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マリアンの白い指先

ステンドガラスや建築装飾が瀟洒なカテドラルに夫と出向く。バッハの「ヨハネ受難曲」を知人が奏でるからと、友人夫妻のマリアンとベンに誘われたのだ。キリスト教圏では復活祭前に受難曲を演奏することが多いらしい。 

さて、何百名もの聴衆はさざめきながら入場し、愛想のないひんやりする椅子に前方から腰かけてゆく。やがて始まりの合図と挨拶に続いて、厳かに楽曲が始まった。チェンバロやリュートなどの古楽器奏者20名と、ソリストや混声合唱10名が、高いドームに荘重な調べを響かせる。

外気は10度に満たない早春の宵、2時間に及ぶ演奏中には、その音楽の揺るぎないメッセージと共に、足元からしんしんと底冷えが伝わる。居合わせる人びとは、コートの前を閉めたり、ショールをかけたり、足を組み直したりして、少しでも暖を取る。するとふと、横に座るベンが、マリアンの右手を自分の膝の上で両手で挟んでいるさまが目に留まった。寒がる彼女を温めてあげているのだろう。重ね合わせた手から覗く彼女のよく手入れされた指先は、神々しいほどに白く可憐だった。

アイルランドの広やかな田園で育ったマリアンは、敬虔なカトリック信者である。毎週のミサを欠かすことはないと、青藍色の瞳が華やかなかんばせに、遠慮がちな、でも迷いのない笑みを湛えて言う。

中国の山間部で薬局の前にひっそり置かれた赤ちゃんを、マリアンとベンが小学生だったふたりのお嬢さんとともに幼児院を訪れて迎え入れた、あの時の家族の確信は、こうして握ったふたりの手の温もりに宿ったのではなかったか。

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