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大学生自転車日本一周旅を振り返って③:疑え!マジョリティも間違える、真っすぐって本当に真っすぐ?

 以前自転車で日本一周をした時の振り返りシリーズ。第三回目は、マジョリティが正しいわけでは無いということと、真っすぐが真っすぐではなくなることについて書いていく。

 初日、この旅の唯一のタスクである各都府県庁との記念撮影のために、まずは東京都庁に寄ってから千葉県の船橋市を目指して漕ぎ始めた。最初はまだ日差しもあったうえに視界も開けており、自転車専用道があったり数人自転車を漕いでいたりしたから非常に漕ぎやすかった。ありがたいことに道も一本道だった。だけど、だんだん陽が落ちて暗くなってくるとともに、千葉県が近づいて人の気配が少なくなってくると、漕ぎにくさこそそこまで変わらないものの、これまでの都会の景色がだんだんと変化していき不安を覚えるようになった。実はこの日のスタートから渋谷駅を目指すときにすでに二回ほど道を間違えていきたい方向ではない方向に進んでしまっており、そのことも不安をもたらす一因であった。ただし、幸運なことに道は基本的には曲がることなく真っすぐ大きな通りに沿って行けばいいだけだったので大丈夫なはずだった。

 しかし、思っていた以上に船橋市までが遠く、そして思っていた以上に周りが自然で人通りも少なかったから、不安がマシマシになってしまった。ちょうどその時、次の横断歩道でたくさんの人たちが左に曲がっていることを発見した。船橋までもう少しのはずで、船橋自体は大きな街だろうと予想していたので、多くの人が左に曲がっていくということは船橋市の中心街や船橋駅は左に曲がった先にあるのだろうと考えた。しかし、いざ曲がって漕ぎ進めたが船橋駅は見当たらない。それどころか、電柱の広告に書いてある住所には「行徳」と書いてある。船橋ではない。そう、船橋はこっちの方面にはなかったのだ。実はあの横断歩道は無視してただただ道なりにまっすぐ進んでいけば難なく船橋市へ到着できた。其の横断歩道に差し掛かった時に「確かずっと真っすぐだったよな」とよぎっていたから、変に不安に陥らなければ何も問題はなかったのだ。ちなみにこの時iPhoneのマップのコンパスが差す方角がバグっていて正しい方向を指していなかったことも道を間違えた一つの大きな理由だったけど。

 この道の選択ミスをもたらした一番の原因は、大勢の人がその道へと曲がっていったということ。この事実に心が安心してしまった。もし、この時冷静に「道をまっすぐ進んでいくはずだったよな」と考え信じることが出来れば、コンパスに惑わされずに周りの景色や建物から正しい方向を導き出せていれば、こんなことは起こらなかった。だが、皆がそうしているから、という安易な考えで選んでしまった。もう少し自分を信じることが出来れば、この道間違いで無駄な時間と体力を使ってしまわずに済んだのに。「大勢の人たちと同じ」という事実は、非常に大きな安心を感じさせてくれる。仮にその決断が間違っていたり全体の利益に資さなくても。よく言う「普通」がマジョリティを指しているとして、心の中には尖った個性を持ちたいと思っていても、実際は普通でありたいと思う気持ちも捨て去ることが出来ずに心の中に居座っている。しかも厄介なのがマジョリティの選択は決してベストの選択とは限らないこと。

このミスから強く感じたことは、みんなにとっての正しいと自分にとっての正しいは違うということ。もちろん、この旅において「行徳」駅の方によるという行程があったのであればマジョリティに従っていても良かったのだが、他の人たちとは違って目指す場所が違う場合はマジョリティに安易に従ってはならない。結局自分の軸をしっかりと明確にしたうえでブラさずに進み続けられるかが重要。誰も自分自身のことなんて気にしてはくれないから、自分でベストだと思う選択を下していかなければならない。思考をマジョリティに丸投げして放棄してしまえば、自分にとって全く向いていない方向に進まざるを得なくなりかねない。あくまでマジョリティはマジョリティ。多数の意見の集合ということで参考にする価値はあるものの、盲目的に受け入れてはならない。人生を旅に置き換えたなら、マジョリティに従い続けてしまった結果、自分の幸せを叶えられないなんてことがザラに起こると言える。いくつもある人生の岐路で自分の意見を貫く必要がある。

