「◯◯活」が理解できない〜新語考察〜
日本語に問わず、言語というのは日々新しい言葉や使い方が生まれるものです。しかし、その中には「私はどうしても理解できない」というものもありますよね。私が最近「理解できない」言葉「○○活」について、考えてみます。
「就職活動=就活」はわかる
「○○活」の元祖といえば、就活でしょう。私も大学生の時、普通に、何も考えずに使っていました。これには全く違和感がありません。言うなれば「『就活』ネイティブ(就活という言葉が元々近くにあった)」ですね。私が大学生の時は、就活以外に「○○活」という言葉は聞かなかったように思います。
「○○活」への違和感
その後、「○○活」という言葉が増えてきました。婚活も最初は違和感があったけど、最近はまあ許容範囲かなと思うようになりました。しかし、推し活(そもそも、「推す」という表現も私の許容範囲じゃない)やら、温活(あっためるだけじゃん)が出てきて、「ヌン活」という言葉を見た時には絶句しました。「○○活」にはカタカナをつけてもいいんだ、そして、「アフタヌーンティーに行く」というのが活動なのか、という衝撃。いや、普通にアフタヌーンティー行けばいいじゃん、というのが私の違和感の始まりでした。
2012年にはすでに指摘されていた
今回、記事を書くにあたって調べてみました。すると、2012年にはこの「○○活」について分析した記事が。
この記事では、現代用語の基礎知識の説明を引用しながら、「就活」は就職活動の苦境を乗り切るために使い始めたと指摘しています。「就活」の次に現れたのが「婚活」。こちらは雑誌記事が火付け役だったようです。それ以外の「○○活」にも触れつつ、花園大学の橋本行洋教授(日本語学)の分析を掲載しています。
なるほど、私が違和感を持った推し活やヌン活は、「就職活動」のような言葉の省略ではなく、「○○活」という「活」という漢字をつけることで表現を広げているということのようです。
なるほど。私が違和感を持ったのは、「活」の「目的に向けての活動」が「努力」の意味も含むようになったところですね。ここがアップデートできていなかったので、違和感が拭えなかったようです。
日々変わっていく言葉とどう付き合っていくか
言葉は生き物で、日々変わっていきます。最初は間違いでも、何か理由があって間違え、それを多くの人が使うようになるともう間違いではなくなります。人間が日々コミュニケーションをとる中で変わっていく言語をどのように捉えて付き合っていくか、言語を教えるものとして、日々試されているような気がします。
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