◇宿題に追われ出す時期

八月も残すところ十日ほど。お盆を過ぎると、月初めには色濃く緑みを帯びた青だったのが、ずいぶん色味を変えるなあという印象です。青がだいぶ抜けて、緑……それも渋く深く、茶に近づくような感じ。九月にはその傾向が強まる気がするんですね。おそらく天候的にはまだまだ暑く、秋というには早すぎるんだけど、わたしの中では夏が終わり始めている。

さて、これくらいの時期になると、宿題に追われていた夏休みを思い出します。自由研究とか工作、ポスターなどなど面倒なものを後回しにしていたツケが回ってくる頃。問題集やドリルは苦にならなかったんだけど、自分で考えるタイプの課題は手をつけるのからして遅かった。
読書感想文も例に漏れず、ギリギリになって原稿用紙をなんとか埋めていました。ものすごく苦手だったんです。だって何を書けばいいか分からないんだもの。

小学一年生のときは、面白いと感じた部分をそのまま抜き出して提出した記憶があります。「感想文」が何か、根本的に分かっていなかったのかもしれない。それでも先生は叱らないで受け付けてくれました。ありがたい。まだ幼いから、理解できていないのだろうと思ってくれたのでしょうか。
学年が上がり「感想文」とは「本を読んで感じたことを書くのだ」と理解しても、苦手意識は相変わらずでした。感想って何のために書くの。わたしの感想なんか、読んで面白いか?  そんなことばかり考えていた。
中学生になっても、高校生になっても、読書感想文を好きになることはありませんでした。苦痛すら感じていた。

けれど現在、Twitterで感想を呟くことは、ままあります。先日はnoteのほうでも感想を書きましたし、いま読み進めている本についても、感想を記事にしたいと思っている。そして遡ってみると、大学のときは友人の小説に対して、レポートのような感想を返していたりもしていた。
この、高校生と大学生の間になにかあったんだろうか?

たぶん、何もなかったと思います。感想を書くようになる出来事が特別あったわけではなくて、あくまで苦手なのは「読書感想文」という課題だったのでしょう。「書き方が分からない」というのも、先生たちが求める感想文とは何か、という悩みだったのかもしれない。そもそも先生たちが読む、ということに、妙なプレッシャーや緊張感を抱いていた可能性もある。
思えば高校生のころ家にネットが開通し、創作系のサイトを見るようになりました。メルマガもあったかな。お気に入りを見つけると、掲示板やweb拍手などでコメントを送っていた記憶があります。だから、感想を書くこと自体が苦痛なわけじゃなかった。課題で書く感想文が好きになれなかったのです。

ちょっとした夏の思い出話でした。

この記事が参加している募集

読書感想文