 また、さっきも言ったけど出発してから最初に渋谷駅を目指すまでに二回も道を間違えてしまった。抑々この旅ではスマホをっ見る時間を減らしたいという目的もあったから、出来る限りスマホのマップに頼らずに行こうとしていた。しかし、出発までにきちんと計画を立てていなかったこともあり、線路に引っ付いていけばたどり着けるだろうという読みは早くも3駅ぐらい先で道が思い通りに続かなくなってから外れてしまった。線路から強制的に引き剥がされてから、線路が向かっていくはずの方向を頭の中に思い浮かべ、できるだけそこを目指して体内のコンパスを頼りに漕いでいった。だが、左方向に行きたいと思って左に左にと移動して行っても、行きたい場所が近づいている気配がない。渋谷区に行きたいのに目黒区に入ってしまったり、なかなか上手くはいってくれない。原因は単純だった。完全に真っすぐな道なんてないからだ。最初の地点では左という記憶でよかったかもしれないが、途中の道で確実に正面の方角が変わっているから左にあるはずのものが左ではなくなってしまっている。行きたかった左が気が付けば後ろ方向に、なんてことも起きうる。こうなってしまってからは本当に大変だった。まず、第一に方角というものが分からなくなってくる。もちろん前後ろや右左は分かるけど、東西南北が見当つかなくなってくる。そばに海があるわけでもなければそこら辺の地形に詳しいわけでもないから予想するのも一苦労。かといってスマホで確認するのは、まだ旅の初日だしなんか負けたような感じがするから嫌。だけど、全然たどり着けなかったから結局二回スマホを見て、しかも最後は予定とは違う方向から渋谷を目指すことになってしまった。初日のうちでもまだ最初だったのに、いきなり大幅なタイムロスをしてしまった。しかも、体力の無駄遣いもしてしまった。まだあと44府県もある。

左とは。右とは。そして、真っすぐとは。当たり前のように使う概念だが、これだけでは簡単に道に迷ってしまう。3年前に左にあると思っていたものは、今現在の位置からは左斜め前にあるのかもしれない。今現在においても左にあると思って歩み続けていると、最終的にたどり着けないなんてことが起こるかもしれない。なぜこんなことが起こるのか。それは、大半の人は道なりに生きているから。真っすぐではなく道なり。我が道をぐんぐん切り開いて進んでいる人なんてごくわずかで、ほとんどの場合誰かが通った道を無意識に追いかける。旅においても道路をガン無視して真っすぐ突っ切っていければずっと線路に引っ付いていけただろうけど、そういうわけにはいかない。だから、まずは真っすぐではなく道なりに生きているということを理解する必要がある。そして、その都度現在位置と向かいたい場所との位置関係を評価していかなければならない。そうじゃないと、全く目的地にたどり着けなくなってしまい、最終的には方角が全く分からなくなってしまう。こうなったら、行きたい場所に行けないどころか行きたくない場所に着いてしまいかねない。もう一度、自分にとっての左や右、真っすぐの先にあるものを考え直すべきだ。

 マジョリティの話に少し戻ってしまうけど、自分が進路や生き方に悩んでいるとき、いわゆるレールに乗って生きているような、何の悩みもなさそうにスイスイと生きていけているような人(多分そう見えるだけで実際は悩んでいるのだろうけど)がうらやましいと思い、少し自分が遠回りをして曲がりくねってしまっているように思えてしまう。だが、そんな彼らも、実は真っすぐ生きているのではなく、ただ道なりに生きているとみることも出来ると思う。だから、決してその道のりが正しいわけでは無いし、自分だけの真っすぐな道を探し見つけることが重要であると思う。時には道なりに生きている人たちから曲がりくねった道を歩んでいることを馬鹿にされるかもしれない。だけど、そいつらは道なりに生きているだけ。正しいわけでもなければ素晴らしいわけでも、ましてや迷いながら自分の道を探している人を馬鹿にできる立場でもない。もちろん客観的視点として他人の意見を参考にすることは大事だとは思うが、それ以上その意見に耳を傾ける人用はないと思う。ただ、分かってほしいのは、決して道なりに生きてはいけないというわけでは無いということ。大事な時にきちんと自分の道に分岐できればいいと思う。

 長くなったのでここでもう一度まとめを。まず、マジョリティが自分にとっても正しい決断を下すとは限らない。あくまで全体最適と思われる選択肢をとっているだけ。集団と言えど所詮個の集まり。その一つ一つに最適な解は決してでないということを理解しておくべきだ。また、自分という軸が無いと正しい選択肢をとることが出来ずにマジョリティに選択を全て委ねることになりかねないので、自分の目的地や目的物を明確にすることも併せて重要であると言える。

次に、大体のそこらへんの人間は真っすぐではなく道なりに生きているということ。だから、そういうやつらの言っていることも話半分でいい。道なりに生きていると、その道は真っすぐなんだと錯覚してしまうから。道なりに歩くことも時には重要だけど、それは決して真っすぐ生きることと同義ではないということも理解しておくべきだ。

 次回は、「きれいな景色」について感じたことや考えたことを書いていく。

 

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