見出し画像

大学生自転車日本一周旅を振り返って⑦:パンクの重要性・焦りとイライラは禁物

 以前自転車で日本一周をした時の振り返りシリーズ。今回は、旅をしている中で気が付いた、一見厄介に思えるタイヤパンクの魅力や、焦りやイライラが導く結果について書いていく。

 スタートしてからゴールするまで、9回もパンクをした。そのうち一回は実家で自分の空気入れのミスが原因と思われるもので、旅自体に影響は与えていないから省いたとしても、計8回ものパンクを経験した。自転車屋が営業していない週末のパンクや近くに自転車屋のない田舎でのパンク、二日連続のパンクから一日に二度のパンクまで、実に様々なタイプのパンクを経験してきた。パンクに愛された男だった。ちなみに高校時代もスポーツタイプの自転車に乗っていたけど、人一倍パンクの回数は多かった。パンク=俺と言う式が成り立ってしまっているのよ。正直5回目ぐらいからはパンクが当たり前になってきていたし、驚きもしなければイライラもせずに受け入れ態勢が整っていた。一週間も漕げば一日ぐらいパンクするでしょっていう前提。そのくらいパンクは身近にあった。ただ、やはりパンク修理を自分で行うことのできる能力を身に着けておく方がいいということは言うまでもない。パンクのせいで相当しんどい思いをしてきたから。特に週末のパンクなんかは最低。個人の自転車は当たり前だけど店休してて、大きい街にあるチェーンの自転車屋しかやっていない。サイクルベースあさひかイオンバイクが神になる。ただ、都市部に全く近くないところでパンクしてしまったら、パンクした状態を引きずったまま自転車屋まで行かなければならない。酷い時は70㎞以上。それも2回もあった。押していこうにも日が暮れてしまうから、タイヤやチューブに悪いことは分かっていてもサドルにまたがって漕いだ。パンクした自転車は簡単にスリップしてしまうから、安全にも気を付けなければいけず、精神的に追い込まれつつも死なないように冷静に漕がざるを得なかった。更に、無理をして漕ぎ続けたせいでチューブが死んでしまい、その翌日に何もないところで二回パンクしたりもした。案外身近にあって、かつこんな苦しみを与えてくるパンクではあるが、実は魅力もある。

 それは、旅らしさを取り戻してくれること。予定が崩れて目的地が変わって、その時間配分も変動することで、それまでは諦めていた場所へ行けるようになったり、現地の食事を取ったり、景色を楽しむ気持ちを思い出させてくれたりする。その日の元々の目標が150㎞以上先だったりすると、スタート時点から気張ってしまって一日中時間に追われることになる。だが、そんな旅は楽しくない。ただ移動しただけになってしまう。そんな時、このパンクは旅を楽しむ方向へと無理矢理に舵を切ってくれる。
 最初のパンクが発生したのは福島市に向かうとき。時刻は夜でこの日中の修理はあきらめざるを得なくなり、翌日山形市へ行った後そのまま仙台市を目指すという予定は、修理時間を加味すると断念せざるを得なかった。だが、そのおかげで、翌日通過する予定の無かった山形県米沢市でおいしいビーフカツを食べることが出来、さらにその次の日には仙台名物の牛タン定食もランチで食べることが出来た。パンクしていなかったらどちらのランチも食べられなかった。
 次のパンクは秋田県の北秋田市。雨の中パンクが発生し、田舎だったから自転車屋も少なかった。更に坂道が多くて思うようなペースで進めずに時間が予定よりかかっていた。無事修理を済ませて急いで秋田市までの道のりを進んでいたが、このパンクの理不尽さと雨にイライラするとともに、時間に焦って余裕のないまま進んでいた。その結果途中で一人縁石にぶつかってこけてしまい(車道に投げ出されたり車に轢かれたりしなかったから良かったけど)、絆創膏を張らなければならなくなってしまった。だが、その結果、自分を冷静に見直すことが出来、個々まであまり旅を楽しめていなかったこと確認し、翌日の旅がより一層充実したものになった。これに関しては一概にパンクのおかげとは言い切れないが、パンクに端を発しているという点では影響は否めない。
 また、パンクではないが、新潟県で自転車を故障させてしまい、自転車交換と予定の変更が余儀なくされた日も、そのおかげで燕三条系背油ラーメンを食べることが出来たり、田んぼと夕日が映えた景色を見ることが出来たりと収穫は多かった。
 そして、愛媛県に突入し松山市を目指していた夜にもパンクは発生した。なんとかホテルまでたどり着け、翌日にパンク修理が出来そうな店を探していたのだが、一番近いところは11時オープンで朝早くに出発することが不可能であった。だが、出発が遅かったせいで、愛媛県はミカンと同じぐらい鯛めしが有名であるということを知り、さらに松山と宇和島では同じ鯛めしという名前でも全然違った様相であるということも知り、その二か所で食べ比べが出来たとともに、海、川、山、星空と言う昼から夜まで景色を楽しませてもらえた。特に、星空に関してはこの旅において最も印象に残っている景色の一つであり、もしパンクしていなかったら夜星が見える時間帯にその場所を通っていなかったかもしれないと考えると、パンク様様という気分だ。
 この後も何度もパンクに悩まされたが、その分行く予定の無かった店で食事をとっては暖かいサービスをいただくなど、パンクしなかったときよりむしろいい経験が出来たようにすら思う。
 不思議と、パンクの後は良いことが待っている。むしろ順調に感じているときのほうが感情に波が無い分記憶にも残りにくい。人生急ぎすぎてはだめなんだなと感じていた。時にはアクシデントでパンクしてしまった方がいい。そうして少し周りに目を向けてみるのも悪くない。毎日、一分一秒無駄にせずに生きていけるに越したことはないように感じるが、たまには時間を無駄にしてしまったって問題ないんじゃないか。むしろそういう時間に新たな気付きや発見があるのかも。そう思うと、パンクはむしろ歓迎すべきことのように感じる。自分の想像の範囲内に生きていたら決して味わえないもの。見ることのできない景色。パンクは、そこへと連れて行ってくれる。
 まるでタイヤの空気を抜くかのように、人生にも息抜きを取り入れようか。

