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君はタカだ

うちの子はどうやら、賢い。
なんだろう、わたしとは違う。
まさに、トンビがタカを産んだかもしれない。

母親のわたしは、小学校3年生の時、算数の文章題のテストで0点を取った。

その時担任だった、パンチパーマのめっちゃ怖いおばちゃん先生である、林先生に真顔で「あなたは家庭に入るのが向いているかもしれないね」ってすでに将来を宣言され、屈辱を味わされ、めちゃくちゃショックだった記憶がある。

小学3年生なんてまだまだ有望なそんな時期に、大人からの容赦なしの牙を向けられた、苦い経験。まあ、これは、今になって思えば、このままじゃダメだよって教えてくれた先生の愛情とも取れるのだが。

それに高校の物理のテストでは、一学期30点、二学期17点、三学期7点を取って、成績表には、年間を通して、5段階評価の1がついた。留年になりそうなところ、泣いて懇願して、テストを受けたか受けなかったか、何かの措置を受けたのか記憶はないが、なんとか高校3年生になれた経験がある。

いつも成績は大体3が並んでいて、音楽と体育とか美術とかが4とか5だった。ありがち〜〜。

その中での、この小学生の時と高校生の時のできなさ加減の記憶が鮮明。

その後、看護学校に入るのに浪人をしたのは、やっぱり当たり前だった。いったん諦めて、就職した。またすぐに再起して、学校に入ることにしたのだが、入れた学校でも、のらりくらり生きていた。成績が上位であったことはない。

国家試験の迫る、看護学校3年生の夏、クラスで後ろから数えて3.4番くらいの成績で、教務主任の南先生に、「あんたそんなんじゃ国試落ちるからね!」職員室の前で思いっきり後ろから怒鳴られた。めちゃくちゃ怖かった。あの時もゃショックだったな〜〜。

そして、流石に卒業したいし、国家試験はパスしたいわたしは、人生の中で、一番真剣に勉強に取り組んだ。と思う。

夏の模試でクラス順位43人中42位だったわたしは、冬の模試では43人中12位まで追い上げた。その春、ちゃんと看護学校は卒業し、国家試験も合格し、晴れて新卒で病院にも就職できたのである。

45歳になった今、勉強は本当に楽しくて、なんで子どものあんなに勉強ばっかりできる時期に頑張ることができなかったんだろう、と後悔しかない。勉強の楽しさを知る機会に恵まれなかったことを恨めしく思う。

だからかな。子どもがお腹にいるうちからせっせと絵本を読んで、生まれてからもせっせと図書館に通い、古本を買い、たまには新刊も買い、絵本を読み聞かせた。そのうち興味を持ったものを順次与えていったら、知らない間に自分で読めるようになり、まだ保育園在園中なのに、割と漢字も読める。書き順は置いておいて、ひらがなもカタカナも書ける。ベネッセの子どもチャレンジの効果も大きいし、保育園での働きかけのおかげもあるだろう。

それにしても、である。

与えれば勝手に学ぶ姿勢や本を読む集中力もわたしとは違う。今でさえ、本の虫と夫に言われるわたしだが、わたしの子どもの頃はこんなんじゃない。娘は単純にすごいなーと思う。アホみたいにぼーっと生きてきたわたしとは違うなと思う。君はタカだ。




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