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ナユタとAI猫ロボットの弥太郎【短編小説】

ぼくたちの目の前には青い地球が浮かんでいた。

「きれいですね」
弥太郎はぼくの隣に並んで人間みたいな感想を言った。

「そうだね」
ロボットのくせに。ぼくは弥太郎の言葉に苦笑いしながら、返したい言葉を飲み込んでそう返した。

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ぼくは有給を使って、弥太郎と旅行に来ていた。
先ほど着いた月面からは大きな地球が見えていた。

「お客様、こちらから見えるのは、地球です。あなたのお国、日本が見えるのは、あと4時間後ですね。先にシャワーに入られてはいかがでしょうか。月のクレーターを形どったシャワー室が楽しめます。宿泊施設にご案内いたします。こちらにどうぞ」

そういうと、AIロボットの「ピタトス」は、ぼくらを先導して、宇宙船のピットから降り、月面のロビールームへ向かい、さらに月の洞窟にある宿泊先に向かった。

ピタトスは、ぼくの膝くらいの高さしかない、四つ足歩行のロボットだった。10センチくらいの薄いカメラみたいな顔のような部分があって、そこから先を照らすライトが灯っていた。ピタトスは段差もしなやかな動きで難なく越えて、ぼくらの先をスムーズに移動する。

「こちらです」
部屋の前に立つと、ピタトスはウィーンと音をさせながら、右手部分に当たるのか、右前機手をぼくの背丈よりも高く伸ばしてテントの扉部分のジッパーを掴んで下げた。開けると、もうひとつ扉が出てきたけど、こちらは布が、部屋の仕切りをするために、のれんのように下がっているだけだった。

「どうぞ」
ピタトスは、のれんのような仕切りを持ち上げて、ぼくらを中へ誘導した。
中は、ちょうどグランピングの設営のようだと思った。リラックスできそうな設備に整えられており、簡易的なソファや椅子、ヒーターなどが置かれていた。明かりははささやかで暗かったが、まるでキャンプに来たみたいな雰囲気の部屋で思ったより落ち着けた。

ピタトスは部屋の案内をひととおりすると、最後に「弥太郎」が休むおやすみポットを案内した。ぼくの猫型AIロボットの弥太郎はピタトスに軽く会釈した。するとピタトスは右機手をウィーンと持ち上げて挨拶をして出ていった。

弥太郎は大型の猫型AIロボットだ。ぼくが生まれた頃に両親が買ってくれた。ぼくの32年の生涯ずっと一緒にいる、親のような兄弟のようでもあるとても近しい存在だ。

家庭に1台はロボットがいる時代にぼくは育った。昔、お手伝いさん、とか、家政婦とか、執事と呼ばれたものに、ロボットが置き換わったと言ってもいいかもしれない。

ロボットができた頃は、とにかく人間の形に似せることに躍起になっていたみたいで、人工の皮膚を貼り付ける研究まで進んだけど、全然無理だったみたいだ。それからロボットにダッチワイフの製法をもとにした仮の皮膚を張ったけど、結構精巧に動くロボットは、人間の背格好を真似しているが、カクカクした人形が動くようで気持ち悪いと、これもまた廃っていった。ぼくの両親は動くたびにゴムの皮膚のシワがよるリカちゃん人形がカクカク動くみたいな感覚かなと言っていた。

今の主流は、好きな形に構築し、機械の面を隠さず、好きな服を着せると言った姿が主流だった。ロボットの開発は、始め躍起になって、人間の代わりのような姿をロボットに求めたが、その違和感に耐えられなくなったから、ロボットには、本来の機械のそのままの姿を求めるようになった。それに、後付けの着ぐるみは安価で取り替えもきくし、見た目もかわいいし、触り心地もよく、いつしかそれが主流になった。

ぼくの母は猫が好きで、昔読んだ漫画の憧れから、大きな猫型ロボットを迎えたいと常々思っていたらしい。弥太郎はその願望のまま、背丈が160センチもある大きな猫型のロボットで、もふもふの毛皮を被せられたから、正真正銘の大きな猫型ロボットである。

ちなみに4足歩行時と2足歩行時モードは選べる。母は弥太郎を本物の猫のように寝かせ、クッションを重ねて、その腹の中で眠るのが好きだった。お腹はあったかくなる装置が施してあるから暖かい。ぼくも子どもの頃から母と一緒にそうやって弥太郎の腹の中で眠って育った。

「ぼっちゃん、お疲れではないですか?わたし、横になりましょうか?」
「いいよ、今は」
「そうですか」

ぼくはなんだか恥ずかしくてそう言ったが、弥太郎は大きな目でぼくを見つめて、残念そうに少し首を傾げた。弥太郎には、ぼくの成長にともなう羞恥心の変化が理解できるはずはない。ぼくと一緒に家に来たから、ぼくの成長にともなうぼくの感情は、ぼくの反応がデータの元で蓄積となっていく。それからAIが学習する。今はきっと理解できないだろう。

弥太郎はぼくの家に来てから、ぼくの家族の行動パターンを記憶し、ぼくらの言動を記憶し、ぼくらの家族に適応してきた。だから、もちろんぼくの嫌な行動はとらない。一般的な教養や知識は標準的にプログラムされているので、突飛な行動もとらないし、色々なことを教えてくれる優れたロボットだ。

