見出し画像

『万葉集』は先人からのラブレター 《後編》


「『万葉集』は私たち日本人にとっては宝物であり、先人たちが後世の私たちに宛てて残してくれたラブレター」
博多の歴女・白駒妃登美先生はそう語ります。

白駒先生が昨年2月、『親子で読み継ぐ万葉集』(小柳左門、白駒妃登美・共著)の発刊記念に、弊社Facebook Liveで語られた貴重な解説を2回に分けて紹介します。

前篇では、白駒先生と『万葉集』との出逢いや、まるで名作映画のようなドラマチックな男女の駆け引きの歌などについての熱い解説を紹介しました。

後篇では、子を思う母の心など、前篇とは異なる雰囲気で愛について詠んだ歌を紹介します。
ぜひお楽しみください。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

【1200年前の日本人に励まされる】

――思いのこもった解説をありがとうございます。

(白駒)
1首と言いながら2首もご紹介してしまいました(笑)。2首目をご紹介してもいいですか。

――お願いします(笑)

(白駒)
2首目は私の一番好きな歌人が詠んだ歌です。私の一番好きな歌人は大伴家持(おおとものやかもち)なんです。『万葉集』を編纂した中心人物といわれ、『万葉集』に470首以上を残しておりまして、これは一人の歌人としては最大の数なんです。その家持の470首を超える歌の中で一番好きな歌をご紹介しますね。

「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば」

(現代語訳:うららかに降り注ぐ春の日差しの中、ひばりが空高く舞い上がり、私の心は悲しいことよ。一人静かに物思いにふけっていると)

普通、春というのは例えば植物が芽を出したり、動物が冬眠から目覚めたりする。その生命力を感じる、どちらかと言えば、うきうきする季節だと思うんですよ。ところがその春を迎えた家持は、なぜか心が沈んでいるんです。果てしない悲しみに、もう心が引き込まれて引きずられていってしまうんですよね。

では、なぜこの歌が好きなのかと言いますと、当時、思春期真っ只中だった私は、友達同士でワイワイ楽しくやっていても、ふと孤独感を抱く時があったんですよ。別に意地悪な人がいるわけでもないし、何かされたわけでもないんですけれども、何かふっと、理由はないのに得体の知れない孤独感に襲われる時があったんですね。

私はこういう気持ちって、誰に話しても分かってもらえないだろうなあって思っていました。けれども、この家持の歌を知った時に、「へえ、1200年以上前に生きた家持が、私と同じように、全然悲しむような状況なわけではないのに、深い悲しみに浸っていたんだ」「ああこの悲しみ、この孤独感を時空を超えて分かち合える人がいたんだ」って思ったら、本当に生きる勇気をもらったんですよね。こんな風に時空を超えて思いを分かち合えるってなんて素敵な関係なんだろうって。こういう文化を残してくれた先人たちに心から感謝したいと思いました。

――1200年前の日本人と心を通わせられた。

(白駒)
「優しい」という漢字を思い浮かべていただきたいんですね。人偏に「憂」と書きますよね。おそらく本当の優しさというのは、その孤独感や憂いという暗闇を乗り越えてこそ、身につくんだと思うんですね。そんな人生の本質や人生の味わい深さというのも、この歌が教えてくれたような気がいたします。

【母親の愛情の原点】

(白駒)
では、最後の3首目ですが、これは息子さんを遣唐使として送り出したお母さんが詠んだ歌です。

「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我(あ)が子羽ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たづむら)」

(現代語訳:旅人たちが宿をとる野原に霜が降るような寒い夜は、どうか私の息子を柔らかい羽で包んで暖めてやっておくれ。天をゆく鶴の群れよ)

遣唐使は、唐の国と日本の友好の証として、そして当時世界に誇る先進国であった唐から様々なものを学ぶために派遣された人達です。遣唐使に選ばれるというのは大変に栄誉なことですが、航海技術がまだまだ発達していなかった当時、本当にそれは命の危険を伴う旅だったんですよね。もし万里の波濤を越えて大陸に辿り着いたとしても、そこから唐の都・長安は遥か内陸にありますから、まだまだ旅は続くんですね。その長い旅路の中では当然冬を迎えるわけで、大陸の寒さというのは私たち日本人が想像もできないような寒さなんですよ。そんな寒い夜に、その凍える一人息子をどうか、羽で温めてやっておくれという思いを込めて読んだのがこの歌なんです。

「はぐくむ」というのはいまでは「育む」と書きますけれども、「はぐくむ」はもともと羽根の羽を書きまして、親鳥が雛を羽で包んで温めて育てることを「羽ぐくむ」と言うんですよね。

私はこの歌を致知別冊『母』(VOL.2)でもご紹介させていただいたんですけれども、これは子を思う母親の原点だなって思うんです。子育てしているといろんな葛藤があります。いろいろ迷いもあります。うまくいかなくてイライラすることもあります。でもこの歌に立ち返ると、すうっと肩の力が抜けるんですよ。「教育する」とか「育てる」とか考えると、「こうしなきゃいけない!」って、肩にガチガチ力が入るんですけれども、本来は子育てって、はぐくむことだよねって教えられる。その原点に立ち返ると、自然体の自分でいられるんですよね。

そして私たちもこういう親の大きな愛と祈りに包まれていま生かされているんだなと。そのことを考えると、本当にこの命を大切に慈しんでいこうって思える。自分の命はもちろんですけれども、一人ひとりの命がそうやって大切に育まれてきたわけです。だったらお互いを尊重して、命の煌きっていうのを思いやる……そんな社会を実現したいなって。ですから、この歌は私にものすごく深い人間愛を呼び覚ましてくれます。

――感動的なお話です。

(白駒)
実は、この歌を選んだ理由はもう一つありまして、先日、五島列島の福江島で講演をさせていただいたんですね。五島列島は長崎県に属するんですけれども、玄界灘に浮かんでいるんです。そして、その福江島には遣唐使船の国内最後の寄港地があります。そこにこの歌の歌碑が建っているんですよ。

私はその歌碑を見ながらもう涙が止まらなくなりました。なぜかと言うと、その日はお天気に恵まれていたのに驚くぐらい波が荒いんです。地元の方に聞いたら、どんなにお天気に恵まれてもここの波はいつもこんななんだよって。もう足がすくむようなその荒波なんですけれども、遣唐使船はそこから出たらもう外洋なんです。だから、そこが日本の最果てなんです。

足がすくむようなその荒波に対して、一国の文化のために勇気を振り絞って航海に出た人たちがいたんだな、そしてその人たちが無事に帰国して次の時代の文化を担いながらも、多くの英才たちが尊い命を旅の途中で失うこととなった……。私たちは、そんな彼らの存在の上にいま生かされているんだなって思うと、涙が止まらなくなったんです。

―― 一首一首、心に沁み入るような解説をありがとうございます。『万葉集』は、恋愛や子育て、生きる姿勢など、いろんなことを教えてもらえるものなのですね。

(白駒)
私たち日本人にとっては宝物だと思います。おそらく先人たちが後世の日本人である私たちに宛てて残してくれたラブレターじゃないかなって思うんですよね。


*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
★『親子で読み継ぐ万葉集』(小柳左門、白駒妃登美・共著)
⇒詳細はこちら
https://online.chichi.co.jp/item/1244.html

★『致知』とは?
https://www.chichi.co.jp/info/