見え方が変わってしまうものだから書いておくが、企画側は全く悪くない。これは分かった上で受けるべき恨みっこなしの腕試しであり、フェスを盛り上げるコーナーのひとつだ。僕があまりに重たいものを持ち込み過ぎているだけである。
オーディションを受けてみて僕が感じたことは、この「柔らかな負け」がとんでもなくしんどいということ。1次審査、2次審査ともに申し分ない演奏をした自負がある。伝えたいことも言葉とセットリストに込めたつもりだった。それでも至らなかった。自分が“なぜ”選んでもらえなかったのか、どこが悪かったのか、フィットしなかったのかがわからない。技術だろうか?曲だろうか?ルックスだろうか?年齢だろうか?…そんなことをぐるぐると考えてしまう。
評も点も無いままなのは、“音楽”だからなのだろう。よく言うように、「音楽に勝ち負けは無い」からなのだろう。だけど、僕はいっそ殴り合いだったら良かったのにと思った。

ここ最近、『ロッキー』を思い出していた。子どもの頃、ロードショーで、なぜか『ロッキー4』の印象だけが強く、あまりどんな映画か分かっていなかったのだけれど、大人になって初めて観た『ロッキー1』は、実はものすごく変わった話で、そしてものすごく感動的だった。ロッキーは、試合では負けるのだ。しかし、試合に勝つこと以上に大事な、己自身で閉ざしてしまっていた人生に打ち勝つというお話だった。
僕はもうすぐ40歳になる。人生の可能性を、自分のスケールを、確認して確定していきたくなる年齢だ。とっくにそうすべきだったかもしれない。焦るけれど、じゃあどうやって「別の生きる道を探れ」と自分に言い渡したらいいのかわからない。自分の作るもので暮らしていけないことが、格好悪くて、情けないと感じている。音楽活動の悩みも本当だけど、もっと根本では、勝って、「選んだ道を恥じる必要は無いんだ」と自己証明したかった。だから、ものすごく悔しくて、ものすごく堪えた。

凹んでも毎日は続く。
食器を洗いながら、洗濯を干しながら、いつか人生における大一番となるような試合が、そんなチャンスが来るだろうか、と、考える。練習と、新しい作品作りと、とにかく自分を止めないでいようとは思う。
酒に溺れちゃうとか、無気力になるとか、そういうマインドにならないあたり、実は心はマッチョかもしれない。


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