ぼくは、弥太郎と一緒に人生を過ごしてきた。32年間ずっと一緒にいた。
だけど、ぼくは結婚することになった。弥太郎も一緒についてくるけど、弥太郎と二人きりで旅行にいくことなんて、きっともうない。ぼくのお嫁さんのまこのお腹には赤ちゃんがいる。きっと帰ったら、ぼくも弥太郎もマコと赤ちゃんの生活に追われることだろう。

だから今回、ぼくは弥太郎と人生で最初で最後の二人旅にきた。
ぼくは月でシャワーを浴びれることに感動しながら、弥太郎と二人で過ごす、残りの時間に感傷的になっていた。
「そうか、ゆっくり弥太郎と眠れるのも最後かもしれないな」
ぼくはつぶやいた。

部屋で、簡易的な食事を摂り、ベットで仮眠をしたら、もう日本が見える時間が迫っていた。弥太郎はおやすみポットに入り、スリープモードで充電されていた。そこへピタトスがやってきた。
「そろそろお時間になるのでお迎えにあがりました。外でお待ちしています」

「うわ!びっくりした!」
そう言って、のれんからカメラのような顔だけ出して、ぼくをびっくりさせた。

「わ、わかった!」
ぼくがそう返すと、またシュイーンと音をさせて、のれんの外に顔を引っ込めた。

ぼくはポッドの前に置かれた弥太郎の着ぐるみを見て、今度はポッドの裸の弥太郎を見て、また少し泣きそうな気持ちになった。
「さて、いくか」
ぼくは立ち上がって、弥太郎のポットに向かって声をかけた。
「弥太郎スタート」
「承知しました」
弥太郎の目に青い光が灯り、弥太郎はそのポッドから身を起こし、脱がれていた着ぐるみを着た。
ロボットのくせに着ぐるみを着て、愛らしい姿に変身する弥太郎を見ると、いつも笑えてしまう。

ぼくたちは、月面にあるロビーに行くのに、体を放射線から守るヘルメットとスーツを着た。
長年の研究の賜物らしく、そのスーツは見た目と違ってとても軽い。ダウンジャケットを羽織っているくらいの体の閉塞感で身動きをとることができる。

テントを出ると、ピタトスが顔のカメラをウィンウィンと動かしながら周りを窺っていた。そのたび、そのカメラの明かりが洞窟の中を照らしていた。
「ピタトスお待たせ」

「はい。ではご案内します」
ピタトスは軽く右の機手をあげると、ぼくらをロビーへ案内した。

大きなロビーに入ると、そこは天井も床も全てがガラス張りの空間だった。ぼくは、入り口に入った途端、歩くのを忘れ、声を失った。宇宙に一歩を踏み出すような気持ちだ。恐怖を覚えた。その恐怖を堪え一歩進んで、ぼくはガラス張りの宇宙空間に飛び出した。

そしてしっかり前を向く。目の前に地球がぽっかり浮かんでいた。ぼくは感動のあまり、涙が溢れた。ここにくる宇宙船からも地球は見たはずだ。宿に移動する時も。でもこんなにちゃんと対峙して見てはいなかったんだな。美しかった。地球は美しかった。

「ぼっちゃん、大丈夫ですか?前へ進みましょう」
「う、うん」

弥太郎はぼくの背中に猫の着ぐるみの手を添えて優しく押した。ぼくをガラスの壁の一番前に連れてきた。ぼくは顎が上擦るのを感じた。怖さと感動に体が震える。
言葉にできないで、ぼくはまっすぐ地球を見ていた。

不意に弥太郎が座って体を横たえた。
「ほら、ナユタ、ここにおいで」
弥太郎はぼくの名前を呼んで、ぼくを座らせようとした。
「なんだよ、弥太郎」
弥太郎はぼくを名前で呼んだ。それは、昔から母がぼくを甘やかす時にしていたくせだ。ぼくが不安な時、名前を呼び砕けた話し方をした。弥太郎はぼくら家族と育った。もちろん母のくせもデータにある。またぼくは恥ずかしいような、切ないような気持ちで泣きそうになる。

ぼくは、昔、よく母と一緒に弥太郎のお腹によりかかって眠った。そういえばしばらく弥太郎のお腹には寄りかかっていない。いつからだろう。ぼくは恥ずかしくなったけど、ホールにはピタトス以外に誰もいなかった。ぼくは震える体を落ち着けたかった。正直立っていられなかった。

「わかったよ」
ぼくは、弥太郎のお腹に寄りかかって、体を横たえた。
「弥太郎、あったかいな」
「ナユタは昔から、わたしのお腹でよく眠りましたよね」
弥太郎はぼくの頭に手を置いた。手も暖かい。腹も手も機械仕掛けの保温機能ではあるが、ぼくはホッとした。
「そうだね、懐かしいな…。今度はぼくの子どもがこうやってマコと弥太郎のお腹で眠るのかな」
「そうかもしれません。わたしは今から楽しみです」
「弥太郎も随分古い機械になったな」
「大丈夫です。わたしは取り替えがききますし、データがありますから」
「そう、だけどね」
「弥太郎、これからもよろしくね」
「はい、こちらこそ、ナユタ」
「弥太郎、日本だ」
「早く帰りたくなりましたね」
「そうだね、マコにも会いたいな」

ぼくたちの目の前には青い地球が浮かんでいた。

「きれいですね」
弥太郎はぼくの隣に並んで人間みたいな感想を言った。

「そうだね」
ロボットのくせに。ぼくは弥太郎の言葉に苦笑いしながら、返したい言葉を飲み込んでそう返した。




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