見出し画像

なぜ今共感力が必要なのか。

「なぜ、今 共感力、なのか。」

20日の夜にオンラインで、
「共感力」について話をします。

これを読まれたお知り合いの方に、
ぜひ周りの方にもお声をかけてほしいのです。

とても私は危機感を持っています。

私が医療の現場で、コンフリクトマネジメントについて学んだのは、10年ぐらい前の話です。
稲葉一人先生の言葉は、とても重く、
今、割とメジャーになってしまった(あえてなってしまった、と言います)「メディエーター」の役割の本質を学べたワークショップも多数参加してきました。

コンフリクトマネジメントは、
結論を出すことではありません。

対立する、しそうな利害関係は、命の交換のように感じられる、
医療の現場で起きないことの方が不自然だと私は思っています。

どっちかが我慢するだけに終わらないように、
最悪は、訴訟に持ち込まれたり、誰かが傷ついて、
しまわないように、
落とし所を見つけていく丁寧な作業が、そこには必要です。

ですが、
最近は、患者理解や、利用者理解の前に、
ルールに「従わせること」を大切にし、
本質を見失ってしまっている場面に立ち会い、悲しくなります。

自分の考えをまるで、何も傷ついていない医療職にも
押し付けるような場面もあります。
「傷ついていない」と言うことが、遅れているかのように。
「傷ついた」スタッフを本当に守ることをせずに、
傷つけるつもりではなかった患者や家族が排除されていくことの
怖さ。

そのような現場で
フィンクの危機モデルのように、一定の期間、
混乱したり、悩んだり、それを受け止めることが
医療職にはできなくなっているのでしょうか。

そこで起きている、感じていることの意味を探ることから始まると思うのです。

自分も難しい病気になるかもしれない。

そんな時に、医療や介護の現場で働く人の無神経な一言で、
とても傷つき、攻撃的になる人に、
ルールを伝えることは意味のあることでしょうか?

まず、支援者が受け止めることから、
患者や家族が正しい、受容行動に移り、
つい混乱のあまり口にしてしまったことに、気づかれるのではないでしょうか

自分が病気になった時のことを考えると、色々と恐ろしくて、
白熱道場でも大切にしている、「他者理解」「対話」のその先にある、「共感力」について、
私だけのジレンマではないであろう、ことを、
話をしたいと思います。、

ぜひ、ご参加くださいね。

サポートいただけましたら、関わっている人たちをさらに支援するために、サポートするための書籍や学習に使います!