 また、気持ちの焦りやイライラは何もいいことをもたらさない。
 楽な道のりだけで終わってくれるような一日は無いと言っても過言ではなく、日々耐えながら漕ぎ続けていた。正直な話、目的地の距離によっては全く心に余裕を持つことが出来ず、景色や食事といった体験をないがしろにしてひたすらにたどり着くことだけにフォーカスした日もある。だが、当たり前だがこのような日は全く楽しくない。旅している実感もほとんどない。ただ進んでいるだけ。しかも、到着が目標になっているときは時間に追われているから、出来る限り遅れにつながる事象は避けたく、そのようなことが起こったら焦るし順調にいかないことにイライラする。この状態に入ってしまったらいいことはない。何も楽しくないだけでなく、冷静な心を失っているから事故の発生確率も上がる。そして、そういう時に限ってパンクや自転車の故障は起きていた。焦りやイライラはとにかく禁物なのだ。
 秋田県での話。雨の田舎道でパンクして焦ってしまい、その後縁石に乗り上げてけがをしてしまった。焦った結果さらに時間がかかることになってしまった。本末転倒。焦ってイライラしているときは時間の流れも長く感じる。うまく他のことに気を紛らわせることが出来ないから。早く到着しないかなと考えれば考えるほど、目的地までの距離は遠く感じるし、さらに焦りやイライラは募る。だが、反省をして、焦りやイライラを捨て去り、冷静さと楽しむ気持ちを取り戻したことで、その後の充実度は高まったように感じる。もちろん冷静になったところで辛いことに変わりはないんだけど、ポジティブに向き合った方がネガティブに向き合うよりもやはり良かった。
 また、変に熱くなった心を覚ましてくれるのも、実はパンクや自転車の故障だったりする。もちろん、パンクした瞬間は嫌な気持ちになるし焦りやイライラが増大してしまう。それらの感情がさらに膨らんでしまっては、より悪循環に入ってしまうように思えるが、予定がずれることでむしろ旅を楽しむことが出来るようになる。これは上で書いたことと同じ効用だ。
 新潟県での自転車の故障がいい例。新潟の道は個人的に漕ぎにくく、歩道の無く道幅の狭い危険な箇所が多かった。しかも、歩道が見つかったと思っても、100mほど進んだら歩道が急になくなったり、雑草が生え散らかしていたりした。危険は命にかかわるから、この日もなかなかにイライラしてしまっていた。3日ほど前に反省したはずなのに、それでも耐えきらなかった。そして、雑草ゾーンに入ったとき、タイヤに雑草が絡まって、それを横着に足で取り除こうとした結果、足を挟んで前輪を故障させてしまった。日曜日ということもあって近くに自転車屋は無く、近くても7キロ以上、一時間半はかかるような場所にしかなかった。さらに、前輪が動かないから持ち上げて歩いていかなければならず、炎天下の中とてもつらい時間だった。結果として自転車を変えることになり、自転車屋までの移動や買うまでに時間がかかってしまって目的地の変更を余儀なくされた。時間が中途半端に余ってしまったから、新たな自転車に慣れるという意味も込めて故障した辺りの場所をふらついていたのだが、順調に進んでいれば見ることのできなかったであろう景色を眺めたり、地元のラーメンを食べることが出来たりと、パンクした後の方がむしろ充実したようにすら感じる。むしゃくしゃした気持ちにも整理がついたし、起きるべくして起きた事故だったようにも思う。
 ちなみに、秋田県での話ではパンクが事故の引き金となっていて、主張と矛盾が発生してしまっているようだが、この一連の経験を通して穏やかな心を取り戻すことが出来たから高い授業料を払ったということにしている。実際にその翌日は非常に充実した一日になったし、天気も久しぶりに恵まれたから、このパンクは重要だったと思う。パンクをしなかったら時間に追われることなく順調に進めていただろうが、楽しめたかどうかにははてなマークが浮かぶ。

 うまく伝えられたかは分からないけど、とにかくパンクは旅を豊かにしてくれた。様々な予期せぬ経験をすることが出来た。パンクしたおかげで見ることが出来た景色、食べることのできた料理、思い返せばこの旅の記憶の大部分はパンクによってもたらされた経験で占められている。
 また、焦りやイライラは、むしろ印象のない時間をもたらし、正直記憶にもあまり残っていない。パンクにも共通しているが、ゆっくりと道草を食っていった方がよっぽど幸せなのだ。 
 人生は順調に、そして夢や目標に一直線に生きていく方が近道かもしれないけど、たまにはパンクしたっていいじゃん。

「遠回りする度に見えてきたことがあって 早く着くことが全てと僕には思えなかった」
 ELLEGARDEN「ジターバグ」より。”パンク”ロックということで笑。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?