chigi
読んだ本や観た映画の感想。Twitterに載せたもののまとめです。
日記のほか、考えごとを綴ったりしています。2日に1回くらいのペースで更新中。
読んだ小説や観た作品などの紹介・感想文です。
むかし書いたものをここへ格納しています
創るひとを、眺めているのが好きです。 わたしは「クリエイター」よりも「創るひと」という表現を好むのですが、おそらく前者には職業的な意味合いを強く感じてしまうから。それを否定的に見ているのではありません。後者のほうが、自分にとってはより適切だというだけなんです。 わたしが言う「創るひと」には、もちろん職業としているひとたちも当てはまります。でもそれだけではない。まだプロを目指している身だというひとも、同人活動として行っているひとも、趣味の範囲だというひとも、何もかもひっくるめ
赤信号で止まったとたんにラジオが途切れ、走り出すと同時に音を取り戻したとき、なんだか隙間に――時間や空間にひっそり存在する穴に落ちてしまったような、奇妙な感覚を抱いた
ほとんど緑になった桜から、ひらり、はらり、名残惜しむように零れる花弁の愛しきこと その先に蒲公英の黄と綿毛の白が鮮やかにあって、しばし目を留めていたら、忘れてくれるなと桜が舞い寄ってきた
「あしおと」と「あしあと」って一文字違うだけで、やって来るものと去ってしまったもの、対照的な印象になるよなあ
喪失さえも己として、舞台に咲く彼女に魅了された。 プリマとして「赤い靴」の舞台に立つ間際、姉の訃報を知って踊れなくなってしまったサム。バレエから遠のき自堕落な生活を送る彼女に、再びバレエとの関わりが生まれる。 憧れ愛した姉を喪った悲しみだけでなく、自分のせいではという罪悪感や、舞台を台無しにした責任感がサムを縛っている。何より、姉に及ばないことを突きつけられて。 “アニーはここにいない! 私は私よ!” 思わずそう叫ぶも、では自分とは何か、どう表現すればいいのかが分から
あちらでもこちらでも桜が咲いて、出歩く人々の姿も多くて、春だという実感がひしひし湧いてきたな 中でも川沿いの桜並木は見事なもので、散り出すころに花舞う中を通るのも、絨毯と見まがうほど地面を染め上げる光景を見るのも、また良いものなのだ
高槻の過去を思わせるような状況の事件、驚いたのは飯沼の様子でした。専門の芸能ゴシップでもないのに、高槻を頼ってまで知りたがる理由。こういう顔もするんだと、こんな思いを抱いていたのだと、感じ入るものがあった。 高槻が見舞われる事態――思わず踏み入ることになった場所も、あわやの危機も、心が冷える思いで。何より、彼自身は知らない、尚哉がもっとも近づいているモノにぞわりとする。 けれど尚哉の決心と行動に、頼もしさを感じるんですよ。 思えば当初、手放したがらなかったのは高槻のほう
繰り返す罰が男たちに生む変化に魅せられる作品だった。 被害者遺族に、加害者への複数回の報復をVRで実現する〈ペナルティループ〉。恋人を殺された主人公はナイフで、拳銃で、加害者の男を何度も殺すが、奇妙な心情や関係が生じる。 憎しみのあまり、何度でも殺してやりたい――それを可能にするシステムだと、最初は思っていました。でも、殺すことって精神的にも肉体的にもエネルギーがいる。ループする以上、殺しても奴はまた現れる。解放されるどころか蓄積していく疲弊に、主人公は報復しない道を選ぼ
お昼にいただいたカレーうどん 赤、黃、緑のトマトに加えお花が鮮やかに彩る一品で、お花も食べられるんですよ エスプーマが添えられていて、好みでつけたり、混ぜたり お腹いっぱい、美味しかったです☺️
やわらかな小雨の朝、ウグイスの滑らかな一声に春を想うなど
心にじんわり灯るものがあった。 京都の小さな町で新米ソーシャルワーカーとして奮闘する二ノ瀬の、様々な案件や人々との関わりを描いた作品。 僕に何ができるだろう?――そう問い続ける彼の姿が焼き付いている。 同じ人間も同じ問題も存在しない。 持ちこまれた相談にただ対処するのではなく、話に耳を傾け、様子や状況に気を配り、その人にとっての幸せを考える。困り事を抱えた〝誰か〟を、手助けするのが仕事だから。 でも、二ノ瀬は言うんです。 本当にその人の力になれたかってことは分からない
背筋を震わせる感覚が恐怖なのか、興奮なのか……見逃せぬ展開に釘付けになる作品だった。 事故に見せかけ事業家の義父母を殺した殺人犯。偶然その証拠を捕え、大金を得るため脅迫する少年たち三人。彼らの駆け引きの先に何が待つのか。 まず魅せられたのは、岡田将生さん演じる殺人鬼の冷徹さと激情。己の目的のため着実に行動し、しれっと演技する一方で、ふいに覗かせる高ぶりに迫力があるんですよ。 子供がいくら束になろうが敵うまいと思いきや、脅迫を提案した少年が実はかなり高い計算能力を持っているこ
お土産に渡したクッキーに「今まで食べた中で一番好き!」とメッセージをいただいて、思えばこの方は色々なものに「好き」を見出しては言葉にするんだよなと、そういうところが素敵だなと思ったのでした いろんなカテゴリに「一番好き」があって、それだけ好きなものをたくさん持っている方なのだ
創るひとが創ることと向き合う姿に魅せられるし、創るひとのエネルギーには強く惹かれる 創るひとの、創るものの、素敵なところをたくさん見つけて汲み取ることが、創作を味わい楽しむことにも繋がっているだろうと感じています
創るひとの創るものは、どう転んだってわたしには到底生み出せないものだから、踏み躙りたくないという思いが強い 少なくとも、生半可な知識を基にバツばかりをつけて、ダメ出しできることが創作をわかっていることなのだと勘違いするような、厳しい愛だと思い上がるような真似はしたくないのです
楕円の「楕」がオレンジで「隋」が薄群青に感じるのって、それぞれ「だ」と「ず」の色が反映されてるからかもしれないな……? サ行は薄群青だと思っていたけど実際に強いのは「さ」「す」「そ」で、「し」は白だし「せ」は黄緑に見えつつも曖昧なところがある……